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和歌の係り結び
「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」の和歌で係り結びの結びの部分を単語で抜き出せ。という問題なのですが、答えは「住む」となっています。 独学ですので係り結びと言えば「こそ」「ぞ」「なむ」「や」「か」ぐらいしか知りません。 上記和歌でそれらしきものと言えば「ぞ」ですが、和歌中には「ける」がありません。 なぜ「住む」なのかご教授いただけませんでしょうか?宜しくお願いいたします。
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おはやうございます。回答番号1,2,3,4のplapotaです。「お礼」ありがたうございました。 四段活用動詞は、終止形と連体形が同じなのでわかりにくいと思はれますので、下二段活用の例を挙げておきます。 橘の花散る軒のしのぶ草昔をかけて露ぞこぼるる (新古今和歌集241) 「ぞ」があるので、最後が、終止形の「こぼる」ではなく、連体形の「こぼるる」です。 橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする (新古今和歌集245) 「ぞ」があるので、最後が、終止形の「す」ではなく、連体形の「する」です。 >>「ける」「けれ」は過去形とともに使うと考えてよいのでしょうか? 必ずしも時間に制約されるわけではありません。「けり」「ける」「けれ」は、過去形のやうに使用されることもある、といつた程度です。 はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花にもの思う春ぞ経にける (新古今和歌集241) 過去のやうでもあります。一般には「詠嘆」とか言はれます。春が過ぎさつていつたんだなー、へー、うーん、さうなんだ。
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- fumkum
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こんにちは 日本語の原則の一つは、*文末は終止形(もしくは命令形)で終わることです。一般的に日本文の並びは、主語・目的語・補語・述語の順で、述語が文末にきます。述語になることのできる語は用言で、用言は動詞・形容詞・形容動詞のことを言います。この用言に、付属語の助動詞がついて述部になることも多くあります。活用がある品詞は動詞・形容詞・形容動詞に助動詞だけですので、これらが述部として文末にくると、活用がありますので、終止形となって文を終わることになります。 *文(ぶん)=センテンスとも言い、ひとまとまりの思想や感情を表した言葉のまとまりを言いますが、簡単に言うと句点(「。」)から句点まで。「。」から「。」までを言います。 短歌は句読点を付けないので分かりづらいのですが、短歌も実際は文により構成されています。一首が一文であることも多いのですが、二文以上で構成されている短歌も多く存在します。この文の終わりが何区目の後にあるかによって、初句切れから四句切れまでと、中間切れが存在します。質問の和歌では、「わが庵は都の辰巳しかぞ住む。世をうぢ山と人はいふなり。」となり、三句の後に句点が来ることになりますので、三句切れになります。 ところで、原則には例外が多くあります。文末が終止形で終わるという原則にも例外が多くありますが、人間とは不思議なもので、原則と違うもことには違和感を知らず知らずに(論理的に説明できないながら)感じるようで、それが、表現技法として認識されるものがあります。終止形で文が終わらないので、文がまだ続くような、文が省略されているような気分があり、それが余韻・余情、感動と言った感覚に結びつき、技法となるのだと思います。このような文末が終止形をとらない技法には、体言(名詞)で終わる体言止め(倒置法との併用も多い)、省略法、連用中止法、連体中止法などがあります。 では、係り結びの法則とは、次のように定義されます。普通終止形または命令形で終わる文末が、文の途中に係助詞の「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」がある場合、(係助詞が文末に呼応して-係って)文末を特別な結び方をするという法則を、係り結びの法則と言います。文中の係助詞に呼応してそれを受ける文末が特定の活用形で結ばれることとも言えます。係助詞の「ぞ」「なむ」「や」「か」の文末は「連体形」になりますし、「こそ」の文末は「已然形」で結ぶことになります。具体的な例は、次のようになります。左が通常の文で、右が係助詞が文中に挿入されて、文末が係り結びの法則で結ばれた例になります。 宝は山に「あり」。⇒宝は山に「ぞ」「ある」。 (ラ変動詞=あら/あり/あり/ある/あれ/あれ=未然/連用/終止/連体/已然/命令) 橋を八つわたせるによりて八橋といひ「けり」。⇒橋を八つわたせるによりて「なむ」八橋といひ「ける」。 いづ方へまかり「ぬ」。⇒いづ方へ「か」まかり「ぬる」。 (完了の助動詞=な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね) (形容詞ク活用=近く/近く/近し/近き/近けれ/〇=正活用のみ) 男「あり」。