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人は生まれ変わりますか?基準やルールは?

人は生まれかわると言う方に質問です。もし輪廻転成が本当にあると仮定するなら、みんなそれぞれ前世が有ったという事になります。魂のみが新たな生命に宿ると言う事ですが、どの様な基準でどの肉体に行くと決められるのですか? もし僕の父と母が会って無かったら僕は違う生命体に産まれてきていたということになりますか?もしそうなら今より幸せな人生か不幸な人生歩んでいるのでしょうか?それとも幸福度が全く同じの人間に生まれているのでしょうか?ただ、幸せ度は物差しで計る事は無理です(価値感が人によって違います)。さらに魂自信がどの生命体に生まれるのかを選べるのならまだしも、選択の権限がなければ不公平な気がします(人生の目的が前世でのカルマを解消するというのが本当なら話は別ですが、それでも人間の価値観は子供の時の環境やDNAに左右されるのでその事も考慮した上で。例:家が貧乏でも親がちゃんとしてれば幸せ生きる事ができるまた逆も然り)。 あと最後に、魂はいつ肉体に入るのでしょうか?受精した時でしょうか?それとも産まれてくる時でしょうか? 非常に難しい質問で申し訳ありません。

みんなの回答

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

来世において貴方がまた人間に生まれ変われるとは限りません。便所虫に堕落する可能性もなくはないでしょう。万物の霊長、人間になっている現在が貴方の絶頂期だと考えて、今を精一杯生きることが重要だと私は思います。いずれ、来世において貴方に更なる幸運が訪れても、現在の記憶がその貴方(の生まれ変わり)に残っていなければ、それらはすべて無意味なことだろうと思いますし。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

highkeita様、こんばんは。 ごもっとも。 「信教の自由なのねん」では、逃げ?

  • k205t
  • ベストアンサー率13% (345/2543)
回答No.4

全ての生き物は、必ず生まれ変わると言われています。 父と母がとありますが、実際にそうです。あなたは存在していませんでした。 魂の方ですが、詳しくはわかりません。 ただ謎の発光物体を目の前で見たことがあります。約9メートル先で。 丸い物体でした。もちろん自転車の電気ではありません。誰もいませんでした。 よく霊の番組がやっています。丸い光った物が飛んでる映像があるかと思います。そんな感じです。 5秒くらいだったでしょうか。そして一瞬で消えました。辺りには誰も居ませんでした。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.3

輪廻転生は仏教的発想ですな。要は無始無終だという発想です。 原因があって結果がある。その結果も、未来の結果の原因となる。 ただ、その因果関係を説明しているだけです。今後、新たな観点があれば ツッコミどころが出てくるかもしれませんが。 で、本題です。魂の肉体への割り当てですが、これも祖母から言われました。 「生きるも死ぬも生命の一状態にすぎない。言うなれば昼と夜みたいなもの。 酒の飲み過ぎで目が覚めたら二日酔いになったり、しっかり風呂に入って 疲れも汚れも落として眠ると気持ちよく朝を迎えられる。生き死にも似たようなもんだ」 こんな感じで。 そう考えれば、死んだ時点で次が決まっているのではないかと。 どんな形になるかは知るよしもないですが。魂と肉体というのもある宗派の 考え方にすぎない。おそらく一神教系の。だから、組み合わせて考えると 歪になるかも。 そんな感じでいいんじゃないかと。

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.2

私は仏教徒ですから、正しい仏法から見た事を書きますが、貴方の疑問がこの回答で解決出きるかは私も自信はありませんが、一応参考にして下さい。仏法では、過去、現在、未来の三世にわたる生命の因果を説いています。この三世の因果は仏法の骨髄であり、これを抜き取ってしまったら全くその存在が失われると言っても過言ではありません。この三世にわたる厳然とした因果の理法の上から仏法においては「臨終」を重要視します。「臨終」分りますか?(人が亡くなる直前)この「臨終」はその人の人生行路の総決算、また未来世への第一歩でありますからその臨終の姿が、それまでに積んできた一切の悪業・善業・死後と来世の状態を如実に顕し、臨終の姿をもって、善人か、悪人か、幸福か不幸か、地獄に堕ちたか成仏したかが、事実をもって証明されるのであります。もっと地獄といい、成仏と言ってもこの世界の他に何か特別な世界があって、地獄の鬼に責められたり、極楽の蓮の上に暮らす事を説いているのではありません。私達の宗派では「地獄というも成仏というも私達の生命の実感をいうのです。」との教えです。そして、死後の生命が燃え盛る溶岩の中で身が焼き尽くされているような苦しみを感じていれば地獄であり、歓喜に満ちた楽しみの中に安息していれば成仏というのであります。そしてこの成仏した生命はまた次の新たな生命としてこの世に誕生します。それは日本か外国か誰にも決められませんが魂は厳然と残るのです。「もし僕の・・」貴方は現在、人間として生まれて来たという事ですから、前世においても成仏したという事であり、成仏していなかったら恐らく畜生の生命として生まれていたかも知れません。3歳くらいの子供がお母さんのお腹にいた頃の記憶を話す子もいます。生命の不思議です。なお、私の宗派で頑張った信徒は、どんな残忍な交通事故で亡くなっても死後の硬直はありません。遺体のほっぺは焼却する直前までポタポタです。これを「成仏の相」と言います。人は朝起きて夜眠ります。これと同じく生命も「生」があり、「死」がある。この繰り返しです。何ら特別な事ではありません。他宗においてはこの「死」を一度切り、特別な事と教え、仏法を知らない人達を混乱させ、金儲けのネタにしています。「地獄の沙汰も金次第」ですか?おお怖い。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

仏教での輪廻転生が、ご質問の輪廻転成に該当するならば、「基準やルールは?」前世での行いによって、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界に送り込まれますので、ご質問のようにそれに沿った環境に生まれ変わるだけです。 「それでも人間の価値観は子供の時の環境やDNAに左右されるのでその事も考慮した上で。」という、環境要因は価値観形成に影響がありますが、DNAという先天性の要因が価値観形成に影響あるという知見は寡聞にして知りませんし、それがあったとしても、仏教の輪廻転生のシステムでそのような夫婦のもとに生まれ変わるとされるだけのことです。