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現代人は心が貧しいらしいですが、一昔前はどう言われてた?

僕個人はほとんど実感が無いんですが(というかコメンテーターの手抜きだと思うことが多いですが)、バブルくらいから(?)ずーっと何か事件などがあると、「現代は物は豊かだが心が貧しくなったからだ」とか「心の闇が・・」とか言われてますね。 では60年代、70年代、80年代などはどうだったんでしょう?また、どう問題点(とされていること)が変わっていったんでしょう?こちらに知識が無いため年代別に質問をしましたが、「東京オリンピックくらいから」とか「神武景気くらいから」などの分類でもかまいません。というかほんの少しでもわかれば教えて下さい。よろしくお願いいたします。

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noname#7546
noname#7546
回答No.3

1です。 わたしもこの質問は面白いな、年長のかたから回答つかないかなーと、 期待してるのですが… 確か、1960年代に書かれた、「海からの贈り物」(リンドバーク婦人著) のなかにも、 現代人(当時のアメリカ)はモノが多すぎて、その調整と管理で時間と生活が細切れになっている、そして便利だけどどんどん忙しくなっていく、という旨の事が、 かかれていました. この本では、実際著者は、何もない島へ行って暮らしてみます. そして、何がほんとに必要か…を、自分に向けて静かに考えてみています. ひひょうじみた本ではなく、40年経った今でも深くうなづける本です. ご質問の趣旨からは逸脱気味ですが、モノが多いと忙しくなるのは本当だと、わたしは思います.子供も、あふれるおもちゃに囲まれると ぜんぜん、大事にしないですが、 何もない場所へ行くと、葉っぱや石ころ、水などを見つけては、 あれこれ工夫して飽きず遊んだりします。 現代日本人は、くうには困らないお金がある人が多いので、 物を増やすか減らすかは、選択できるんですね。 昔は、ほしくても てに入らず、モノが少ないことを自ら、選んで心豊かに暮らしていたわけではないと思いますし、 貧しいぶん、差別や、、人の脚を引っ張る意識も強かったようです.(これは、父世代と話すと感じることです…) 昔の新聞を閲覧できるサービスもあるらしいので、 輪切り的に 少しづつ ながめて見てはいかがでしょう? わたしは 昔の箱のうちがわに張ってあった昭和14年の新聞を偶然見たことがあり、 軍国主義一色!って感じでビックリしたことがあります. 中立報道、正しい批評、、とはあまり感じなかったです.(あくまで その歴史の中に生きてなかった自分が、むかしの新聞を眺めた印象、です.)

willly
質問者

お礼

.再度の御回答ありがとうございます。 >確か、1960年代に書かれた、「海からの贈り物」(リンドバーク婦人著)のなかにも、現代人(当時のアメリカ)はモノが多すぎて、その調整と管理で時間と生活が細切れになっている、そして便利だけどどんどん忙しくなっていく、という旨の事が、かかれていました.。 60年代で既にですか・・。ちょっとネットで調べてみたら安保条約とかビートルズとか人類初の宇宙飛行とかですね。随分古い話のような気もしますが、考えてみれば凄いですよね。人間が宇宙に行くなんて!!そして逆のぼれば江戸時代のような関所が無くなっただけでも当時としては革新だったことでしょうし、電報なんて、電車なんて、車なんて、飛行機なんて、ましてやロケットなんて。とすると今生きている人は全て「便利な世の中」に生きていると言えますね。とすると「心の貧しさ」も表現の問題であって、本質は変わらないのかと思うようになりました。とすると質問そのものが少々的外れだったのかもしれませんね・・。勿論このことに気付けたのは収穫ですが。 ここからは少し本筋からは離れます。 ただ、以前と違うことは、時代の変化のスピードが変わったことなのかなと思うんです。10年一昔と言いますが、僕としてはもう10年では長いと感じています。そのサイクルが早くなっていってしまうと、人間がその変化に対処していけなくなっていく可能性というのはやはり二十世紀になってからかもしれないと思います。 >(あくまで その歴史の中に生きてなかった自分が、むかしの新聞を眺めた印象、です.) 本当にどうあってもそのことは忘れてはいけませんね。僕達はあくまでも「当事者」ではないわけですから。 あと申し遅れましたが、僕は80年代前半の者です。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (5)

