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中華人民共和国の戦争
現中国(1949-)は建国後 戦争で、「勝った」ことはありますか? ※「勝つ」=戦争の大義を勝ち得た、領土を得たなど 実質的に利があったことを示します。
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No.2です 補足を頂戴しました。 確かに中国が正面から正規軍を投入したのは中越戦争だけですね。 これも徹底的に叩きのめされています。 そういう意味では、第二次世界大戦以降どころか、近代戦には勝ったことがない軍隊と言えるでしょう。 第二次世界大戦もネトウヨさんではありませんが、広い中国大陸を利用して日本軍を引き摺り回して自滅させただけです。 ノモハン事件のソ連軍とは根本的に違っていました。 朝鮮戦争は中国軍が勝ったのか負けたのかは定かではありませんね~ お互いに北朝鮮軍、韓国軍を背負っての戦争でしたからね~ アメリカ軍が越境して遼東なり満州でやっていたらどうなりましたかね~ 今度やってみようかということになると一番可能性が高いのは日本ですか? 妙な実証実験は勘弁して欲しいですね。
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「勝つ」=戦争の大義を勝ち得た、領土を得たなど実質的に利があったことを示します。 この定義であれば現在も南シナ海でやっています。 大義は、元はと言えばオレのものという大義で、占拠した島に、滑走路や港湾施設を作って、国民に観光旅行をさせています。 別にフリピン政府発行のビザも取得していなければパスポートを持って検閲を受けている訳ではありません。 フィリピンの漁民を追い散らして、好き勝手に魚を採っています。 ベトナムに何の断りもなく、潜水艦やら何やら軍艦を停泊させています。 放っておけば尖閣諸島へも乗り込んでくるでしょう。 古くは1951年にラサへ進攻した後に続いたチベット動乱(1956~1959)は名称は動乱でも戦闘行為をともなった戦争でしょう。 結果としチベット地域を支配下に組み入れています。 参考 チベット動乱 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/チベット動 内モンゴルなども内乱を起こさせて、勝った方に自治区とかいって統治させて、北京政府の支配下に置いていますから、これを戦争で勝って手に入れたと考えるかどうかです。 第二次世界大戦までのように、宣戦布告をして正規軍同士が真っ向正面から衝突する方策を採っていないだけです。 インド国境ではチョロチョロ出入りして年中インド軍と小競り合いを繰り広げています。 相手にスキがあったり弱ければ何時でも支配地域を広げて来てきます。 ベオナムでも米軍を追い出した後に大きな顔をして乗り込もうとして時のベトナム政府に手ひどく追い返されています。 参考 中越戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/中越戦争 これは中国では絶対に学校では教えないそうです。 単純に勝った負けたの判定ができない時代に入っています。 もう少し定義に柔軟性を持たせてお考えになられることをお勧めします。
お礼
色々とありがとうございました! 朝鮮戦争のとき 中国人民解放軍は、捕虜として使っていた元国民党の人々を歩兵として 扱って、突撃させたようです。逃げる者は後ろから共産党の軍が撃ち殺したとか・・
補足
ありがとうございます。 いいかえれば 【帝国主義的覇権行動は、奏功している】 ということですね。 ふと思ったのが 国家対国家の戦争 →朝鮮戦争、中越戦争などの【戦争】では 中国は必ずしも買ってないと思ったんです。 正規軍通しの戦いでは 決定的な勝利を納めてないのでは?
- tzd78886
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内戦を含めれば、天安門事件を含めて勝ったと言えるかと思います。「鎮圧」と表現していますが。
お礼
内乱については、鎮圧しただけで アメリカがバックについた朝鮮戦争については 負けてはいないというだけ 中越戦争は、負けていますね。 決定的に勝ったことはないと思います。
お礼
「中越戦争」は、目的は膺懲でしたよね もしかしたら、中国は負けない、勝てるという過信が あったのではないかと思います。しかしながら、正規軍で戦って勝った経験はなかった、 しかも相手はアメリカ軍相手に勝てた精鋭のゲリラ軍だったという。 中越に参加した中国軍兵士の話は聞いてみたいなと思いました。。。 「共産軍が無敵」という神話は、第二次世界大戦時に生まれたのでしょうけど 実際は、日本軍と国民党軍の戦争をバックからかき乱していただけですしね 朝鮮戦争の際も、北朝鮮軍が半島の先まで攻め込んだ後も 結局押し返され、元の木阿弥に。 人民解放軍は、戦術も戦略も持ち合わせていないのかもしれません。 朝鮮戦争、中越戦争とどんな戦い方をしたのか気になってきました。 調べてみます!