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愛とは?
愛、とくに男女の愛についてお尋ねします。 人の心って時間のなかで変わっていきますよね? 多かれ少なかれそうだと思います。 そのなかで「愛してる」「好きだ」と言われてもその時だけのもので、いつか変わってしまう失ってしまうと思えば空しくないですか? ずっと誰かに愛される、愛し続けられることなんてあるのでしょうか。 これからの人生、傷つくことや悲しい別れがあるのなら、恋愛なんて辛いだけでしたくないとおもってしまいます。 みなさん、愛をどのように考えて生きていらっしゃいますか?
専門家の回答 ( 1 )
- 専門家吉田 修(@osamucom0409) 産業カウンセラー
はじめまして。 読ませていただきました。 愛という漢字は、元々、髪を振り乱し足がもつれている様子、または、後ろ髪を引かれるような気持ちで別れを惜しみ、振り返っている様子とも言われています。 むかしは「愛し」と書いて「かなし」と読ませて、悲しい気持ちを意味していました。 江戸期には恋愛という言葉はなかったらしく、明治期に恋愛という概念が外国から入ってきましたが、西洋かぶれのおかしな行為と受け取られていました。 なので、質問者さんの気持ちは、明治期以前の日本人なら誰でもがもっていたあたりまえの心情と、さほど変わらないものではないかと深く感心しました。 これに対して、恋慕の情というのがありまして、恋とは長く変わらず想い続けること、例えば田舎が恋しい、母親が恋しいといいうとおりで、慕は、憧れるや、敬意をもって引かれるという意味です。 こちらは恋愛とは違って、もっと広く、郷土や風景、家族や恩師恩人友人知人、その他いろいろに使われており、人の変わらぬ想い全般を指しています。 ですから、昔の日本人は、男女の仲なんてものより、そういう想い全般を大切にしており、どちらかと言えば男女の仲はままならないもので、いつまでも未練たらしく想うことを野暮だと考えていたようです。 明治期以降、愛や恋などは異性に対する感情となって、可笑しな事になっており、質問者さんの疑問は誠に正しい疑問だと思います。
吉田 修(@osamucom0409) プロフィール
産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会) 吉田修(株式会社Dream・Giver) ■ご質問者・みなさまへ■ コーチング最新メソッドを使い、自分でできる、気持ちの切り替え方法をご提案しま...
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お礼
愛を変わらぬものと捉えることが、そもそも誤りなのですね。昔の日本人の感覚では男女の仲は変わらぬものではなく、もっと他のものを変わらぬものとして慕っていたと。すごくあっさりしてて好きです。エゴがなくて。確かに日本語の愛は西洋のものとは違うと思います。男女の感覚も違うし。「愛してる」って日本語なのに外国人が言いそうなセリフですよね…。 でも今は平成なので、日本らしい日本人はほとんどいないです。そういう彼らと恋愛をしていると愛ってなんだろう、と悩んでしまいます。