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キックボクシングが生まれた経緯
キックボクシングが生まれた経緯について教えてください。 wikiにはこう書かれています。 一方、野口修は1962年(昭和37年)8月24日に後楽園ホールで開催された日本で二度目のムエタイ試合を観戦して感激し、空手対ムエタイの興業の可能性を感じた。早速野口は空手家にこの構想を打診するが、この時の相談相手が大山倍達(当時大山道場、のちの極真会館)と山田辰雄だった。1963年(昭和38年)、大山道場から黒崎健時・中村忠・藤平昭雄がタイ王国のバンコクへ向かい、空手対ムエタイの交流戦に参加した。当地では「日本から空手が殴り込みに来た」と大変な反響を巻き起こした。結果は2勝1敗で大山道場勢が勝ち越したものの、敗れた黒崎は打倒・ムエタイを近い、1969年(昭和44年)にキックボクシングの目白ジムを創設して、大沢昇・島三雄・藤原敏男らを輩出した。 なぜ敗れた黒崎は打倒・ムエタイのためにキックボクシングの目白ジムを創設したのでしょうか?キックボクシングは空手とムエタイとボクシングを融合させた格闘技ですが、勝ち越したならいったい何のためキックボクシングを作ったのでしょうか?目的がわかりません。 それと以前から気になっていることなのですが、キックボクシングはムエタイのパクリなのでしょうか?というのもYouTubでよく「キックボクシングはムエタイのコピーだ」や「オサム・ノグチはムエタイの敵だ」などのキックボクシングやキックボクサーに対する攻撃的なコメントをよく見かけるからです。コメントしているのはたいていタイ人です。 知りたいのはキックボクシングを作った人々の目的と、はたしてキックボクシングはムエタイのコピーなのかどうかです。私はムエタイよりキックボクシングのほうが好きなのですが、真相はどうなのでしょうか?
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- lv48
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キックボクシングを作った人々の目的は金儲けのためです。 自分が現役でなく、指導者として稼ぐなら、独立した方が稼げるでしょう。 のれん分けの独立じゃ上納金がかかります。 いつまでたってもトップに立てません。 だから格闘技は無数の流派があるんです。 プロレス団体も自分が社長になるための独立。 キックボクシングは完全オリジナルで稼げると考えたからでしょう。 キックボクシングはムエタイのコピーなのかどうか? 柔道は柔術の進化版という人もいれば、簡易版、スポーツ版、コピーと言う人もいるでしょう。なんと言っても構わないでしょう。 キックとムエタイに限らず、格闘技団体は常に利害関係をめぐって、互いにけなし合います。 精神を鍛えるどころか腐らせる行いです。 そこを逆手にとって一儲けしたのがK1ですね。 しかしこれも暴力団とのつながりや、利害関係のもつれでつぶれました。
- ゆのじ(@u-jk49)
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ムエタイの肘打ちと首相撲を無くしたものがキックですから、コピーというより劣化版というのが正しい。 肘打ちと首相撲を禁ずることで、何とか、ムエタイ戦士と戦える日本人が居るかも、という理解が正しい。 肘打ちと首相撲の習得には、長い練習期間を要するのであって、にわか仕込みの日本人には、なかなかできない。圧倒的にムエタイ戦士が強い。子供と大人の勝負になってしまう。 UFCだって肘打ちありだから、打撃系の練習としてもキックだけでは駄目で、ムエタイをやらないといけない。どちらが優秀な格闘技なのかは、そういう現状を見るにつけ知れる。 あとは、キックボクシングが生まれた経緯としては、日大空手部出身の剛柔流(伝統派空手)、沢村忠の出現が全て。三冠王を獲得した王選手を抑えて、沢村は73年に「スポーツ大賞」を貰っている。