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葬儀・法事無用の方への質問
- 最近増えている葬儀・法事無用の方への質問です。どのような考えをお持ちか教えてください。
- 寺院の拝金主義的な要素や親戚付き合いの簡素化などが、葬儀・法事無用の理由として挙げられています。
- 多くの方が「死ねばモノとなる」と考え、故人を悼む気持ちや儀礼的な行事を求めないという意見もあります。
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葬儀無用論が世間の中で大きな声になってきたのは、「不慮の死」というのがほとんどなくなったからではないかなと思います。 だってさ、80歳90歳でいかにも天寿を全うした、という人なら「もう今さらお葬式もねえ・・・」とはなりますでしょう。しかし、もし亡くなった方が40歳にして不慮の死、となったら「故人の生前からの希望により、式は一切行いません」と聞いたら正直周囲としては困りますよね。困りませんか、だって本当に死んだのかどうかすらピンとこないのに、葬式までやらないといわれたら益々その人の死を自分の中でどう消化したら分からないです。無駄なこととは分かっても「本当に死んだのかどうかを確認して、最後の挨拶を済ませたい」って思うのではないでしょうか。ある日ハガキが来て、「凸凹太郎は交通事故により○月×日に急逝しました。つきましては生前の本人の希望により葬祭は一切行いませんでした。生前のご愛顧を感謝いたします」なんてあったら、大概の人は怒ると思うのですよね。 また、生前に人望がある人だったら、何らかの形でみんなで悼むものをしてあげたいと残された人たちは思うのではないでしょうかね。だからちょっとトゲのある物言いになるのですが、葬式が(現実問題として)不要っていう人はよほど長生きしちゃって同世代の友人はもうみんな先に逝ったとかそういう人ではない限り、特に60代以下なら人望がない人なんだろうなって思います。 また、葬式は亡くなった人のためではなく、残された人のためのものだと思うのです。友人知人の死を悼みたいという人もいるでしょうし、友人知人の家族が亡くなって悲しみにくれるその友人知人を式に出席するという形で慰めたいという人もいるでしょう。 葬式が要らないなら、結婚式も不要じゃないですかね・笑?
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- Postizos
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家が都会にあるかどうかもあるのではないでしょうか。 家が都会にあるならば葬式をやるかやらないか、どのようにやるかは遺族の意志次第です。 私は遺骨や死体は当然「物質」にすぎないと思いますが、死んだ人の業績や人となりは実際に存在した物であって、それを伝承する、死者を悼むことや偲ぶこと、そのような精神活動はのこされた者達に価値のあるものだと考えます。 生き残った者のための儀式は必要だと思いますが特定の宗教とのつながりは無くてもかまわないと思います。 特定の宗教に属さない、信仰が無いことは宗教心が無いことを意味しているわけではないです。 自分の葬式等、儀式的な物については自分が死んでしまえばもう関係無いので残った人が勝手に決めれば良いことだと思いますから何も希望はありません。 自分がのこしたい物についてはなんとか利用可能な形にわかりやすくまとめておきたい物だと考えています。
お礼
死んだ人の業績や人となりは実際に存在した物であって、それを伝承する、死者を悼むことや偲ぶこと、そのような精神活動はのこされた者達に価値のあるものだと考えます。 そうですね、その様な事を大切にして行く場は必要だと思います 良い御回答有難うございました
- kaitara1
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人というのは生きていれば個人個人お互いに違いがありますが、死んだら同じと思います。それと同時にその人を知っている人の頭の中にしか存在できません。家の、あるいは個人の墓というものを不要と思っています。合祀墓が妥当というのは死んだら人は同じだと思うからです。散骨や樹木葬より自然の感情に忠実のように思っています。法事をするならその費用でおいしいものを食べて談笑でもしてもらえればと思います。
お礼
死んだら人は同じだと思うからです それは私も同感です 唯、親族の思い出は思う事ですから合同墓でも樹木の前でも出来ますが、 やはり近しい方と私達身内と云う処から個人墓が生まれたのだと思います
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
