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バブルって?
「平成不況」、「空白の15年」などとよばれた不況の波も最近になってようやく回復傾向にあるようです。 そして、この不況の元凶は「バブル景気」と呼ばれる空前の好景気にあると聞きました。確かに学生の私でさえ、「バブル」のときは景気の良さを実感していました。 しかし、 (1)この「バブル」なるものがなんだったのか? (2)バブルはなぜ発生したか。 (3)バブルが崩壊した原因がなんっだたのか? がわかりません。 おしえてください!! (1)どういったきっかけで「バブル」が発生したのか?
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- jamesnory_ooq
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バブル崩壊は、バブル発生と、ワンセットです。 バブルが発生した以上、それは、必ず崩壊します。 発生にはアニマルスピリット・群れ行動が関わっているとの見方が有力になっています。 投機対象商品の価格がファンダメンタルズから大幅に乖離するが最後は戻す力が働く。 バブルの基底には「人の群れ行動により投機がブーム化する」現象(下記abcd)があります。 その波に「金余り」や「超長期的な自信の波」が重なって巨大化しています。 【欠乏・値上りの予想から見ると】 a. 人の投機市場には命令者が存在しない、若しくは命令が弱い b. 将来の欠乏・値上りを予想させる出来事が生じる ....→ 不安を感じた者が焦燥感を持つ → 他人に話したがる c. 風評・早い者勝ちの感情が伝播 → ....(人は付加価値を生むが、短期的に追加供給が困難な場合もある) ....(人は貯蓄本能を持ち、将来を予想し、「不確実な将来の収益」にも強く反応する) ....(人は情報伝播速度・個性差を持ち、後から後からブームに乗る者が現れる) ....→ 「将来値上りするから・買えなくなるから」今買う → 「皆が今買うから」今上がる ....→ (暴走は一者の善行では止まらない) → 不安定な価値感 → 投機価格(price) d. 最後は効率的な配分への力が働く → 無限には発散しない ....事象は常に変化している → 収束もしない ....上がり下がりを繰り返して答えを探し続ける → 振動する 【転売目的から見ると】 a. 人の投機市場には命令者が存在しない、若しくは命令が弱い b. 錬金術のように見えるもの(特別な餌)が登場する ....発見した者が上気する → 他人に話したがる(成功談・自慢話) c. 風評伝播 → ....(人は付加価値を生むが、短期的に追加供給が困難な場合もある) ....(人は貯蓄本能を持ち、将来を予想し、「不確実な将来の収益」にも強く反応する) ....(人は情報伝播速度・個性差を持ち、後から後からブームに乗る者が現れる) ....→ 儲け遅れる心配 → ラッシュ → ブーム → 不安定な価値感 → 投機価格(price) d. 最後は効率的な配分への力が働く → 無限には発散しない ....事象は常に変化している → 収束もしない ....上がり下がりを繰り返して答えを探し続ける → 振動する ・・・・・・・・・・・・ 下記URLを参考にしました。 「バブルの原因は何だったのか - 総括 -」 http://www.value-workers.com/design/chick-earthworm.htm 「バブルの原因は何だったのか - 群知能 -」 http://www.value-workers.com/design/chick-swarm-intelligence.htm 「バブルの原因は何だったのか - 投機熱の伝播 -」 http://www.value-workers.com/design/chick-fever-infection.htm 「バブルの原因は何だったのか - 投機.価格.価値の遺伝子 -」 http://www.value-workers.com/design/chick-pricevalue-gene.htm 「バブルの原因は何だったのか - 新型発生のメカニズム -」 http://www.value-workers.com/design/chick-newtype-emergence.htm
3番追加 〔バブルの崩壊〕 ○こうしたバブルの構造は「土地価格と株価は無限に上昇していく」という土地・株価神話を前提にして初めて成り立つものでした。1980年代の終盤にはバブル経済の弊害と限界を示す傾向も現れ始めていました。 ○株式発行額が増加した企業では安定株主化の必要から、企業グループ内の株式持合いが進み、迂回増資が増加。これはバブル経済の循環構造に対する警告であり、企業はこれを真剣に受け止める必要があったが、既に多額の株式資産・株式負債を抱え込んだ企業は、本質的な対策に乗り出せないまま、循環構造の中にはまり込んで行くことになった。 ○バブル経済の腐敗が目につくようになってきた証券市場では、タテホ化学工業事件(1987)、新日鉄・三協事件(1988)に代表されるインサイダー取引事件が相次ぎ、1989年4月証券取引法が改正された。 ○そして、1987年10月米国の株式暴落(ブラック・マンデー)により日本のバブル経済も大打撃を受けたにもかかわらず、市場には楽観的な見方が強く、大蔵省も会計処理緩和措置といった、バブル崩壊の一時的回避策を打ち出すのみに終始した。このように信用増幅の終わりのない循環を断ち切る本格的な対策に取り組むことなく、1990年のバブル崩壊を迎えることになる。 〔バブルの終焉から不況へ〕 ○大手証券会社や大手銀行が最後まで捨てようとしなかった株価・土地神話も、1990年の株価低落によってあっけなく終焉を迎えた。1990年4月2日東証一部平均株価終値は28,002円07銭の急落を示した。 ○また1990年8月イラクのフセイン大統領によるクウェート侵入から湾岸危機が起きた。ここから石油事情の見通しが不安定になり、円レートが弱含みに反転。危機時にはドルが強くなる。