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「成れない」が不可能の意味をもつ理由
「医者に成れない」の「成れない」は、医者に成ることができない、という不可能の意味になりますよね。 ここで文法上の疑問があり質問しました。 「成れ」は成るの仮定形、「ない」は否定の助動詞。 不可能をあらわす単語がないのに、なぜ「成れない」は不可能の意味を含むのでしょうか。 慣例上そういうものであるのか、歴史的な背景があるのか、 ご存知の方教えていただければと思います。
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まず 他動詞の不可能を、対応する自動詞の打消しで表現できることから話に入ります。 例えば、 「開けようとしても、開かない」の「開かない」は、「開けることが出来ない」という意味として使うことが出来ます。 つまり 他・下一段←→自・五段 ak-e・ru ak-・u 開けようとしても 開かない 浮かべようとしても 浮かばない 進めようとしても 進まない 染めようとしても 染まらない 止めようとしても 止まらない 曲げようとしても 曲がらない のような活用で 他・自 の対応をします。 また、次のような 他・自 の対応もあります。 他・五段←→自・五段 wak-as・u wak-・u 沸かそうとしても 沸かない 鳴らそうとしても 鳴らない 他・五段←→自・下一段 mak-as・u mak-e・ru 負かそうとしても 負けない 燃やそうとしても 燃えない それらの中で際立つ対応は次のものです。 他・五段←→自・下一段 yak-・u yak-・eru 焼こうとしても 焼けない 解こうとしても 解けない 割ろうとしても 割れない 折ろうとしても 折れない 切ろうとしても 切れない 破ろうとしても 破れない 五段動詞を下一段活用に替えれば可能表現ができるのです。そこで類推で、対応する自動詞が無くとも五段活用の動詞ならば下一段動詞を派生させます。この種の動詞を「可能動詞」と言います。 成ろうとしても 成れない 死のうとしても 死ねない 書こうとしても 書けない このような「可能動詞」は江戸時代には成立していましたが、古来、動詞に自・他の対応が無い場合には「使役」「自発」の助動詞を使います。上の文は「自発形」で表現すると 成ろうとしても 成られない 死のうとしても 死なれない 書こうとしても かかれない となり、実際の語法変遷とはかかわりなく、一般には かかれない→かけない という語源意識(縮約)が広まったことでしょう。 ローマ字表記をすれば kak ar enai → kak enai となりますので、近来の呼び方に乗ずれば「ar」抜き言葉 とでもいいましょうか。 明治・大正期になると 来る→来られる 見る→見られる ねる→寝られる に「ar」抜き言葉が発生します。 kor「ar」eru これる 「左団扇とこれるようなわけなんだね」『をさめ髪』永井荷風1900 mir「ar」eru みれる 「これほど手入れしたその花の一つも見れずに」『子をつれて』葛西善三1918 ner「ar」eru ねれる 「どうしたってねれないや」『蟹工船』小林多喜二1929
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- Jun15972
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回答1・2は間違っているのでは? 「書く」に対する「書ける」など五段動詞が変形して「-eru」のかたちになったものを可能動詞と呼びます 「書ける」は「書く」の活用形ではありません 「成れない」は「成れる」の未然形「成れ」に助動詞「ない」を付けたものです
- technatama
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#1の回答通り、これは未然形なのですが、 未然形には4通りの接続があります。 1.打消しの「ぬ」に続く形 2.「ない」に続く形 3.「せる・させる」「れる・られる」に続く形 4.「う・よう」に続く形 「成る」の場合に当てはめると、 1.成らぬ 2.成らない 3.成らせる・成れる 4.成ろう となりますから、「3.成れる」を否定する「成れない」で不可能の意味になると思われます。
> 「成れ」は成るの仮定形 違います。成るの未然形です。 未然形は「-ない」をくっつけて打消を現す言葉になります。 「成る」の打消しで、「成ることができない」ですね。
お礼
様々なお答えありがとうございました。 まとめてお礼させていただきます。 詳細に解説いただいた、こちらの回答をベストアンサーとさせていただきます。