回答No.6

凶悪犯罪が増えたと言うことに対してあなたはそうではないとの思いのようですね。凶悪犯罪が起こっても慣れが手伝って驚かなくなっているとの指摘ですが、この慣れこそがまさにあなたが問題にしている「心の貧しさ」ですよ。犯罪が凶悪になったと考えているのは決して少数派ではないですよ。もっと大きく目を開いて見ることですね。このサイトでは反論や討論は禁止されていると言うことは重々知っておりますが問題の取り違えやすり替えがあってはいけないので敢えて再登場させていただきました。

willly
質問者

お礼

返信が遅れましてすいません。 >凶悪犯罪が増えたと言うことに対してあなたはそうではないとの思いのようですね。犯罪が凶悪になったと考えているのは決して少数派ではないですよ。もっと大きく目を開いて見ることですね。 ええと、凶悪犯罪一般が多くなったとか少なくなったなんていうことは言っていないような・・(ストーカーについては言いましたが)。あと、凶悪犯罪が増えたか減ったかという統計は色々ありますが、統計方法などにより様様な結果があり、通説と言えるようなものは未だ無いように思うんですが・・。 >このサイトでは反論や討論は禁止されていると言うことは重々知っておりますが ご存知なのでしたら僕は兎も角として他の回答者様に対してご迷惑になりますので御勘弁下さい・・。 御回答ありがとうございました。

回答No.5

犯罪の面でこのことを考えて見ましょう。戦後まもなく日本人全体が貧しかったときの泥棒は生活に困って仕方なく悪いことに走ってしまうものがほとんどでした。2,3の例を除いて多少の同情のもてるものがありました。しかし今ではどうでしょうか。生活は困ってもいないのに、自分の欲望を満たすために、自分のわがまま達成のために他人は犠牲になってもよいという考えで犯罪を犯しています。それから殺人や障害などの残虐さがあります、アメリカで殺人をしてコンクリート詰めにして海に沈めてしまったというニュースを聞くと、びっくりして日本人はああまではしないと思ったものです。ところが今ではそういう事はざらにありますね。それから犯罪の低年齢化問題。少し前までは「人を殺してはいけない」ということは当たり前のことでわざわざ学校でも教える必要がなかったことです。しかし現在では「命の尊さ」を教えるという生ま優しさではだめな時代になってきました。他人の田畑でできたものをごっそり刈り取ったり、出荷寸前のものを失敬してしまう等はそれを丹精込めて育てた人への屈辱感を与えるものです。裕福な者が欲深く貯えたものを蔵から盗み出すというものとは一味違った心の貧しさを感じるのです。もう1つつけ加えさせてもらいたい事はストーカーの出現です。以前は相手の気持ちも考えないで自分の思いや欲望を一方的に押し付けるようなあつかましさを通り越したような人物はいませんでした。あげくの果ては殺人まで犯してしまうという低堕落です。なんともまあ心の貧しい人が増えたことでしょう。だけど日本もまだまだましな国ですよ。外に置いてある自転車はなくならないし、災害などが起こっても商店への略奪は聞いたことがありませんね。いつまで続くかはわかりませんが、心が豊かでみなが安心して暮らしていける日本でありたいですね。お互いにがんばりましょう。

willly
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 >戦後まもなく日本人全体が貧しかったときの泥棒は生活に困って仕方なく悪いことに走ってしまうものがほとんどでした。 確かにそうでしょうね。そしてそれが示すのは「環境がそうさせた」ということだと思います。ですからその時代の人がいいとか悪いとかではないように思います。ただ、「環境がそうさせた」という表現は使いましたが、それは「社会が悪い」というあれとは根本的に違います。まず、社会はあくまでも一つの要因で、変えることは可能なんだと思うんです。でもよくテレビでながれる「社会が悪い・心の闇が」というのは解決しようとする気が無いように感じるので質問をさせていただいたんです。 >それから殺人や障害などの残虐さがあります、アメリカで殺人をしてコンクリート詰めにして海に沈めてしまったというニュースを聞くと、びっくりして日本人はああまではしないと思ったものです。ところが今ではそういう事はざらにありますね。 難しい問題ですが、僕個人としては言い方は悪いですが一番の原因は「慣れ」だと思います。「殺人事件全てに驚く→酷い殺人事件にのみ驚く→あとは「何が酷いか」の程度の問題」かなあと思うんです。この考えは多分少数派なんでしょうけど、どうなんでしょうね・・。 >もう1つつけ加えさせてもらいたい事はストーカーの出現です。以前は相手の気持ちも考えないで自分の思いや欲望を一方的に押し付けるようなあつかましさを通り越したような人物はいませんでした。 そうでしょうか?昔は女性なんて本当に地位が低かったのではないかと思うんです。であればストーカーなりレイプなりも今よりもずっとやりやすかったのではないかと思います。それに被害者の方もそんなことが世間に公表されれば被害者の方が「汚い」などと言われ、訴えるなんていうことが「絶対に」出来ない状況だったと思っています。ですから昔より表面にでるようになったわけで、昔よりは随分「マシ」なんだと思ってます。 >だけど日本もまだまだましな国ですよ。心が豊かでみなが安心して暮らしていける日本でありたいですね。お互いにがんばりましょう。 本当にそう思います。今の多くの人はそれをありがたいと思っていないのは非常に情けないと思います。回答者さんのように考えておられる方がいらっしゃるのは本当に素晴らしいことだと思います。 ありがとうございました。

