心理学、あるいは脳科学では、こういう現象は
普通のことであり、アンビバレンスと呼ばれて
います。
以下、wikよりコピペ。
アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、
相反する態度を同時に示すことである。 例えば、ある人に対して、
愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」)。
あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時にもつこと。
ブロイラーがこの用語「アンビバレンス」を使い、
ジークムント・フロイトがそれを精神分析理論に組み入れた[1]という。
二つの感情のうち、一方が(とりわけ「望ましくない」などとされがちな面)
が無意識下に抑圧され、それがその人の行動に様々な影響を与える[1]、だとか、
この状態が昂じると、葛藤状態に陥り、神経症の原因となることもある[1]、
と説明されることがある。
また、心理学の教科書などでは、アンビバレンスと
splitting「スプリッティング」を対置して、
「人は幼児期には往々にして両親についてスプリッティングな見方をするが、
成長するにしたがってアンビバレントな見方をするようになる」
といったような説明をしていることもある。
ここで言う「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」
というような精神状態。
対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。
何かの拍子に母親の事を嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」
といった精神状態に切り替わるような状態。
そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな
状態になると、しているのである。
すなわち大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど
、好ましくないところもある。パパにも、好ましいところがあるけれど、
同時に好ましくないところもある」
という見方をするようになる、という説明である。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、 相反する態度を同時に示すことである。 例えば、ある人に対して、 愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」)。 あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時にもつこと。」 なるほど。例えば、「先生(教師)」を連想しました。 昔、「先公」と言えば、蔑称であると同時に、一定の尊敬を含んでいたものだ、という >「ブロイラーがこの用語「アンビバレンス」を使い、 ジークムント・フロイトがそれを精神分析理論に組み入れた[1]という。」 え、そんなに古い話だったんですか(恐縮)。 >「二つの感情のうち、一方が(とりわけ「望ましくない」などとされがちな面) が無意識下に抑圧され、それがその人の行動に様々な影響を与える[1]、だとか、 この状態が昂じると、葛藤状態に陥り、神経症の原因となることもある[1]、 と説明されることがある。」 「無意識下にまで抑圧される」って、相当、不健康なんでしょうね。 >「「スプリッティング」とは、「ママが大好きだから、パパは大嫌い」 というような精神状態。 対象ごとにひとつの感情だけが割り振られている状態。 何かの拍子に母親の事を嫌いになると、今度は「ママは大嫌いだから、パパが大好き」 といった精神状態に切り替わるような状態。」 ああ。何かとても、未熟な感じがしますね。「覆水、盆に返らず」と言われてしまう、ような。 >「そのような精神状態が、年齢を重ね、精神が成長するとともにアンビバレントな 状態になると、しているのである。 すなわち大人になると一般的に「ママには好ましいところもあるけれど 、好ましくないところもある。パパにも、好ましいところがあるけれど、 同時に好ましくないところもある」 という見方をするようになる、という説明である。」 ・・・たはは。 実は、異なる思惑(それって、どうよ?)を持っていた質問だったのですが、 「それが、大人の見方だ」と説明されてしまいました。 「ママには好ましいところもあるけれど 、好ましくないところもある。(大人の見方)」 勉強になります。