- ベストアンサー
アスペルガー故か、心と理性が対立する
- アスペルガー症候群を持つ私は、心と理性の乖離に苦しんでいます。
- 心は理想的な自分を求め、超人的な行動や無私の行為を要求しますが、理性は現実的な範囲での行動を提案します。
- 私は無理な行動や無茶を求める心の意思と戦っているが、その意思を打ち消すことができません。どうしたら自分の心と理性を同じ方向に向けることができるのでしょうか?
質問者が選んだベストアンサー
こんばんは。50代男性です。 ここにいる回答者で、アスペルガーのことを実感として解かっている人は少ないでしょう。だから、回答者の答えをあまり信用してはなりません。トンチンカンで的外れだからです。 >医師からは「他人の立場に立つ能力が全く無い」とか「思いやりの根も種すらも無い」とか「私が出会った中で一番悪い部類のアスペルガー患者だ」などと、よほど悪いらしいことを言われています。〔>は引用を表す符号ですね〕 定型(発達)の人は『ズケズケと人の欠点を言って、ひどい医師だ』言うでしょう。しかし、その医師が言いたいのは、『諦めなさい』ということだと思います。自分に遺伝子的に無い能力を求めることは、生き辛さにつながるからです。努力すればするほど、「努力しても手にはいらないもの」の重要度が大きくなるだけで、何のメリットもありません。 自分をほめましょう。『よく頑張ったね』と、自分が自分を認めてあげましょう。そして、職場の人にもお願いしましょう。『至らない所もあると思いますが、少しでも出来た所があれば、なるべく褒めて頂けませんか?。長期的にみて心が折れそうなんです、平気そうに見えても』と。 >ただ、自分の中に「無理無茶を求める意思」があり、それが思いのほか強い。 それに流されれば破滅が待っていると知っていても、その意思を打ち消すことが出来ないのです。 この「無理無茶を求める意思」のさらに奥には、<自己重要感に対する欲求>があると思います。「自分には価値があると思いたい欲求」です。プライドよりも広い概念で、「自分の人生には意味があって欲しいという願い」に通じます。だから、決して打ち消す必要のある欲求ではないのです。それを打ち消そうとすることは、さらなる矛盾を生み出すだけです。 >今何とかしないと、大変なことになる気がして、不安でなりません。 私は主導権を明け渡したくないのです。 このことにこだわり過ぎると、神経症になりますよ。不安は不安なままで、上段のような解釈の仕方を試みてもらえばいいのではないかと僕は思います。 参考;http://green.ap.teacup.com/applet/forest2003/msgcate5/archive?b=40 キーワード(3)「自然に服従し、境遇に柔順なれ」などが参考になると思います。 非常に難しい内容を含んでいる回答で、混乱させてしまったらすみません。目の前にない想像に振り回されないようにご注意ください。お大事に。
その他の回答 (5)
- slowcat9152
- ベストアンサー率36% (23/63)
心の声と、理性の声と、どちらが本当のあなた自身の声なのでしょう?なぜ、その2つは常に食い違っているのでしょうか。また、どのようにすれば、その2つの声を、1つに統一することができるのでしょうか。 まず、食い違う2つの意見を聞き分けるためには、双方の言い分を、平等に聞く必要があるのではないでしょうか。聞く側が、常にどちらか一方の意見だけを採用し、重要視しているのであれば、もう一方が、より攻撃的になっていくのは、仕方のないことなのかもしれません。では、どのようにすれば、2つの意見を平等に聞き分けることができるようになるのでしょう? 異なる意見を、どちらか一方だけに加担することなく、平等に聞き分けるためには、非常に静かな心を必要とするのではないでしょうか?まず、自分自身が、その争いの中に巻き込まれていないことを、必要とすると思います。双方の意見を、非常に客観的に、冷静に聞き、そのどちらに対しても、十分な親しみを感じながら、一方的に、あるいは感情的に否定するようなことがあってはならないと思います。どちらの意見に対しても、ある種の愛情、ある種の敬意を持って接し、むげにその意見を却下したり、個人的な判断を加えて一方を侮蔑したりするようなことがあってはならないと思います。十分に論理的に判断し、どちらの側にも一定の配慮を保った結論を導き出すべきなのではないでしょうか。 両者の間にいる人物が、そのような態度を心がけることができたなら、2つの意見の対立は、徐々に解消されていくのではないかと思います。
お礼
>両者の間にいる人物が、そのような態度を心がけることができたなら、2つの意見の対立は、徐々に解消されていくのではないかと思います。 なるほど、その役割を自我意識たる「私」が担わないといけないんですね。 難しいですが、意識してみようと思います。 ありがとうございました。
- heyboy
- ベストアンサー率21% (1852/8730)
対立してて普通じゃないですか? でもしっかり日常生活をやられいるので そんなに気にする事もないのでは? と思いますが。 人の欲求が満たされないのと よく似ているかな? 「納得」したものが欲しいけど 「納得」したらそこで止まるから それも危険だと思うのですが、、、、。 逆に「無理を求める思考」をうまく活用したら? 起業とかしたら成功しそうだし、、、。 ま、起業は極端なので やらなくてもいいですが 自分の出来なさそうな趣味に 没頭してその不甲斐なさを 味わえばいいと思うのですが どうでしょうか? 自分が思ったのは 出来ない状況に追い込まれる のが好きなのかなあって思うんでしょね。