  • kodai78
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回答No.4

私は一応60年代生まれですが、この頃がどういう時代だったかは明確な記憶は殆どありません。それを前提という事で宜しく願います。 60年代から70年代前期までの高度経済成長期の三種の神器のC、カー(自動車)・クーラー・カラーテレビという話を聞いたことがあります。 当時は自動車の普及が著しくなり、その反面、交通事故の多発が深刻な社会問題となりました。まるで戦争並みの被害者を出す事から「交通戦争」という言葉が生まれましたが、現在では死語となっています。もちろん信号機や歩道橋などの安全設備の充実により道路が安全になった事もあるのかもしれません。しかし事故そのものが減っているようには到底思えません。件数の多さに情報がついていけなくなり、よほどの事故でもない限り一件一件を全国レベルで報道すら出来なくなっているようです。これは安全における感覚が麻痺しているとしか思えません。信号機が以前無かった地点に数多く配置されるようになったのも、横断歩道だけでは待機の歩行者がいても車が一時停止しないのが当たり前のようになったからでしょう(明らかな道路交通法違反なのですが)。完全な交通モラルの低下です。 エアコンの普及もフロンガスにおけるオゾン層の破壊、それによる地球温暖化も便利になった日常生活の弊害です。 テレビも70年代まではカラーテレビが一家に一台に旧式の白黒テレビがもう一台あれば上等でした。ビデオも一般家庭には殆ど普及されていません。それによるチャンネル争いも家庭の喧嘩の原因になったりもしましたが、時として譲り合うという感覚も持つきっかけになる事もあったと思います。現在はテレビ及びビデオまでが一部屋一台ずつにまでなっており、よくない意味での個人主義化に拍車をかけてさえいます。 そして現在のパソコン、携帯電話にもそれがいえるのですが、現代人は便利な道具を使っているというよりはそれらに使われているようにしか思えません。 10分間歩けばつける場所にも、体力消費を惜しみ排気ガスをまいて車で出かけたり、家族団らんの時間をテレビ中心の時間とし、室内温度に季節感が無くなり、携帯で周囲と関係なく自分の世界に入り浸るなど。 かっては海外から日本人は勤勉で高い技術を持つ民族と評価されたそうです。確かにいつ頃までかは正直わかりませんがそういう時代があったようです。それが高度経済成長期から儲け主義で成り立つ価値観が常識となり、オイルショックの頃に努力目標とされた省エネという言葉も80年代後半のバブル経済の時期には死語扱いされました。ともすると日本の経済の豊かさが世界の豊かさと錯覚し、勤勉さ・生真面目さがくだらなさと考えられる傾向さえ出てきました。 90年代の深刻な不況の中、間の抜けた感じで省エネという言葉は復活しましたが。 長くなりすぎて申し訳ありません。最後に、どんな現在や未来も良かれ悪かれ過去の現実無しにはありえません。良かったはずの過去もその時代の前人が、小さな問題点を深刻に考えるよりは、豊かになっていく部分ばかりにいい気になっていった事が今の時代にも糸を引いていると思われます。 ですから私は昔が現代より良かったなどとは決して思ってはいません。生活習慣を考え直すことで便利さと努力を使い分ける事は出来ると思います。何処まで実現可能かは社会に任せるのではなく国民各自がどれだけ自分に出来るかを考える事なのですが。それが現代人には困難になっているようです。私も反省する事だらけですが。

