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君もデスゲーム サファイア37に参加しないか 2

つい最近、同じテーマで研究したばかりだ。 同じ事書くのは面倒だから、要件は以下の前質問を読んでくれ。 きみもデスゲーム サファイア37に参加しないか1 http://okwave.jp/qa/q9038781.html 回答者とのやり取りなどで流れも判るだろう。 参加者募集だ。 研究の協力者と見なすよ。 いくつか言っておこう、近日中にこのサイトでビットコインによる謝礼送金システムが構築されるらしいが、質問者に謝礼ができるシステム構成であったとしても、私にはこのサイトで商売をする意図はない。 この商売は、お客さんが常連客化しやすいように構成されているが、研究成果が上がればこのサイトからは撤収する。長い付き合いにはならんから、ここで店を開くつもりはないよ。 後、占い師の料金体系について検討中でな。 商業的な規定料金は、対面式でじかに占う料金で9000円を考えている。 ちなみに前回のゲームで、おひとり様に付き、占って、リーディングして、文章で報告して、正味時間くらいかな。 一日当たりの客数の見込みにもよるが、料金体系はどう見るかね。 もうひとつ、占い料金が高額になりがちなのは、依頼者の相談を聞き占う過程で、依頼者が自らの意図する望みを将来に対して持っていて、その望みに対して我がまま過ぎて、占い師の助言を聞く気が無いからだ。その手の依頼者は占い師にまじない師の期待をしていて、俺様の望むままの呪いをかけろと脅すんだよ。これは業態が違う。ここでこじれるから料金が跳ね上がるんだ。 占いの資質は霊感で、他者の心を直視する霊感の能力の都合上、占いを勘違いしたお客さんには、お小遣いで済む占い料金では無くて、きっちりハードなまじない師なり、徐霊をする霊能者なりの料金を適用するんだ。 そうすると、ぼったくりだとニワトリみたいに騒ぐ。 その点、前回名乗り出てくれたおふた方が聡明だった事があって、明白な規定のあるこのゲームでは精神的に重労働では無かったよ。 これはいい感触だと考えるんだが、何か助言は有るかい。 乱暴にカテゴリーに押しこめるとこの質問は占いカテゴリーに相当する。 しかし占いカテゴリーは、占ってほしい人が集まる場所で、占う側の研究は学問カテゴリーにお邪魔させてもらうよ。 これは経験的成功則で、占い師が質問しても占いカテゴリーでは回答が一つもなかったが、哲学カテゴリーで同じ質問をしたら役に立つ回答が集まった。

みんなの回答

noname#211048
noname#211048
回答No.19

それと、隠したものは『カランコロン』のところ、調度別れ道になっていて、そこんところ。12才の時かな。誰にいってるかっていうと、Flareonさんだけど、カテゴリーの回答になってないから 気を付けなきゃ。探してみたけど なかったから、仕方なく。 「カランコロン」の見つけかたの占い 。こういうのでも いいか という 哲学的資料の提示。さつまきコメントくれたところ。 ダウンしてるとね、ちょうどいいのだけど。 柔らかいねえ、と、こんなところ。 お喋りしてくれるととてもうれしい。ふるい 館の見つけかた。 川を昇って~ 右にまがって 上 。そこら辺。「コメント」って見えるかな。返信場所多いと多いと困るとおもって。落書きでもいいけれど 返答が一番。あやで合ってるよ。

Flareon
質問者

お礼

観念世界の夢と係るコメントだね。 直感的に感想を述べると、 子供の時に誰かから教えてもらった、私の心、私の愛。 こんな印象だな。 哲学研究じゃなくて、君の事を研究しているような気持ちになるよ。 おかげで私も熱が出てのぼせる。 ブロブの方のコメントありがとう。 私の寸評が、作品理解の導入になったかどうかはともかく、なれない事であれだけ自分の意見が持てるのは立派な事だ。これからそっちもお礼をするよ。

noname#211048
noname#211048
回答No.18

<お返事>何かと熱がでてて、何かと暗い。いもの蔓は食べてた。あとゴンパチを山から採ってきて、おかあさんに渡すと、喜んで、表面を剥いて煮込んでた。わたしも手伝った。ゴンパチの時期はおわったかな。おかあさんは料理が上手。わたしは 菜の花も 食材採りに 山だから さがしにいく。 見付からなくてもそんな怒んない。みずのなかじゃぶじゃぶして、泥だらけで帰ってる。 みずに濡れると、土がくっつくからね。 怖いのは、毛虫が地面一杯に覆ってたこと。ジャンプしながら渡ってくしかなかった。セーラームーンの靴もボロボロ。誰も覚えてなかった。このくらい。

