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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:素朴な疑問なのだが。。。)

人を愛する心の欠如についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 人はいつから自分が愛されたと誇るようになったのか?そして、どのような経緯でこのような発言が生じるようになったのかについて考えています。
  • 「あなたの事なんかどうとも思ってないわよっ!」や「あなたが私を好きになったんでしょっ!?」など、最近多く聞かれる自己愛発言に違和感を覚えています。
  • 好きになった人を愛する心や、相手が自分を好きになった事に対する心の欠如に疑問を感じています。なぜ自己愛が増えているのか考えさせられます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.4

少なくとも新約聖書には「オマイラはどうして愛されることばかり考えて、愛することを考えようとしないのだ。信仰薄き者たちよ」とイエスが嘆いている場面がありますので、おおよそ2000年前からそういうことはあったのだと思います。 また仏教では、根本的な煩悩を「三毒」といいますが、その三毒のうちの「貧(とん)」は「求めようとする心」ですから、この中に当然「愛するより愛されようとする(与えるより求める)」が入っていると思います。 お釈迦様は諸説あるけど2500年くらい前の人です。 2000年前の中東にも、2500年前のインドにもあったということは、それ以前より世界中のあちこちであったと考えてもいいんじゃないかと思います。 質問者さんだって、お金を払うより、もらうほうが嬉しいでしょう?もちろん、私もそうです。自分が稼いでいることを自慢する人はいますけど、自分が使ったことを自慢する人はあまりいませんものね。「使えるほど稼いでいるのだ」という自慢の場合はありますけどね。 そういえば、「俺はこれだけ食べられる」という大食い自慢はいても、「俺はこれだけ出す」というウンコ自慢は聞いたことがないですものね。人間というのは出すより入れるほうを自慢するものなんじゃないでしょうか。

noname#207138
質問者

お礼

面白いですねー(^^) なるほどー。 と言う事は古今東西遥か太古から同じと言う事はこれからも続くんですねー。 めんどくさいなー。

その他の回答 (3)

  • satouenn
  • ベストアンサー率13% (286/2073)
回答No.3

愛された、ということは選ばれた、ということに繋がるからではないでしょうか。 選ばれるということは、他よりも何か優れているところがあった、という証明になるので。

noname#207138
質問者

お礼

そうですよねー。 「選ばれた」感が大事なのかなーと私も思うところ多いです。 つまりはNo.2さんの仰る様に自信がイマイチなんですかねー。 自信があれば優れているとか劣っているとか気にしないのではないかと思いますものねー。

noname#235784
noname#235784
回答No.2

愛されたいからです。 好かれたいからです。 きっと 自分に自信がないのかもしれません。 愛せたら良いのですが。 回答になっていなかったらすみません。

noname#207138
質問者

お礼

こんにちは。 >愛せたら良いのですが。 そうですねー。 私も自分が好きになった時はそれを認めるも、中々人を愛する事の無いタイプなので、少々恥ずかしい気味ですなー。 (^^;)

回答No.1

>いつから人は自分が愛したのではなく、自分が愛されたのだと言う事を誇る様になったのでしょう。 紀元前からあるような気がするがね。旧約聖書に載ってそうな文言だ。 >また、もしくは、どのような経緯でこのような発言が生じる様になったのでしょう? 事実を作ることで自分という人間を自慢したいからじゃないのか?

noname#207138
質問者

お礼

こんにちは。 やはり自慢ですよね。 自慢する事に集中するあまり「自分には人を愛する心が欠けてます」という宣言に半ばなってしまっているのには気が回らないのでしょうかねー。 こういう事を言う人の多くは自分が他人を好きになると言う事を認めない気味の傾向があるというか、「私じゃなくあなた」という言葉が多いのですが。