これに対応して、日銀は公定歩合を6%に引き上げた。 これは当時の三重野日銀総裁の発言にも見られたように、バブル退治の一環という意図があった。日本経済はバブルで超好況状態にあったにもかかわらず、円高によって物価が安定し、金利引上げの機会を失っていた。しかし、中東における動乱は金融政策の大きな転機となった。高金利は当然のことながら、景気を需要側から抑制する要因となる。このこともバブル崩壊の要因である。 ○その後も株価は不安定な動きを続けた後、同年10月1日20,221円86銭の低落を記録した。この株価低落が、株式売却金が国内債券市場に流れず、逆に債券市場でも「売り」が優勢となって双方が海外市場に流出するという、株安・債券安・円安のトリプル安であった点に特徴がある。これらの要因が絡まって日本の株価・地価の暴落、つまりバブルの崩壊は決定的となり、ここから、今日まで、なおその影響をとどめる長いバブル不況が始まることになる。
〔バブルのきっかけ〕 ○日本のバブル経済のきっかけは1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで行われた「先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)」における「プラザ合意」でした。 ○当時、アメリカは双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)に悩まされており、特に対日貿易赤字が大きく、アメリカは貿易収支のアンバランスを是正するように日本に強く要求しましたが、一向に改善されず、むしろ悪化する一方だったためG5に話を持ち込んだのです。 ○アメリカの貿易赤字を減らすには、日本を含めた各国がアメリカから輸入をすれば良いのですが、製品の価格が高ければ当然誰も買いません。当時「ドル高、円安」でアメリカの製品自体に割高感があったのです。そこで、G5で「ドル安」になるように各国が合意し(プラザ合意)し、各国の「協調介入」によって意図的に為替相場を変動させることを約束しました。 ○日本は「ドル安」対策として「外国為替市場」において日銀が保有している大量のドルを円に替えました。結果、外国為替市場には大量のドルが流通し、価値が下がり「ドル安」に向かいました。 ○具体的な内容として「基軸通貨であるドルに対して、参加各国の通貨を一律10~12%幅で切り上げ、参加各国は外国為替市場で協調介入を行う」というものです。しかし、その後日本は急激な「円高」に襲われ、1985年まで1ドル=240円前後だったのが、1987には約半分の1ドル=120円前後まで急騰したのです。輸出産業の多い日本は大打撃を受けました。これが「円高不況」(=プラザ不況)です。 ○この円高不況を乗り切るため、日銀は公定歩合の引き下げを決定しました。公定歩合を引き下げ、銀行の貸出金利を下げる「低金利政策」によって「内需拡大(国内のお金のまわりを良くする)」を図ったのです。1986年時点で5%だった公定歩合は87年には2.5%まで下がりました。 ○当時、総理大臣だった中曽根康弘氏の「内需拡大」を呼びかけるポスターが公共機関に掲載されたのでご記憶にある方も多いと思います。低金利政策を進めれば、銀行からお金を借りる人が多くなり、使う人が増えるので景気は上向きます。 また政府は、景気対策として規制緩和や、ビックプロジェクトなどを積極的に推進し、「地価」や「株価」を刺激する政策を進めました。 ○お金が借りやすく、経済活動も活発な状態で「地価」や「株価」を刺激する政策をとれば、値上がりするのは当然です。また「土地の価格は必ず上がり続ける」という「土地神話」も重なり、「土地や株を買い、頃合いを見て売る」ことが簡単にお金を稼ぐ方法として当時は考えられていたのです。多くの会社や個人が本業よりも「お金を動かすだけでお金を増やす」(マネー経済)に力を入れました。これが「財テクブーム」であり、「バブル景気」になったのです。
- missile_man
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はじめまして。 簡単に説明しますと (1)どういったきっかけで「バブル」が発生したのか? (1)この「バブル」なるものがなんだったのか? 項目がよく分かりませんが、 発生はインフレからデフレに変わる節目にバブルが 発生します。 アメリカの援助と朝鮮戦争の特需により、アメリカより 莫大な額の軍事特需をもたらし、日本産業が 活発になりました。 日本産業が活発になって来た為、株価や土地の 評価があがり、銀行が企業に対しての融資する額が 増えて行った為、 企業が羽振り良くお金を出(設備投資)したので 「バブル」となりました。 崩壊時のはっきりした原因はありません。 経済を評価している人によってさまざまです。 よく言われる中では、経営が悪化してる企業に 対して、銀行が「いつか返してくれる」と 思いながらお金を貸していたが、産業界全体で 在庫が増え出したので、設備投資が控えめに なったとたん、倒産する会社が一気に出てきました。 銀行も貸してた企業がバッタバッタ倒産し出した ので、「経営が悪化してる企業は融資しない」と した為、バッタバッタと沢山の企業倒産しました。 バブル崩壊という状態です。 ここまでの話は自分のイメージ内容を簡略して 書きました。 No1さんの回答の通り、自分で調べてtarou520さんの イメージを作るのが良いかと思います。 数学と違い、政治経済は正解という物がありません ので、色々感じて見て下さい。
- riderfaiz
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1985年のいわゆる「プラザ合意」が始まりとするのが一般的ですが、 1987年のNTT株の公開が契機という説もあります。 要するに実質経済ではなく投機による好景気のことで中身が無く、 すぐにはじけるだろうという皮肉を込めて「バブル」(泡)と 呼ばれたのですが、結局10年ぐらい続いてしまったんですね。 まずはウィキペディアを見て、Googleで「バブル経済」「バブル景気」を 検索するといっぱい論文が出てきますから、色々読んでイメージを つかんでください。