Flareon
質問者

お礼

都会のお穣さんだと思っていたら、なかなか頼もしい生活をいてるじゃないか。

noname#211048
noname#211048
回答No.17

チキンバーガーね、いつだっけな 初めて食べたのは。 もしゃもしゃ食べた。 家族でそんなの食べる習慣がなかったから お小遣いにぎって 買いにいったの。 いまでもたま~に店内に行くとわくわくする。「文明的なかおり」ね ! 自分では 見つけられない。 バケツ は親戚の叔父さんが わたしが小学生のとき、ドライブスルーで持たしてくれた。 今日、学校へ行って カメラ雑誌新刊号みるの。楽しみにしてる。

Flareon
質問者

お礼

私の母は70代でね、母の食べ物の好みは昭和の農村だ。昭和の中でも戦中戦後の食糧難時代が母の原風景だ。 サツマイモのつるが野菜として食べられる事を知っているかね。 我が家の食卓には登場する。 そこら辺に生えてくる山菜みたいなものも引っこ抜いてくる。 スーパーで売っていないやつだ。 自給自足の農村の味だ。 母は肉料理が下手でね、肉を食べても本人がおいしいと思っていないから、父や私のために肉を調理しても、味付けが極めて雑だ。一言で言ってまずい。 芋のつるの方がまだいい。 無人島サバイバルの農村版だよ。 そりゃ~金が無くても何とかなるわな。

noname#211048
noname#211048
回答No.16

新しい投稿見ました。内容が目に浮かぶ様(よう)。

Flareon
質問者

お礼

ここも研究サイトだが、私のブログも研究ブログでね。 そこに直接コメントすると、発表した写真家さんが君の投稿も読む。 君の投稿は私が何かと返答するよ。 あやって名乗ってくれたよね。 あやちゃん。 ここと、あそこ、便利に使ってくれていいが、作家さんに直接言いたい事を言う機会だよ。 それから、機会があれば君の作品も見てみたいね。 カメラは、便利な機械で、自己表現に活用すると、19世紀末には絵描きを絶望させた時期もあった。 便利なカメラで自己表現することは、カメラの性能に自分の感性を寄り添わせる技術が必要で、その技術から、写真的開眼にいたり、自分の目とカメラを一体にしながら、心に写った風景を、カメラに吸い込ませるのが写真家だ。 私は、奔放な絵描きの力量に興味深々でね。 君の言葉への恐れは、型にはまる恐れで、カメラに束縛される危惧は言葉への恐れ以上だろう。 カメラを使いこなすのが写真的開眼だから、経験者的に全く問題ないよ。 道具に支配される弱さは、号具に振り回される下手くそのやることだ。 この点の反省点は、写真には視野と一致項が多いから、写真は忠実だと言う認識がまかり通っていると言う説明をした通りだ。 心は自分で見たありのままの景色だ。 言葉の方は、黒き明星に受けて立つ君の勇気で十分だ。 話してほしい。

Flareon
質問者

補足

> この点の反省点は、写真には視野と一致項が多いから、写真は忠実だと言う認識がまかり通っていると言う説明をした通りだ。 これこそが絵描きを自信喪失させた19世紀末の出来事の真相だ。 しかし絵描きは現在も、生き残っているね。 君は奔放でいい。 学者の私が支えよう。 君の作品を楽しみたいね。 絵本が書けるようだといいんだがね。

noname#211048
noname#211048
回答No.15

こんばんは。 先ず、8月号阿部直樹 二泊三日 山岳のほうの冷たさのある湿気の多い空気、それを捉えようとしている、または、捉えている ように思う。 > 社会性については、自らの私心を はさまないアマテラス治世とは別の、外国の自我の見解だ。 自我を否定すると、自己否定なのだが、世の中は今でもそればっかりだ。 社会性とかかわって自我の葛藤がある。 社会の基本は家であり家族だ。 <メモ> この「外来種によるムリでできた 社会」 はぶらじゅろんぬ さんのいう『お二階さん』かな。(おにかいさん ≠ あまてらすさん ね) 研究しよう。発見してね 追い付くように たくさん見て、発見していく。 理論だてた考え方 と 西洋からのもの というのは必ずしも 一緒とはならないのかもしれない。考え方が慣れていなくて、負担がかかるという意味で一緒だと思い込んでいた。 相手の気持ちに入り込んで、その人が必要としてる言葉を 与えるのかな と思ったよ、ちがうかな。

