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皆さんの「愛の定義」を教えて下さい
またまた愚問にお付き合い願います。 今日は、「愛とは何ぞや?」ということです。もちろん愛と一言で言っても親子愛、兄弟愛、男女間や同姓間の恋愛など様々ですが、今日お聞きしたいのは恋愛についてです。当然のことながら、「愛」の定義がひとつしかないとは思っていませんが、ボクは個人的に、「愛とは、相手の好きなところも嫌いなところも全て含めて大切にすることで真の喜びを得られるもの」くらいに思ってます。でも、本当のところはどうもよくわかりません。是非、皆さんの「愛」の定義を教えてください。宜しくお願い致します。(^〇^)
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『愛』ですか・・永遠のテーマですよね。 わかりやすく、恋と愛の違いで私的にアドバイスできたらと思います。 「恋」とは、なにより見返りを求めるものだと考えます。 好き。だから相手にも好きになってもらいたい。 それは当たり前の話ですが、「愛」とはそれを超えたもの。。 例えば、愛する人が結婚したとする。 それでその人が本当に幸せになれるなら、愛は身を引くことができる強さを持ちます。 他人の幸せを心から願う。。 そんな一番難しいことができてしまうのが本当の愛なのかもしれません。 【恋】とは、心でかんじるもの。 【愛】とは、心に生きるもの。 どちらも、人間にとって一番大切な感情だと思っています。
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- goonee
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愛とはこうだ!!って断言できる人がいたら見てみたいです。 愛とは抽象的に述べるのならば誰でも出来るけれど、 読み手としては共感を持つものもあればそうではないのもあります。 これは事実であって、揺るぎません。 じゃあどうすればいいか?って考えると僕は消去法で愛を考えています。 少しは真実味があふれてはいると想います。 でもやはり抽象論であることには違いなのですが。 まず自分勝手な気持ちは愛か?と問われたら、やはり違いますよね? 快楽のために他の人と浮気したり、家庭内暴力とか、相手と相談せずに金を使いまくったりするのはどう考えても愛ではないですよね? ここだけでとりあえず自分勝手な気持ちは愛ではない、と。 じゃあ相手のために想う事は愛なのか?と考えたら・・・ たとえば、相手にとって幸せある事なら何でも出来るよ!って想ってる男性も女性も結構いますよね。 そして究極なのが、「相手のためならこの命を惜しみません」 だけどこういう人に限って相手が自分のために命を捨てようとするのなら、、、 どうなるでしょうか? 屁理屈をこねてでも阻止しますよね? 自分はよくて相手は駄目、という気持ちは所詮自分勝手な気持ちでしかないのです。 悪く言えば自己犠牲なのです。 だからここまで考えると、 愛とは自分のために考える事でも相手のために考える事でも愛ではないのです。 綺麗な言葉で言うのなら自己愛とでも言うのでしょうか・・・。 じゃあ愛とは何なのかと言うと少なくとも愛とは二人のためにって考える事だと想います。 そのためには気持ちと気持ちを寄り添わせるために、 たくさん対話をする事だと想います。 気持ちのズレをなくすためには血がにじむ程努力をしないといけないと想います。 結婚したからって愛してると言えないし、 いたずらに時間がたったとしても愛してるとは本来は言えないと思います。 そして二人の気持ちが寄り添って二人の幸せを純粋に考えられるようになったら愛なのではないかなって思います。 そしてその気持ちが永遠であれば本当の愛ではないかなって思います。 しかし懐疑的に考えると自分の精神と相手の精神を全く純粋に一つにする事なんて不可能ですから、愛なんてないって結論になりますが・・・。 それでも愛はある、と信じて今二人でいつも対話しています。
お礼
ご尤も。参考になりました。 ありがとうございました。
- ahox2