お礼
>出来ない状況に追い込まれる のが好きなのかなあって思うんでしょね。 いえいえ、大嫌いですよそんな状態。なるべく陥りたくは無いです。 そんな状態に嵌れば、それこそ日常を犠牲にしてしまいますから。 みなさん仰いますが、対立って、普通なんですね。 回答ありがとうございました。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
あなたの思考方法(ものの考え方のことです。)は、間違ったり矛盾したりしています。あなたのようなものの考え方をすれば誰でも社会と対立する生き方になるでしょうね。カウンセラーとか主治医はあなたの考え方の不自然さを指摘しませんでしたか。 人間には本質というものがあります。これは脳の問題でもあります。人間の意識の問題です。人間の意識は言葉を作ります。その言葉の秩序が乱れているので、考えたこと(無意識の考えも含む)を行動に移す際に他者と合わなくなるのです。 右脳に浮かぶ実像が行動の秩序(倫理・モラル)を表すために働いていないのです。社会のルール秩序意識の回復が最大のテーマになります。そのために自分の家の中で出来ることは、「文字を筆順通りに書く」これを毎日の習慣として実行すると良いでしょう。難しく考えることはありません。思考と現実を一致させれば良いのです。
お礼
>文字を筆順通りに書く やってみようと思います。 ありがとうございました。
まず足るを知ることを思い出してください。もちろん努力は惜しまない、しかし人の能力も時間も限りがあります。心の欲するままに任せてはいけません。それと物事の結果はひとつの理由から成り立っていると思わない柔軟性を持ってください。 まず家庭はあなた一人が頑張る場所じゃありません。成せば成る、確かにすばらしい言葉です。しかし成せないなら、方法を変えろと思うべきです。心がもっともっとと思うから、体も心も酷使して、結局結果にたどり着けない空しさに陥ってしまいます。配偶者と医師、そして超過労働に疑問を抱いてください。ナポレオンはナポレオン、健康に長生きしながら成功を掴むほうが幸せです。 その医師、性格が適正に欠けている気がします。打てば響き過ぎやすいのがあなた方、そして選べない不器用さもあなた方です。彼は悩むきっかけを与え、悩みが脅迫観念になることを利用している気がします。治る方向性を示さないのは親切な性格とは思いがたい。もう少し言葉を選ぶ医師はいませんか。どの医師もすばらしいと思わないでください。たったここ数十年で急速に症例を作り出し細分化した分野です。気安く受診しなくても、精神には本来は元に戻ろうとする力があります。ただしそれには周囲が互いに協力する環境が必須と思います。遺伝子を傷つけない環境です。だから特に環境、配偶者なのです。 家に帰り育児放棄の妻がいるなら、実家にさっさと帰しなさい。訓練が行き届いていないのは親の教育の責任だからです。あなたの責任ではない。大人ですよ。そうじゃないとあなたが壊れます。助かりたい我侭を持つべきです。あなたも頑張る、しかし配偶者も頑張らせなさい。一人で何もかも背負おうとする欲がいけない。それこそ体がこくされ精神力が弱ります。無理をしない、すべての適正と足るを知る、己と相手の欲のコントロールを。
お礼
足るを知る、理性では分かっているのですが、心が納得してくれません。 なんとか、心のコントロールをできる方法を見つけたいです。 ご指摘の事、心に留め置きます。 ありがとうございました。
病気(アスペルガー)を盾にしてたら解決しません・・ 誰もが心と体の方向が違うのです・・・ だから 理想は幸せだけど 殆どの人が幸せを感じないのです・・ その為 修行者は体の要求を無理に無くす「行(ぎょう)」を行い 断食や滝行をしてたのです・・ それでも尚 心と体が一つになる実感を得る事は出来なかった・・・ あなたが 普通に生活してるのなら尚更、心と体の食い違いは起きるのは当然・・ 現在は 無理な「行」をしなくても ちょっとした事で心と体の一体感を得られるのです・・・ 「一日一善」・・それを習慣付ける事により 苦行をしたのと同じ効果を得られますよ・・
お礼
ありがとうございます。 皆さん、こんな絶望的に苦しい戦いを繰り広げておられるのですね。それを感じさせないのがすごいです。 「一日一善」はしようと思っていますが出来ません。善と客観では思える行為でも、心がそれを「偽善」と突き放しますし、理性も偽善ですといって差し出しますから。 この、心が求める「善」と理性の提供する「真の善はない」という感覚のズレが、苦しさの深い原因かと、考え至りました。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 参考のサイトも見させていただきました。参考にいたします。 自己重要感というご指摘はたぶん正解で、今の私の心はそれを過剰というか、大きく求めすぎているのかも知れないと気づきました。 一応、他の方の回答も自分に出来るところだけとか、盲信はしないようには気をつけています。 ご心配ありがとうございます。 参考にさせていただきます。