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 研究に参加してくれるってだけでうれしかったんで、大事な事を言い忘れたよ。 日本カメラは所詮雑誌で保管するほどの研究資料じゃないので、古いのはすべて処分している。それでも最近のは大まかに記憶しているし、対応可能だ。 それから来場者の少ないあの研究ブログで、確実に常連客になってくれるのは、作品を発表した先生方なんだよ。 作品を理解しようとする人や、理解したうえで何か語ってくれる人は数少ないから、関心を持つのは本人位なもんなんだ。君が自らの芸術を見る目を養いたいのなら、該当作家さんのページのコメント欄に記載してくれた方が、本人が見に来るから喜ぶよ。 > 先ず、8月号阿部直樹 二泊三日 山岳のほうの冷たさのある湿気の多い空気、それを捉えようとしている、または、捉えている ように思う。 走り書きだね。 日本カメラ2015年8月号 斑な日 阿部直樹 はっきり言って、学歴や研修等もなく、作品を直感的に嗅いだ匂いだけでコメントする私には手に負えない部分があるんだ。商業写真も、美術品としての価値も前提にしない大学の研究室レベルが感じられて、存在感の探求や、断片的印象から展開する作品が与える想像力の実験といった印象だが、私はそうした事に直接参加しようとは考えない。ただ一つ言えるのは、美しく表現しようとする意図以外の配慮で実験している事だ。 日本カメラ2015年9月号 二泊三日 渡部さとる 寸評を書いた覚えがある。 しかし印象が薄くて、どんな作品か記憶にない。 相当ひどい出来なら、遠慮なくののしるのでそれないの印象があるが、私にとっては全く記憶に残らないほど影の薄い作家だ。 検索して、作品を拾ったところ光の扱いは改めて十分うまい。 日中の野外で、人の注文なんて聞かないおてんとうさまを前に、その環境で最高の光を扱うタイプだ。 誰の前でも同じおてんとうさまなのに、この写真家には別の表情を見せてくれる。 今何歳か知らないが若手に該当し、光と友達だがそれ以外は残念ながら影が薄い。 > 山岳のほうの冷たさのある湿気の多い空気、それを捉えようとしている、または、捉えている ように思う。 ーーーーーーーーーーー 多分あの写真だなと思い当たる。イメージ体質の左利き的不便の最もで、映像が思い浮かぶが、名前という言語的記憶はしていない。すなわち作家の名前を思い出せない。 湿り気を感じたと言うあなたの観想で正解だ。 すなわち臨場感があるんだ。 シャッターを押してカメラ任せではこうはいかない。 写真家の魔法使い的資質で、肌で実感させるんだ。 山岳写真は色々ある中で、これはその作家の個性だ。 > 社会の基本は家であり家族だ。 ーーーーーー この研究は君も想像妊娠させてみたいという下心だよ。 ガミガミジジイは、西洋の輸入品の正当性を主張する立場で、観念世界を歩く私は、教科書には無いこの目で見たアマテラス治世を語る立場だ。 割と仲が良くてね、啓蒙という概念もあるが、、二人とも奇麗事だけ並べるわけじゃない事は似てるな。 > 理論だてた考え方 と 西洋からのもの というのは必ずしも 一緒とはならないのかもしれない。考え方が慣れていなくて、負担がかかるという意味で一緒だと思い込んでいた。 そうさな、何か君が考えるきっかけになりそうなのは、説得のための理論(社会)と、自分が納得するための理論(個人)これの分別かな。論理的自己主張よりも、仏教という原始的哲学では、「思慮」「配慮」として相手を思いやる気持ちが伴ってこそ対話出来たのだがな。神を語らないと言う仏教は人間を考える事だから、哲学の性質があるよ。悟り研究はうんざりするけど、人間を自覚することが悟りの内訳だと目標にできるのならば、それなりに見るべきところがある。 結論は、仏陀という言葉の現代語訳は人間という言葉。 私はこの路線で、ガミガミジジイは私の主張ぐらいは理解できても路線が違うから仲良く喧嘩している。 じゃあ神はどこにいるか、神とは何かの神学は、東洋の他国はともかくアマテラスさんだ。 これは私の考え方だがね。 > 相手の気持ちに入り込んで、その人が必要としてる言葉を 与えるのかな と思ったよ、ちがうかな。 ーーーーーー 違わないよ。 正解だよ。 この対話の成立は、仲の良い芸術家同士に限らないよ。 社会に出ると誰に対してもこなすんだ。 相手の心に入り込む前に、自分の心に招き入れるんだ。 これがお互いさまで同時に起こる。 ストリップショーが先だから、強盗とか痴漢とかに煩わされて一人前になるんだ。

