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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:多武峯少将物語の文中の和歌についての質問)

多武峯少将物語の文中の和歌についての質問

このQ&Aのポイント
  • 多武峯少将物語の文中の和歌についての質問です。
  • この文の現代語訳は「どこもこんな辛い世なのだろうか、ああ不安だ 誰に問おうか」です。
  • わからない部分は「横川の麓に入る」という意味です。解説を読んでも分からなかったので、教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kzsIV
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回答No.2

 物語の中の和歌の解釈は、その和歌だけからの解釈と、その和歌の前後の筋立てに沿った解釈と、その『物語』の思想・哲学を遵守する解釈とがあります(これは一物語の成立・発展・享受の流れとも一致します)。私は「和歌だけからの解釈」が大事だと思いますが、試験問題では、「研究者」の意見を重視して出題しますから、筋立てや哲学に合せないと × になりますね。  いづくにも かくあさましき うきよかは   あなおぼつかな たれにとはまし これだけから言えることは  どこに行っても びっくりするほど つらい世の中なのかしら? (ほんとに そうなの?)   ああ はっきりしない! だれに聞こうかしら? これだけです。ここから、想像の翼を広げてください。   問、「誰に問はまし」と言っているが、何を問おうとしているのか。   答、横川の麓に入れるのかどうかを問おうとしている。 そりゃ無茶です。初期段階での正解は   どこに行っても びっくりするほど つらい世の中なのかどうかを聞こうとしている。 です。  さて『多武峯少将物語』はテキストが手元にないため、筋立てに照らして解釈することができませんが、ithi さんのご指摘のように高光の出家を扱った物語です。高光の歌を集めたものに『高光集』がありますが、物語の歌とはあまり重なりません。『古典文学辞典』によると、この物語は高光の妻を中心にして高光の出家直後から多武峯入りまでに交わされた歌や手紙を集めて妻に仕えた女房が書いたのだろうということで、高光の歌はあまり多くないようです。  物語のテキストは手元に有りませんが、物語中の歌を抜粋したものはありますので、それで確かめると「いづくにも」の歌は冒頭から3番目の和歌で作者は高光ではなくて彼の妹の愛宮です。とすればこの歌は兄の突然の出家を聞いて動転している女性の歌ということになります。そこで、もう一度、歌を見て、想像をしてください。

その他の回答 (1)

  • ithi
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回答No.1

meganesan123さん、こんばんは。 横川と書いて「よかわ」といいます。これは比叡山延暦寺の重要な区域で「東塔」、「西塔」と並んで重要な区域です。 だから、出家しようとしていたととらえるのが自然です。誰に問おうかというのは仏様のことだと思います。 ちなみに主人公は藤原高光という人で応和元年(961)年に実際出家しています。 詳細は下記のURLを参照ください。 比叡山延暦寺 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA 藤原高光 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%AB%98%E5%85%89 多武峯少将物語 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%AD%A6%E5%B3%AF%E5%B0%91%E5%B0%86%E7%89%A9%E8%AA%9E