• ベストアンサー

足利将軍

初代が尊氏で、その父親は貞氏です。それなのに、子孫の将軍は「義」を必ず付けるのはなぜでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#224207
noname#224207
回答No.6

No.5です 補足を頂戴しましたので、追加説明をさせて頂きます。 補足で直義の一件に触れられておられますが、もうチョット込み入った事情がありそうです。 足利氏の始祖以来尊氏までの偏諱については 下記のサイトの「北条氏による一字付与について」という項目に説明があります。 これによれば、足利氏は元来嫡流家の歴代当主の諱は 「得宗の当主の偏諱+通字の「氏」」で構成されているとされています。 尊氏は、結果として源氏系譜の氏族の支持を得て、この恩顧のある母系の北条氏の幕府を倒して自家の幕府をたてていますから、以降はむしろ源氏嫡流を標榜し続ける必要があったのでしょう。 下剋上が一般化する遥か以前の時代です。 取り立ててくれた天皇とも大喧嘩した結果手に入れた幕府です、 しかも関東を支配していた鎌倉公方側は「氏」を偏諱として継いでいました。 何分にも系譜だの氏だの素性だのということを何より大事にしていた京の街で覇を唱え続けるには必要だったのでしょう。 参考 北条氏 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/北条氏

その他の回答 (5)

noname#224207
noname#224207
回答No.5

確かに一族によって偏諱として使う文字に好みがあるようですね。 伊勢平氏・・・盛 北条氏・・・時 千葉氏・・・胤 徳川氏・・・家 源氏も義朝の朝を頼朝が継ぎ、後の足利氏や新田氏に繋がる系統は義家の義を継いでいますね むしろ貞氏、尊氏の方が例外的な存在です。 義家の義を継いだ足利氏の場合には「義」を使うのは京都側の一族で鎌倉側の一族は氏を継いでいますね。 足利一族の場合武家とはいえ平穏な時代が続き公家化していきました。 中間の世代の人で始祖同等に一族の誇りとされるような業績を残した人がいなかったということもあるかと思います。 世代が経つといいますか後世ほど、政治への意欲を失い、将軍職も形式化していって籤引きで将軍職を継ぐ人間を決めるということもやって除けた一族ですからね~ あと家臣などに偏諱を与える場合に自分の義以外の文字を与えています。 こうなるといよいよ直系は義を継ぐことになります。 これ等のことから推察しますと、一つは始祖の偏諱を継ぐことで直系を表す意図もあったのかと思います。 うっかりしますと始祖の出身地である関東には鎌倉公方なる一族が控えていました。 この一族とも峻別しておく意識もあったかと思います。 京都側で氏を継いだ人がいません。

tzd78886
質問者

補足

以前は、「副将軍」と言われた弟の直義を死に追いやったので、せめてもの報いに義を付けたのかと思っていたこともあります。そうではなさそうですね。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.4

まったく武力の無い形式的な宮将軍のことを忘れていました。失礼しました。征夷大将軍=源氏と権威付けられたのは足利義満の時からでした。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.3

「義」は八幡太郎「義家」の義です。源義家は頼義の子で後三年の役で勝利します。関東の源氏の祖なのです。足利氏が源氏の直系であることを表しているのです。源氏だからこそ征夷大将軍になれるのです。

tzd78886
質問者

お礼

鎌倉幕府の将軍のうち、源氏の家系が滅びてから北条氏によって就いた傀儡将軍は源氏ではないと思いますけど、私の思い違いだったでしょうか。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.2

ithiです。 なるほど。ただ、鎌倉幕府創始者の頼朝の、頼、朝もかなり使われていますよね。義にこだわるのには何か理由がありそうです。 頼の字は頼朝のほかに頼光という大江山の鬼退治で有名な武将がいます。ほかに前九年の役で安倍氏を滅ぼした頼義という人もいます。一説によると義の字もあります。また、朝の字は頼朝の父義朝がいます。 大抵の場合、武勇や活躍にあやかるために先祖や親戚や先輩の武将の諱を一つ頂戴するという意味もあると思います。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

tzd78886 さん、こんばんは。 それは足利氏が征夷大将軍になり、再び天下を取ったからです。初代尊氏は最初は執権の北条高塒の「高」をもらって高氏でしたが、後に後醍醐天皇の「尊」の字をもらって尊氏に改めます。またその父貞氏も元は北条高塒の父である貞時から一字をもらっています。これは偏諱といってお互いの人間関係がより親密であるということを表す当時の習慣でした。 足利氏が天下を取ったことで再び源氏の政権ができたわけですから、これから偏諱を贈る側になったのです。そこで歴代の源氏の武将で多く使われた「義」の字が多く使われたのでしょう。 詳細は下記のURLを参照ください。 足利尊氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F 足利義詮 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E8%A9%AE

tzd78886
質問者

お礼

なるほど。ただ、鎌倉幕府創始者の頼朝の、頼、朝もかなり使われていますよね。義にこだわるのには何か理由がありそうです。