私は’霊魂’そのものは信じてますよ。 ただ、自身の脳がつくり上げる一種の妄想としてです、 いわゆる自然界のエナジーの一種として、ある・・・わけじゃない。 私自身は、好き勝手に、故人をおもいだし、それが供養だと思ってる。 何も、墓石の下にじっといるから、そこへ出向いて、’会話’したりする必要があるとは考えません。 それと、もし、国民が親孝行=墓守とでも考えて、必死にお墓孝行、仏事大事を通したら、 生きてる人間が住むところがないほど、お墓ばかりになる。 子供の頃からこれが恐怖でした。 なので、室内墓とかも近頃では都会ではありますが、あれは何ですか? それに、墓の中がいっぱいになれば骨壷からも骨を出すそうですし、 所によっては墓石の下の土の部分に骨壷から中身だけだしてザラッとやって、 土に戻すそうです。 だとすると、これって、場所を予め決めた散骨ではないでしょうか? 骨壷だって古いものから整理する=墓からだす・・・ならこれだって、 時間差のある散骨です。 所詮、’骨’を強固にどこかに隔離して守りぬくということはデキないでしょう? ならば、なんでそこにこだわる? とりあえず、30年借地のように、そこで骨を置いておくだけのこと。 まぁ、亡くなる人がそれでいいなら、最後の買い物として意味があるとしか思えないので、 私は、焼き場で捨ててくれるなら99%捨ててもらって、残り1%位を ひとつまみ、自分の事を最後に思い出してもらうために散骨してもらいます。 旅行にでも子どもたちにいってもらって、つまんで、パラっと。 本当はこの1%もいらないのですが、なにかないと、子どもたちは娘と息子なので 今後の付き合いも旅行もないだろうからです。 子供の頃は、毎年スキーに行って楽しかったのですから。 仏事も多分、10年前にやった義母が最後でしょう。 実母は献体しましたので、合同慰霊祭に参加して、仏事はそれでおしまい・・・というより、それも行く気はなかったのですが、妹が、一応、親類・従兄弟段階に お知らせだけするので、それを葬式がないのかと言われると困るかもしれないからと、 利用させてもらった事になります。 骨壷も返却は希望してない(故人も家族もです)のですが、 今では家族のいる人は、お預かりしてませんと、断られましたので、 戻ってきたら、散骨です。 仏事はしませんが、姉妹で食事でもするときは、亡き実父母のことでも あーでもないこーでもないと、話をするのが、供養だと思っている。 自分たちが年をとると、子供目線で理解していたことがまた、違って見えてくるのです。 叔母の一人が樹木葬しました、これもいわば墓というより散骨でしょうか? 深い穴をほって、そこに粉々にしたのを、さらーとやったそうです。 木が育つはずが、枯れちゃって、だいたいこの辺りかなって、お参りしましたけど。 山全体、道も自然をそのままなので、足元が危なくて、 2-3年たったら、景色はいいけど、’墓参り’なんかこられないねとも苦笑して 従兄弟とも話してます。 葬式で困るのは、村八分の残り2分が葬式、火事だから。 火事は大変だけど、葬式は、いまや携帯時代なので、 ほとんど顔見知り、番号を知っているだけ、メルアドだけ関係でも 一斉送信でくるから、’行かなきゃいけない?’と連絡が飛び交う。 そこを’お断り’するのが難しいと考える人も居るようですから、迷惑以外の 何者でもないですね。
お礼
自身の脳がつくり上げる一種の妄想としてです 私自身は、好き勝手に、故人をおもいだし、それが供養だと思ってる。 たぶんその様なものから儀礼納骨と云うものが生まれたのだと思います なので、室内墓とかも近頃では都会ではありますが、あれは何ですか? 唯、心の中でと云いましても普段できないので何か切欠が必要だと思うのです 室内墓はロッカー式になっており 上にお供えものをし、下に遺骨を納めるような型です 御回答有難うございました
僕個人は、難しく考えていません。 残された者を考えると、病院から焼き場直行 これがいいだろう、と思っていて 家族にもそう伝えています。 僕の父、じいさん、ばあさん、3回亡くしました。 最初の父が、私に 葬式はするな!香典もらうな!!な事を元気なときから 酒を飲んでは言ってました。 もう15年以上も前の話です。 残される私を含めた家族のことを考えて、のことだと思います。 爺さんの時は、周りがうるさかった。 あれだけの人だから、ちゃんとしなさい...と。 父親の時も確かにうるさかったですが それも故人のせいにして、家族葬。 そんな経験もあって、僕個人は 死んだあとも家族に迷惑をかけたくない、という思い。 自由に生きてほしい、という思い。
お礼
御回答有難うございました
- vaf326
- ベストアンサー率16% (285/1721)
親類縁者、近所とのお付き合いが、以前と比較して格段に少なくなっている事とと、 お金の問題でしょう。 家族葬なんてのも、最たるものです。 葬儀、法事はいままで通り行う事が良いと思います。 ただし、法事に関しては、キリの良いタイミングで取りやめる事も必要です。 50回忌、100回忌まで継続するべきかどうかですね。
お礼
御回答有難うございます 家族葬なんてのも、最たるものです。 葬儀、法事はいままで通り行う事が良いと思います。 私も同じ考えです 50回忌、100回忌まで継続するべきかどうかですね 地域の違いもありますが 50回忌でもその人を直接知った人はいないが その人のいのちあって私もいると云う事で 近い方の3回忌等と数年早くても合わせて私は行っております。
- kia1and2
- ベストアンサー率20% (482/2321)
葬儀とは、お亡くなりになられたものでなく、残された家族や友人のためで、永遠の別れをする儀式です。 法事とは、今日こうしておられるのは故人のお陰で感謝、わたくしも先立つ前に、皆さまが立派にやっていけるようにお手伝いする決意をする会合と、理解しています。
お礼
御回答有難うございました 今日こうしておられるのは故人のお陰で感謝、わたくしも先立つ前に、皆さまが立派にやっていけるよう 私もその様に理解させて戴いております
- hkinntoki7
- ベストアンサー率15% (1046/6801)