Flareon
質問者

補足

斑な日 阿部直樹 これがいかに私にとってとっつきにくいか言っておこう。 田舎の文化レベルの話だ。 地方に行くといまだにこんな未開の土地があるんだよ。 私はね、マクドナルド、ケンタッキー、ミスタードーナッツ、こうした食べ物に、都会的文明の香りを認識するんだ。 小学3年生ころ、大きな街で初めて食べたマクドナルドの感激は新鮮だ。 私が特にあこがれるのはケンタッキーだ。 まだ若い君は昔のCMを見てないかもしれないけど、ケンタッキーはチキンの入ったバケツを家族で囲んで、幸せいっぱいの家族の姿を流した。 それはテレビから流れてくる私の知らない光景だ。 田舎者の私は思った。 ああ、これこそが健康で文化的な現代人の生活なんだな。 私には縁のない幸せだ。 捨てきれなくてね。ケンタッキーのバケツに恋焦がれたよ。 2010年、ポケモン映画でセレビィがゾロアとつれだって再び主演するポケモン映画。 この時、これだけは映画館で観たいと大きな街に出向いた。 モールで、映画館を見た後、感いっぱいに憧れのケンタッキーに入った。 夢見たバケツ。 注文するとき、わずかに理性が働いた。 ちょっと待て、バケツだけ考えたけど、あれ一人前じゃないよな。 店頭の都会的で文明的な雰囲気にどぎまぎしながら、賢明にもチキンバーガーを注文した。 店内で、ぽそぽそとチキンバーガーを食べながら、失恋をかみしめていた。 そんな味のチキンバーガーだ。 お持ち帰りでバケツという手もあったな。 でももう、バケツは私には所詮手が届かないのだ。 静かにそんなチキンバーガーを食べた。 2015年になってそんな失恋も平気になった。 もうつらくないけど、でも思い出す。 かすかな失恋の思い出が、、、、

noname#211048
noname#211048
回答No.14

こどもを大切におもうなら、恋愛でどうこうって(仲違いは)ないと思うよ。 自分のこと以上に大切に思うものがあるなら、お互いの想い違いも最終的には栄養になると思うし、失敗したなら まだ双方どちらかでも 自分のエゴが大事だったんだとおもう。 共通点がひとつあってね、「おんなのこの体をしてるけど、男の子だ」と自分のことを思ってた。その頃の理論としては「まずみんなが最初おとこのこで、そのうちの半数がおんなのこに変化するのだ。わたしは女の子に成りきれず、男の子も残ってる」とよく分からないけど、感情表現もしないし 寡黙を保とうとする女の子だったよ。 あと2週間あるというし、ゆっくり写真論にコメントしていきます。よければ目を通してください。

Flareon
質問者

お礼

読んで、学問カテゴリーの熟慮の前に第一印象だ。 > こどもを大切におもうなら、恋愛でどうこうって(仲違いは)ないと思うよ。 自分のこと以上に大切に思うものがあるなら、お互いの想い違いも最終的には栄養になると思うし、失敗したなら まだ双方どちらかでも 自分のエゴが大事だったんだとおもう。 ーーーーーーーーーー 以前君が語った言葉を解釈するに、君は自らの感情を明かすと甘え過ぎてしまうと言う、反省のうえ、慎重に接していて、少し下の方にある、なれない君の文体だ。 現代っ子はどうだか知れないが、青春よさらばのおっちゃんは、感情をうまく表現できなかったんだ。相手の女友達候補はさらに輪をかけていて、妊娠中の女の子との別れ話だ。 それから、エゴの用法が慣用句表現だ。 否定的用法だ。 それは殉教者の博愛であり、無我の理想を語った舶来の古典に過ぎない。 社会性については、自らの私心をはさまないアマテラス治世とは別の、外国の自我の見解だ。 自我を否定すると、自己否定なのだが、世の中は今でもそればっかりだ。 社会性とかかわって自我の葛藤がある。 社会の基本は家であり家族だ。 これを二人で学術研究しようではないか。 早々と言っておこう。 もはや愛だよ。 幼いお穣さん。 男女の性差の葛藤も十分わかる。 童心を携えて大人になるとプリキュアで、妖精の祝福がある。 実在する妖精の捕まえ方。

