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将来を悲観してしまう

親を見ていると、自分の子供を叱らない親がとにかく多いと感じます、何かあると、すぐに、ウチの子は悪くない、の一点張り。 自分の子供が可愛いのは誰しも共通ではあると思いますが、事実を屈折させ、キレた者勝ち的な行動。その歪んだ愛情で不自由なく子供にをわがままに育て上げ、子供が成長し、いまさら叱っても言うことなんてきかない年齢になってしまってからでは手遅れだと思うのですが・・・ 街でそんな親子を見かけると可哀想な気持ちになってしまいます。これは仕方のないことなのでしょうか?

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  • wew-082
  • ベストアンサー率80% (4/5)
回答No.2

 「自分の子供叱らない親」、確かによく見ますよね。私は、その原因は「親が子育てというものを経済活動として捉えているから」ではないかと思うのです。    経済活動とは、お金を払ってその代わりに何かを得る、その行動のことです。例えば、お母さんが夜も眠らずずっと傍にいてあげて、いつもわが子の求めているであろうことを色々与えてお世話している、とします。この状態は、母親を経済主体(経済活動をする人)であると仮定した場合、「彼女が持っている時間・体力」を使って、「言うことを聞くいい子、いい子を育て上げた理想的な母親像」を手に入れようとしている、と例えることが出来ます。これをですね、「彼女が持っている時間・体力」をお金、「言うことを聞くいい子、いい子を育て上げた理想的な母親像」を商品、と、それぞれ経済活動でやりとりされるものに置き換えて考えてみると、なるほど彼女らの一見理不尽な行動にも、なにやら理由がありそうに見えてきます。    無論、子供は商品ではありませんし、教育は払ったお金と同じ価値の商品が確実に手に入る「お買いもの」ではありません。子育てを、経済活動として考えてしまっている、そもそもその自覚が彼女らにはないでしょう。ですから、「これだけの時間と体力をつぎ込んだんだから、いい子になるはず。ならなきゃおかしいでしょ」と思う。それゆえ、「うちの子は悪いことをする訳ない」と思い込みたくなるのではないかと思うのです。自分の作り上げた商品に欠陥があるなんて認めたくない訳です。    長くなりましたが、結論、「子育てを経済活動ではないと理解すべき」というのが個人的な意見です。子育てというのは膨大な時間・体力・資金…これらを前払いしますから、それらを手放した消費者(この場合は親)は、なるべく早く商品を手にしたいのです。まったく、Amazonで前払いでお買い物をするのと同じ感覚です。前払いした費用に見合った商品が届く約束がない、それが教育です。と、私は思うのですが、ご質問者さん、どうでしょうかこんな回答は。個人的な意見を最後までお読みくださってありがとございました。

mondaysaikensa
質問者

お礼

わかりやすいたとえ話でありがとうございます!勉強になりました。

その他の回答 (1)

回答No.1

親が個人になっているかと思います。 夫婦ですらギブアンドテイクだったり。 結婚率が下がったり、経済原理で子育ての重要さがわからなくなっている面があるかと思います。 教育にお金をかけたりしてもバランスを養うことはしていないかと思います。 人間の基本を社会がわすれるとよくないんでしょうね。 友達と遊んでお互いの気持ちを推し量り、個性などではなく調和もおしえないとおかしいですし、親、先生他それが大事だと価値の重要さがわからない限り、個人の家庭だけしてもかなり負担が重たいかと思います。

mondaysaikensa
質問者

お礼

なるほど。世の中が個人主義になり過ぎているんですね。回答ありがとうございます。

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