質問者と同じく、死んだら物体となり、魂なんて存在しないと考えています。 自分は残された者に負担を掛けたくないので散骨で構わないと考えております。とは言うものの、日本人はお墓参りの習慣が根付いているので故人の遺骨があるお墓で手を合わせる習慣があります。ですので、散骨する、納骨するどちらを選ぶかは残された者に権利があると考えています。 葬儀や法事は、普段、顔を合わせることがない親族が集う場所であり、故人の人柄や教えられたことを故人を知らない世代に伝えることができるので意味があると思います。
お礼
御回答有難うございました 「散骨する、納骨するどちらを選ぶかは残された者に権利があると考えています。」 そうですね、散骨でも無用無価値では無く(私も魂は存在しないと考えて居ります)その方を思い、海や合同の墓等に手を合わせれている方も居られますし、墓は持たないといけないと云うより何かの切欠で故人を偲ぶ対象がないとと云う処から出来たものだと思います だから、遺骨置物でも合同墓でも散骨の場に行って手を合わせるのでも良いと思います。 「葬儀や法事は、普段、顔を合わせることがない親族が集う場所であり、故人の人柄や教えられたことを故人を知らない世代に伝えることができるので意味があると思います。 」 やはり、その方があり、今の私も存在する そのような事は伝えて行かなければならないと思います 私もそれ故に葬儀法事は意味があると思います。
- koutei-no-inai
- ベストアンサー率15% (84/546)
身内から葬儀を出すというのは、イコール「大事な身内を失った直後」の精神的にまだ混乱している状態で、ゆっくりとものを考える余裕のないときです。そこにつけこんだ葬儀屋が法外な料金を請求しても、言い値のまま払ってしまうということが、長らく続いていました。 そういう悪習に辟易した人が、葬儀・法事無用論を唱えているのでしょう。 葬儀と法事が無用とは思いませんが、商業主義とは切り離すべきと考えています。
お礼
「葬儀屋が法外な料金を請求しても、言い値のまま払ってしまうということが、長らく続いていました。 そういう悪習に辟易した人が、葬儀・法事無用論を唱えているのでしょう」 やはり、そうですね 業者も「死」「悲しみ」と云う原点に立ち返り考えていかないといけないと思います。 御回答有難うございました。
- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11074)
私は、葬式を6回だしていて、法事は、15回以上しています。 数カ所のお寺にお世話になり、和尚さんともいろんなお話をしました。 その中で、本当の信仰心があったのは、一人だけのようです。 その他の和尚さんには、その様な気持ちが見られませんでした。 行事としてのお寺のあり方、利益を得るための葬式。 お寺以外も、お金をぼったくるシステムができあがっています。 それ以外に、父の兄妹等、80才以上の高齢の親戚の人との話の中で、これからは、墓を維持できない、子供たちに負担をさせたくない、こんな話が多く出てきました。 父の兄妹たちは、みんな賢い人たちです。 その中の1人は、子供に負担をかけないために、神社で葬儀をおこなっています。 法事がないからです。 別の1人は、夫婦で話し合って決めたようですが、お別れ会を開いて、散骨をしました。 お別れ会は、普段着で、食事はなく、死んだ人が呼んで欲しい人だけに声をかけています。 以上の経験をして、妻と、葬式はどうでも良いね。子供たちに負担をかけないように、お墓も見なくて良いね。 と話し合っています。 田舎は、ものすごいスピードで、過疎化が進んでいます。 あれたお墓が目立つようになりました。 子供が都会に出て行き、少子化のために、墓をどうすればよいのか困っている人が沢山います。 永代供養をすれば、高額のお金を要求されます。 所得が減った現在の若い人たちに、葬式とか法事、永代供養等のお金を負担する能力はないでしょう。
お礼
行事としてのお寺のあり方、利益を得るための葬式。 お寺以外も、お金をぼったくるシステムができあがっています やはり、拝金主義的な処が問題だと思います 「死」「悲しみ」を原点に考えていくべきだと思います 墓をどうすればよいのか困っている人が沢山います。 確かに近隣の墓地も返却されたりされる方が多いです 次世代の方がその場所に定着していないので 所得が減った現在の若い人たちに、葬式とか法事、永代供養等のお金を負担する能力はないでしょう。 そうですね 派手ではないが死者を悼む気持ち、御親族の方がされた「お別れ会」的なものを見つめ直す必要があり 寺院始め仏教ともなぜ必要か離れていったのかを考え直す時期に来ていると思います 御回答有難うございました
お礼
「残された人のためのものだと思うのです。友人知人の死を悼みたいという人もいるでしょうし、友人知人の家族が亡くなって悲しみにくれるその友人知人を式に出席するという形で慰めたいという人もいるでしょう。」 確かに80歳 90歳になると友人等も往生されたと云う処から 家族葬と云う形に成っておられる方が多いと思いますが、親族はそれでも 「死」を受け止めたい 慰めたいと云う気が致します 良い御回答有難うございました 「葬式が要らないなら、結婚式も不要じゃないですかね」 学校は勉強教えればよいので「入学式」「卒業式」不要と云われた方や 会社も仕事はするが「創立100周年記念式典」等は要らないし出たくないなどの意見もありましたが、派手地味ではなく「節目」に於ける事をするのは大切なんだと思います。