noname#211048
noname#211048
回答No.13

全然 触れなかったのですが ブログに載ってある写真論、元になる冊子がないまま拝見しました。 冊子がないので 今は言えることがないけれど 明日(今日明日休日なので)図書館でみてみて、 コメントしますね。 差し支えなければ、そのコメントにも反応くれれば 嬉しいです。 感想文になってしまうかな。

Flareon
質問者

お礼

それは楽しみだな。 ちなみにこの場は4週間を経過すると自動的に締めきりになるシステムで、すでに2週間以上経過してるけどね。 出来るだけ聞かせてくれ。

noname#211048
noname#211048
回答No.12

じゃあ、あそぼう。あなた カメラマンね。 ストリップショーを引き出す役。プリキュアとしてひとりふたやくだったところをわたしがするの。 「よし乗った!」ってなったら 話しかけてね。 ぶらんこあそびについてとかでもOK。 話すための材料ね。

Flareon
質問者

お礼

その話、降参だよ。 女性には乱暴は働けない。 弱点だよ。 女子プリキュアには負けるんだよ。

Flareon
質問者

補足

今は、草食男子という言葉もできたね。 私は若いころ、女性をは友達同士になれたら楽しいだろうなと考えた。 当時珍しかったね。 その若いころ、 キット私の心は女の子なのよーん。 コレは誰にも明かしてはいけないわーん 妄想に発展してこんな風に悩んだよ。 青春には過ちが多い。 現代語では単に草食男子だ。 当時まれだった。 加えて、子供相手が仕事なので、生殖行為とは子供を作るためという明白な自覚が早くにあり、女性に劣情を抱く性欲に翻弄された期間は短い。 しかしだ、ケダモノは、ケダモノであるだけで人間社会には相いれないのだ。 念願かなって女の子と仲良くなるとしよう。 人生経験が少なく、仕事好きな私の話題の中心は子供の事だ。 あんな子がいたとか、こんな子がいたとか、今の子供たちはこんなだとか。 さらに話が弾んで、こんな子が好きだとか、、、、、 男の子と女の子のどっちがいいとか、、、、、 どんなふうに子育てしたいだとか、、、、、 このくらいまで発展すると、会話の内容は現在妊娠中の夫婦の会話だ。 数週間でここまでに発展する異常な速さの異常な展開に冷静さを失う。 冷静で無いまま、お父さんとお母さんにあった方がいいかな。 結婚式の日取りについて、漠然のどんな手続きがいるんだろう。 そんな事が頭をかすめる。 ちょっと待て。 冷静になれ。 二人の関係はそもそも、話していて楽しいと言う友達関係で、何故か現在結婚を具体的に意識しても、今までに一度も、好きだとか愛しているかの話はかわさなかったはずだ。 なぜ、すでに妊娠中なのだ。 早すぎる展開に、やがてどちらかがこのように冷静さを取り戻す。 この混乱した状態から、真剣に恋愛関係を再スタートできたことはない。 すなわち私は、女性に話しかけただけで想像妊娠させてしまう呪われたケダモノだ。 この危険なケダモノは自らを封印しなければいけなかった。 カメラマンのまねごとの様な手加減が出来るぐらいなら、今頃はとっくにブスとSEXしまくりだろうよ。

