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安保法案
安保法案は デモで反対するより 違憲立法審査した方が 法的に現実的と言えますか?
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>安保法案は デモで反対するより 違憲立法審査した方が 法的に現実的と言えますか? ↓ 個人的には司法の前に三権分立の法治国家であり、立法の問題であると思います。 法的に合憲違憲を裁く以前に現実が変化しており、我が国の混迷を狙い付け込もうとする国家やテロ集団が存在し、時々刻々とリスクは起こり、目に見えずとも脅威や侵害はさし迫っているのでは・・・ デモや意見だと言う学者やマスコミや刷り込み煽動された人たちに素直に聞き問いたい!<順不同> ◇我が国を取り巻く環境変化、主権や領土領海領空を干渉し侵犯しようとする相手に対しての守りと抑止力は憲法と外交で十分とお思いですか? ◇憲法の崇高な理念は継承し、その足らざる要素や抜けてる点を補完・追加・改定しようとする11の法案であり、現憲法との整合性や合致してるかどうかを神学論的に検証すれば違憲に成るのは当然でありますが、憲法で想定していない事態や対処を明確にしようとするのが、今回の一連の安保関連法案ではないのでしょうか? ◇憲法で想定していない事態や我が国を取り巻く環境は著しく変化しており、今のままでは、新たな事態に何を行うにも憲法違反に成る事は至極当然の事である。 だが、憲法前文を始め憲法の条文全体として、私たちが誇り大切に宣誓し律したとしても、相手国が同様の価値観や見識を持っている訳ではない。 覇権や国益と言う立場・利害・視野視点を変えれば、ナショナリズムを背景にした野心・悪意を持って内政干渉・侵害を行うケースに、日米安保のみを頼り、アメリカの判断と行動に縋るのみで、我が国は正当防衛の様にひたすら受け身でヤラレルまでは為されるまま徒手空拳て良いのだろうか? それは却って野心を悪意を助長したり、抑止力を弱め迂闊に手出しできないという躊躇を脆弱する事に繋がるのでは? ◇その脅威を抑止し、手出しを阻止するのが→外交であり国際機関の権能だと思うが・・・そのバックボーン並びに表裏一体の機能効果を持つのが日米安保を基軸にした自衛隊・海上保安庁なのでは・・・ あくまでも、自衛の為の抑止力・外交との両翼として正当防衛的な意味で個別的自衛権があり、防衛の盾やスクラムを強化するのが集団的自衛権であり、共に重要な事、相互が連携している事、目的は同じです。 その現状や環境に対する不備や解れを法整備し、活動の仕方や権限、身分保障等、行動の範囲を定めようとするのが安保関連法案なのではないでしょうか・・・ ◇また、言い換えれば→国民の生命・財産・安全・安寧、さらには名誉矜持や歴史文化伝統、国益・国威・国運・国際信頼を保持し高める中に、抜け穴と綻びの目立つ我が国の憲法や自衛隊法を悪意と野心から内政干渉や威嚇・侵犯する場合に、外交努力と連携しての効果的な抑止体制と能力と活動の法的裏付けを担保する為の、現憲法のその不備・新たな事態に備え対応する為に補完新設するのが安保関連法案ではないでしょうか? 一国で対応できない我が国が日米安保条約に加え、憂いを同じくする国々と連携協力しての集団でスクラムを組み盾とする自衛の為に法整備を行うのであり、抜け目なく我が国の主権・権益を侵食する意図に対し盾・スクラムの強化を図るものだと思います。 それは言い換えれば憲法の前文の趣旨にも沿うものであり、家に例えれば老朽化が進み、耐震性や安全性並びに快適性の向上を意図した増改築リニュアルであり憲法を否定しない点で、むしろ憲法を大切に時代や環境に即応させる事からは憲法のメンテナンスが今回の安保関連法案であると私は思います。 我が国の憲法の自縄自縛、自衛隊法や国会審議等の情報の筒抜けにより漬け込む隙を与えたり、反撃も実力阻止も出来ない、護憲と言う美名のもとに無防備で備え訓練、法整備すら怠る我が国の足元を見切り、そのリミッターを承知し狙っての挑発や権益拡大を意図した行動を許している点で憲法や法律だけでの外交や安保は不完全であり未整備である事の影響・要素要因である事は否定できないと思います。 その意味で、私は安保関連法案の審議は遅過ぎとは思うが、先送りを続けることは国家100年の計に成らず、拙速・不必要だとは思いません。 同時に、その思惑や悪意を知りながら容共・特亜へのシンパシー・共通の敵と見る反米・反政府・反自衛隊でのスクラムを組み呼応する野党・マスコミ・プロ市民の存在もアキレス腱や我が国の安保安全や自主外交に対する頑迷な抵抗勢力、永遠の反対思考かもしれない。 安保条約制定や改定に反対、自衛隊の発足に反対し憲法違反だとして来た、PKO法案に反対・・・その反対の為の反対、頑迷な事なかれ主義と言霊信仰で、代替案もビジョンも示さず護憲と言う美名に国民・主権・国益を危うくしている事を知ってか知らずや・・・ ミスリード、ミスジャッジを自己批判もせず、反省自戒を放擲し、無謬を装い→平時には改革を叫び、改革を提起されたら懸念を列挙し、万年、反政府・反対の為の反対の理論武装とデモや集会に奔走している。 