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taka-1314さんも言ってましたが、愛とは真心だと思います。そして恋は下心!?笑 愛についてというより、愛と恋で考えてみたいと思います。 「恋」とは自己中な気持ち。好きだ好きだと言いながらつまりは自分が満足できる事が大切で、「俺は」「私は」といった気持ちが先行してしまうような気がします。 それに対して、 「愛」とは相手をとても大切に思う気持ち。自分よりも相手を思いやれる事だと思います。自分の損得や見返りよりも相手の幸せをまず考えられる。そんな気持ちじゃないかと思います。 だって人は、相手から幸せを与えられた時よりも、相手に幸せを与えられた時の方がずっと幸せなんだと思うから。
お礼
自己中心的な愛は困りますもんねぇ。世の中には損得や見返りを前提に恋愛をする人もいるようだし、そのへんは難しいですね。参考になりました。 ありがとうございました。
- mukudori
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循環するものだと思います。 循環することで心がろ過されたり、反対に濁る事も。 自分が素直にならなければ、相手には曲がった愛情が流れていくし、それはやがて自分に還ってくる。 自分が素直になれば、相手に誠実な愛情が流れてそれが自分に還ってくるものだと思います。 それらはずっと互いを巡り、循環し続けるものです。 循環する愛情に乗って、言葉遣いのくせや、感じ方、考え方、笑い方やしぐさなども流れて来て、自分の中に吸収した分、相手に似てきたり。 結果、恋愛の悩み、相手の気持ちが分からない時には、案外自分の相手への気持ちを先に見つめる事が良いし、相手を見ていると、案外自分を知る勉強にもなったりするように思います。 そこが恋(片思い)とは少し違うとも思います。
お礼
なるほど、伝達物質のようなものですかね。相思相愛であればこのような循環が円滑にいくのかも知れませんね。参考になりました。 ありがとうございました。
私の定義では「自分の命を捨ててでも守りたいと思う感情」です。 例えば、乗っていた船が沈没して、なんとか泳いでいるがもう力尽きそうになった時、人一人だけを浮かすことができる木片があったとします(二人つかまると沈むという意味)。そんな時にその木片を相手に譲ることができる(当然自分は力尽きて溺れ死ぬ)、それが「愛」だと考えてます。
お礼
お~、映画タイタニックを思い出しました。確かに自分の夢や命と引き替えにすたいと思うくらいの感情はまさに強い愛を感じますねぇ。でも、ボクの場合なかなかそういう状況って少ないし、そのくらいに他人を愛すること自体が少ないかな(笑)。参考になりました。 ありがとうございました。
- fushigichan
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minojunさん、こんにちは。 >ボクは個人的に、「愛とは、相手の好きなところも嫌いなところも全て含めて大切にすることで真の喜びを得られるもの」くらいに思ってます。 かっこいいですね。 私も、理想はそうありたい、と思います。 私にとって恋愛の愛は、 「相手を、誰にも渡したくなくて、相手からも、一番に思われていたい」 ということかなあ、と思います(単純ですけど) その「好きという気持ち」が、もっともっと強くなってきて、 相手の欠点とか、全て含めて愛せるようになったら、 その愛は、本物なんでしょうね。 ご参考になればうれしいです。
お礼
いやいや、かっこいいかどうかわかりませんが、どうも“真の喜びを得られる”という部分は批判を受けそうな気がします。真の喜びが得られないと愛さないのか~?!ってね。喜びを得るといった見返りすら求めないのが本来の愛なのかも知れません。 ありがとうございました。
- taka-1314
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私は「自分よりも大切だと思う感情」…ですね。 昔は、あるアニメから取った「感情が生み出した粘膜」なんて思ってましたが(笑) 有名な言葉で、恋は下心、愛は真心という漢字から取った物もあります。
お礼
なるほど、自分よりも大切ですか。短いながらもシンプルで的を得ている気がします。長ったらしく難解な哲学的言葉や美辞麗句よりこっちの方が好きです。 ありがとうございました。
お礼
確かに、愛も恋も人間にとって大切な感情だと思います。いずれにしても何度か経験して辛い経験もした人と、初恋や思春期の純粋な感情ともまた別の意味を持ってくるのかも知れませんね。 ありがとうございました。