この俗信については,『学校の怪談』常光徹著(ミネルヴァ書房)という本に詳しく書かれています。以下,同書の内容を中心に,私の勝手な推測を混ぜながらまとめてみます。
朝グモ夜グモの俗信は全国的に見られるようです。朝グモは縁起がよく夜グモは縁起が悪い,というのが一般的なようです。
朝グモにについては,「客が来る,待ち人が来る,いいことがある,福の神が来る」など縁起がいいとされ,「神棚・仏壇に供える」とか,「敵と思っても,親の敵に似ていても,蛇に似ていても,鬼に似ていても」殺すな,といわれます。
夜グモは災いが起こるなどとされ,「おととい来いと言って追い出す」とか,「親に似ていても,母に似ていても,悪魔だから,親の敵だから」殺せ,とかいわれます。
ただ,少数派ですが,逆に,夜グモは縁起がよく,朝グモは縁起が悪いとする地方もなくはないようです。また,クモ以外にも,チョウ・アブ・トンボ・ホタルなどの虫が家中に現れると,客とか泥棒とかが来るという俗信もあるそうですから,これらはまとめて,虫のふるまいなどを見て未来を占う習俗などが起源になっているのではないでしょうか(鳥の様子で吉凶を占う「鳥占(とりうら)」なんてものもあります)。ふるまい方によって吉でも凶でもありえたものが,「朝」「夜」と時間的に分化したわけです。夜というのは,「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」とか「夜に口笛を吹くな」などと一般的に不吉な時間帯とされることを考えると,夜グモが不吉と見なされるのもうなずけます。朝は,茶柱の俗信などからして,縁起のいいものとされているようです。
ところで,『日本書紀』には,允恭天皇の妃である衣通郎姫(ソトオシノイラツメ)という女性(ソトオリヒメともいいます)が,クモの様子から天皇の来訪を予知する(っていうか期待する)歌があります。
我が夫子(せこ)が 来べき夕(よい)なり
ささがねの蜘蛛の行い こよい著し(しるし)も
[私の夫が来るはずの夜だ。蜘蛛の行いが今宵ははっきりと見て取れる]
これによると,クモの俗信は古代からあったようですね。ただこれは「縁起のいい夜グモ」の例ということになってしまいます。クモの吉凶が必ずしも「朝か夜か」で分かれるわけではないことの一例にはなるでしょうか。
お礼
なかなか興味深い内容でした。古典好きの私としてはとても面白かったです。蜘蛛の吉凶は日本書紀にまでさかのぼるのですね。回答、どうもありがとうございました。