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『世界中の誰とでも話せる』は自然な日本語ですか?
『世界中の誰とでも話せる』と『どこからの誰とでも話せる』は意味として違いますか? どちらの表現が自然で正しいですか?そして、意味として同じですか?それとも、違いますか? お願いします。
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『世界中の誰とでも話せる』:極めて自然な日本語です。主として会話で使います。文章で使ってもおかしくはありません。 『どこからの誰とでも話せる』:言いたい気持ちはわかりますが、はっきり言って使いません。「どこ」はanywhereの意味でしょうが世界という意味もあればいろんな集団、階級、所属も指します。つまり、本人が貧しい家庭出身であるが、金持ちやセレブとも物おじせずに話せるというような意味で使えるでしょう。
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- qwe2010
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回答No.2
私のイメージでは、違います。 世界中の誰とでも話せる。 言葉の壁を乗り越えて、つまり翻訳して話すことができる。 (電話とか、メール、等で) どこからの誰とでも。 日本国内の、誰でも会って話すことができる。 どこの誰とでも (家にいて、通信機器で) どこからの誰とでも→ (どこから来た誰とでも)と受け取れる