willly
質問者

お礼

具体的なお話をありがとうございます。 >件数の多さに情報がついていけなくなり、よほどの事故でもない限り一件一件を全国レベルで報道すら出来なくなっているようです。これは安全における感覚が麻痺しているとしか思えません。 確かにそうですね。交通事故のニュースを聞いてもどうということはないように思います。 >時として譲り合うという感覚も持つきっかけになる事もあったと思います。現在はテレビ及びビデオまでが一部屋一台ずつにまでなっており、よくない意味での個人主義化に拍車をかけてさえいます。 そうですね。よくわかります。でも恥ずかしながら僕も一台のテレビではやっていけないと思います・・。 >何処まで実現可能かは社会に任せるのではなく国民各自がどれだけ自分に出来るかを考える事なのですが。 まったくもって同感です。質問の核には「心の闇」などという、解決から一歩も二歩も離れたところでなんとなくやり過ごそうという姿勢に疑問と危機感を感じたことがあるんです。 >そして現在のパソコン、携帯電話にもそれがいえるのですが、現代人は便利な道具を使っているというよりはそれらに使われているようにしか思えません。 そうですね・・。でもどれも「技術として」使えている人にとっては、明確に「使われている」という感覚は無いのかなと考えています。勿論携帯電話を鬱陶しいと思って家に置いていくこともありますし、掲示板などでのあまりにも誹謗中傷が酷いのも嫌になりますが、「難しい」と思うだけなんです。ですから「使われていると言う感覚は無い」のではなく、「技術的に使えてしまっているから、使われているという感覚を持てない」のかもしれません。こればかりは答えはわかりませんけど。ちなみに僕が「使われている」と感じるのは「「メールが来ないと自分は嫌われているのかも」と思う小・中学生」なんかですね。でも当事者としては「そんなことねーよ」といった感覚でしょうね(笑)。 >長くなりすぎて申し訳ありません。 とんでもないです。貴重なご意見を本当にありがとうございました。

  • keeps
  • ベストアンサー率18% (25/132)
回答No.2

こんな話をご存知ですか? 「近頃の若いもんは・・・ブツブツ」というフレーズは数千年前の文献にも登場するそうです。 ご参考までに。

willly
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 そうですねぇ。それはもう習性と言っていいように思います(笑)。ただ、今回は同じようにメディアが社会を批判していくことの理由ではなくて、批判の理由付け・内容についてなんです。○○ゆえ社会が悪くなった。の○○ですね。「物質社会」であったり「学歴社会」であったり、または「心の闇」であったり・・。そのメディアの歴史を考えてみたりしているんです。 ありがとうございました。

noname#7546
noname#7546
回答No.1

わたしは70年代生まれなんですが、 気がついたとき(70年代後半から、80年代)には、 もうすでにそのフレーズは 聞き飽きるほどだった記憶があります. 自分も、子供時代、ちょっとした騒動を起こしたのですが、 そのときは、心のヤミ、とかもいわれたし、 環境がどうの、親のしつけがどうの、そういうふうに、遠巻きに どうこうと、批評はされたけど、 じゃあどうしたらいいのか、こうしてみたら?という改善策は一切、もらえなかったです. きっちり わかるように 叱ってもらえさえ しなかったです. そういう報道って、実は とても、傍観的で、自分には関係がないということを証明させ、、 あと、わかったような、気にさせれば それで終わり、 と、わたしは個人的にそう思うんで、 事実だけわかったら、さっさと、テレビ消します…手抜き、という表現に全面賛成です.

willly
質問者

お礼

早速の御回答ありがとうございます。 そうなんですか・・。もっと逆のぼらなきゃいけないみたいですね・・。それにしても識者達も進歩しないですね(笑)。 >そういう報道って、実は とても、傍観的で、自分には関係がないということを証明させ、あと、わかったような、気にさせればそれで終わり、と、わたしは個人的にそう思うんで 本当によくわかります。その上「まあ俺たちはマトモだけどな」という雰囲気がひしひしと伝わってきます・・。 ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、日本は政治でも何でも大きな問題に対して真正面から取り組むのが下手なのがあらためてよくわかった気がします・・。頑張れにっぽん。 本当にありがとうございました。

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