日本は場所にもよりますが比較的温暖で砂漠もなく、何より水が豊富で自然が豊かです。そして幸いなことに、周囲を海に囲まれていて異民族が征服しにやってくるということもありません。特に東側と南側が太平洋なのでそっち方面からやってくる脅威は皆無だったわけです。
確かに他の地域に比べると飛び抜けて地震や噴火が多いわけですが、それさえ我慢すれば平和に静かに暮らせます。だから、神様に「すがる」ときは大地震や大噴火が起きたくらいです。しかしそういう天変地異はあまりにスケールが大きすぎて人間の力でどうすることもできないので、ただただ神の怒りが「鎮まる」ことを祈るしかありません。
しかし例えばユダヤ民族なんかの場合は砂漠の地で人間が生きられる場所が限られる上、周囲は異民族に囲まれていていつ征服されるか分かりません。それどころか、ユダヤ民族の場合は元々住んでいた人々を殺して追いやって自分たちの場所を確保しているわけです。「奪うか、さもなければ奪われる」というような文字通りに血で血を洗うような状況にいるわけです。
そういう環境にいれば、強力な宗教でももって民族を束ねないと生き延びられないという事情もあったと思います。卓越したリーダーがいつもいるとは限りませんからね。「神様」という永遠不滅のリーダーの元で結集すれば異民族にも対抗できます。
「神の名において殺しや略奪が正当化されるのはおかしい」と我々日本人は考えますが、それは我々が住む場所が「ちゃんと耕して育てればちゃんと実が成る場所」だからです。限られた耕作地で細々と生きなければならない民族は、もし自分たちの場所が不作になってしまったら隣のやつらから略奪しないとこっちも飢え死にしてしまうのです。
そのときに、「この略奪は神様が認めたものなのだ」となれば、人々は良心が傷まずに済みます。だってそれは神のご意志なのですから。
険しい山と砂漠の中で、オアシスにへばりつくように暮らしているアフガニスタンの人に「周囲の人たちと仲良くやりなさい」といっても、そんなことをしたら自分たちがオアシスから追い出されてしまうという事情はあるのですよ。