その背景には 個人としては、人それぞれでありますが、国民全体&気風としての傾向論・深層心理で申せば・・・現実に起こるまでは嫌な事柄は忌避する(見ない言わない聞かない考えたくない)、そしていざと成れば和と底力で立ち上がる事を繰り返してきた<順不同> ◇言霊信仰:森羅万象・言葉にまで魂・霊が宿っており、悪事や不吉な事を想像したり語るとその方向に物事が進む、祟りを招くという言い伝えや戒めの信仰。 https://kotobank.jp/word/%E8%A8%80%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0-65542 ◇勧善懲悪や神頼みの受け身的発想 悪い行いをしなければされる事もないだろう、自然や天命には逆らえず仕方が無いとの諦観や逆風や試練を耐え忍ぼうと運命を受け入れる発想・事なかれ主義や場当たり思考が和を保つ大人&協調的態度の生き方とされてきた。 ◇タテマエとホンネ、頭で分っていても心が・・・ 違憲状態かと問われれば憲法学者でなくとも違憲と評価する人が多い、けれども現憲法のまっまで時代の変化や国際環境の実情から我が国の領土領海・主権・シーレーン等の自由な交易が外交や通商交渉や首脳会談と連動しているのかと問えば不十分、想定外、有事への解釈は曖昧ではないだろうか・・・ それだから憲法の見直しや補完する法案を審議しているのに・・・考えるのも嫌、何とか時間経過してやり過ごしたいの風や潮の変化待ちではなから国防や他国からの脅威や侵害への備え抑止策を不吉だ・相手国の機嫌を損なうと現実から目をそむけ糊塗し忌避してるだけ。 また、戦争反対とか徴兵制だとか地球の何処までも云々とSFの如く極論を語り喧伝し、結局は無責任にスローガンとシュプレヒコールと護憲しか言えず語らずの姿勢は、一部の野党・言論人・マスコミのレッテル貼りと煽動に感化された→思考停止、一国平和主義の井の中の蛙に相通じる。 時代や環境や外交を放擲した一方的な平和希求宣言・片思いだけであり、※憲法前文を以て平和が安保が享受されているかの幻想と錯覚で国民を国益を国威を国運を国際信頼を危うくする成り行き任せ、周辺国に隙を見せ権益拡大と外交攻勢に誘引・招来する事に繋がる甘い蜜・熟した果実を与えているに過ぎない。 それでは国家・主権者(国民に)※宣誓し重責を担う自衛隊員の名誉も安全も行動の根拠もあやふやなご都合主義、信頼も敬意も表さず税金泥棒として法的な裏付けや行動指針を策定せず備えも訓練もせずに、アメリカの傘を頼り、ひたすら安全を祈願し、他国の信義を信じ、自衛隊基地で大人しくしてろと言うに等しい。 ※憲法前文の抜粋 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
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- hekiyu
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日本の裁判所は、ドイツなどと異なり 憲法裁判所ではありません。 何が事件が発生し、具体的な訴訟になり、そこで 憲法問題が生じて、初めて違憲立法審査権の 発動が出来るのです。 例えば、自衛隊員が戦死するなどして、遺族が 提訴するとかですね。 また、このように訴訟沙汰にできても、日本の 最高裁は、こうした国家の命運に関することに 対しては、違憲審査権を発動しません。 これを司法消極主義といいます。 つまり、こういう大問題は、国民から選ばれたわけでも ない、法律しか知らない、たった15人の裁判官の 判断に委ねるべきではない。 表現の自由と投票箱で、国民が決するべきだ、というのが 最高裁の考えです。 法技術としては、統治行為論などを使うと思います。
- dragon-man
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最高裁判所は国家安全保障に関わる判断はしません。と言うか出来ません。1959年の砂川裁判がその好例です。判決の中で最高裁は国の自衛権を認めています。その中で問題になったた集団的自衛権についても明確な否定をしていません。明確な肯定もしていません。玉虫色です。これは国家安全保障を考慮したためでしょう。裁判所は国の運営を根本から否定するような判決は出しません。そんなことをしたら国がひっくり返りますから。裁判所はあくまで国の機能の一部です。一部が全体を否定できません。こういう国の基本に関わる国家安全保障問題は政治が決着すべきです。裁判所に丸投げするのは政治不在です。国会や国会議員は要りません。 デモはそれより論外です。日本国是である議会制民主主義の否定で、日本国をダメにします。