noname#211048
noname#211048
回答No.11

友人が田舎から三日三晩 今日まで遊びに来ていて、まだ肩を慣らしきれてないので 文章が堅くなりそうです。 写真の おかま写真家は 異性を求める高揚感が感じられるのが主の写真家に対して、落ち着いていて 自分のこどもを眺めるような いとおしむ目線 だから おかま なのかな。ブログも覗いてみてました。(言おうとおもいつつ)。 表現 言葉でも絵でも写真でも 表現方法はいくつもあって、味わい方も楽しみ方もまるっきし違う。旨いも下手もその意味である (料亭での料理とマグドナルドとでは楽しみ方も味わい方もちがう。また、マグドナルドでは「ニヒリズム?的な自由と焦燥感のようなもの(知ってる言葉で表すならば)」が感じられるのに対して、ただ時代性にあやかっただけで「ある種の高揚感」が感じられないところも(わたしには)感じられて そこにも別け隔てがある。作品?として) ~~写真を撮っている彼もみてるかな と思って。 ~~~~~ 「おはなしの世界」として、ムンクや表現主義の作家、その時代にピックアップされているものを よんだり 観たりすると面白いし、発見があるよ と言われて最近 そのように観るようにしています。ゲンダイも基本変わらず、先生がつくってくれたプリント、ジャン=リック・ナンシー『よそ者の訪れ』<個としての人間がひとりでは完結しないことを、個を越えた何らかの共同体に回収させたり[‥]することなく、個の成立そのものがすでに共同的かつ複合的〔よそ者とは私自身〕>。 ~~~~~ おはなしといえば・・・ 学校の共同制作場所が< 自分の快感 >によって部屋中に絵の具が散乱、水道にペンキがこびりつくしで 「どうだ 俺はやりきったぜ」の態度に女子が不快感を露にしてた。 最近の出来事はここかな。見返す為の文として。 『おはなし』は理解しただけ遠退くのかな 新しいの発見するまでか 必要なときかまで、この 文章形態が抜けきれない。

Flareon
質問者

お礼

オカマ写真家説は、的外れだ。ただし解釈の手法を学んでいる事が判る。 基本的には、自分の日常の景色を幸福感を持って慈しむ気持ちで撮影すると「主婦の幸せ」的空気感が出てそれを言われたんだ。本来、女性は感情を織り込むのがもっと得意で、本格的な作品は、女性らしい自分とは異質の気持ちが流れ込んでくるような感覚で、そこまでさらけ出すとストリップショー的だ。 文章が硬いといったが、どちらかと言えば お前、自分の言ってる事、ちゃんと理解して話しているのか? こう言いたくなる、自分の言葉として咀嚼しきれない様な印象だ。 言葉にすることや、考える事に警戒感があるような言動が多少見受けられるね。 自分の本心の発露なら、言葉にすることで形になる。

noname#260418
noname#260418
回答No.10

Flareonさん 紹介いただいた写真、見ました。 ありがとうございます。 モノクロの景色写真が見れました。 完成された写真だと思いました。 ぶれたような写真がありましたが、 一貫としてる。 哲学のカテゴリーなので、 哲学的な(のつもり)回答を させていただきます。 写真にかぎらず、絵画や文学、音楽は 賛否両論があってこそ 「作品」になると思っています。 Flareonさんの写真を 私が貶したと思っていないことは 理解しています。 相手に理解を示すこと、 相手を信じること、そして 文章を読み、自分とのやり取りが 負担になってないか察すること。 Flareonさんの写真は 一枚ずつ、丁寧に見たいと 思っています。お友達がFlareonさんの 作品や人てして(?)子どもっぽいですって? とんでもない! その人はFlareonさんの表面しか 知らないのかな。反対ですよ。 ブログにコメントしようと したのですが、こことはまったく別世界で 気が引けてしまいました。 ネットの世界って苦手なんです。 Flareonさんの写真は自由に見れる写真でした。 たまに押しつけがましい写真もあるので。

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 実は私、撮影の方では2年ほどスランプだったんだ。 写真論みたいなのを組み立てたから、撮影する時に意思が強く働いて返ってうまくいかなかった。 2週間ほど前に、そんな事をしなくても目の前の風景をやさしく見れば、その心は自然とカメラに吸い込まれると、原点を取り戻して立ち直った。 グログに掲載した写真は、デジカメで撮影した物を中心に割と多く自分らしくない写真が含まれるから、あんまり一生懸命理解の努力をしないでくれ。 私は、あの系統の写真なら、雑誌に作品発表する写真家とそん色がない自信があるけど、そんな風に感性を発揮できるのは年数回位の撮影のみで、安定して写真が取れる本職には及ばなかった。かなりムラがあるから掲載する全ての写真が自信あるわけじゃないんだ。 スランプから抜け出して、以前よりは安定すると思うけどね。 貴方が話を聞いてくれたことも助けになったよ。 ありがとう。

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