⇒男「や」「ある」。 (ラ変動詞=あら/あり/あり/ある/あれ/あれ) *「や」・「か」は意味が疑問・反語なので、良い用例がありません。上記は参考程度に。 よろづのことも、始め終はり「をかし」。⇒よろづのことも、始め終はり「こそ」「をかしけれ」。 (形容詞シク活用=をかしく/をかしく/近し/をかしき/をかしけれ/〇=正活用のみ) 以上の例を見ていただくと分かると思いますが、文の途中に係助詞が挿入されると、文末にある「用言」もしくは「(用言+)助動詞」の活用形が、終止形から、「ぞ」「なむ」「や」「か」の文末は「連体形」に、「こそ」の文末は「已然形」で結ぶことになります。 「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」の和歌については、前記しましたように二文になっていて、第一文の文末は「住む」で、途中に係助詞「ぞ」があるので終止形の「住む」が、連体形の「住む」に変わることになります。「住む」は動詞四段活用で、「住ま/住み/住む/住む/住め/住め」と変化して、終止形と連体形が同じ形をしていますので分かりづらいのですが。 *「和歌中には「ける」がありません。」ということですが、文末に「けり」「ける」が必ずくるとは限りません。係り結びの法則は、文末の活用形が終止形(もしくは命令形)から、連体形あるいは已然形に変わることですので、例にあるように他の動詞・形容詞・助動詞が文末に来ることも多くあり、それが文中の係助詞により変化することになります。 *蛇足ですが、和歌中の助動詞の「けり(ける・けれ)」は過去の意味ではなく、詠嘆(感動を表す)の意味であることの方が多いということがあります。一例を挙げれば、次の百人一首の家隆の和歌があります。 風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎ「ぞ」夏のしるしなり「ける」 後半を訳すと、「禊の行事が、(今日がまだ)夏である証拠なのだなあ。」となり、「ける」を過去の意味の「~た」とするのではなく、詠嘆の意味の「~たなあ」と訳すことの方がしっくりいきます。俳句の切れ字にも「けり」がありますが、これも切れ字が句の切れ目であるだけでなく、感動を表すので、詠嘆の意味の「けり」が、終止形であり、詠嘆なので切れ字になるのです。このように、和歌・短歌・俳句・連歌などの韻文作品の「けり」は、詠嘆の意味に使われることが多いのです。 さて、係助詞の意味ですが、「ぞ」「なむ」「こそ」は強意、「や」「か」は疑問(~か)・反語(~か、いや~ない)の意味で用いられます。この和歌では、「しかぞ住む」の「しか」は「鹿」と「然(しか=そう、そのように、)」が、「うぢ山」は「宇治」の「宇」と「憂」が掛詞になっていて、「そのように(心静かに)住んでいる」と「鹿が住んでいる」の意味が、「世の中を憂しと嫌って」と「宇治山」の意味が掛っています。この中で、「ぞ」は「しか(ぞ)住む」、特に「住む」の部分を強調していることになります。 最後に、係り結びを作る係助詞は、「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」と学校文法ではされているのですが、係助詞の「は」・「も」も係り結びを作るという有力な説が存在します。そうすると、全ての係助詞が係り結びを作る助詞となり、係助詞の定義が、述語と呼応する(述語に係る)助詞ということになります。ただ、係助詞の「は」・「も」が係り結びを作る場合、文末は終止形で結ぶということになります。そうなると、「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」には、係り結びが今一つあり、「人「は」いふ「なり」」の「は~なり」の部分が係り結びということも言えます。 係り結びに関連する事柄については、「結び流れ(消滅)」と「結びの省略」があります。「結び流れ(消滅)」は、本来結びとなる(係っている)述語(部)の下に接続助詞がきた場合、文末とならないので、結びを作らない(連体形・連用形に変化しない)ので、結びが流れた、消滅したと言います。 だいぶ長文になってしまい、わかりづらくなったと思います。参考程度に。
お礼
詳細なご回答ありがとうございます。 他文献も参考にしながら理解していきたいと思います。
- marisuka
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まずはざっくり訳してみましょう。 「私の庵は都の東南で、このようにまあぼちぼちと住んでいる。そんな私を世間の人は「宇治山」(憂し山)と呼んでいるよ。」 このように、この短歌は意味の上で前半、後半の二つに分かれています。「ぞ」の影響力は前半の文の文末には及びますが、次の文にまでは届きません。よって結びは「住む」だと考えられるのです。 係り結びの「結び」は「ける」ばかりではなく、活用のある語の連体形(「こそ」の場合は已然形)であることは、これまでの解答のとおりです。
お礼
回答ありがとうございます。 皆さまの回答で何とか理解できました。
回答番号1,2,3のplapotaです。もう少し。 >>回答の唱歌でも「こそ」は「けれ」では?と思うレベルです。 「煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。」 「住家です」といふときは「住家なれ」ですが、 「住家でした」といふときは「住家なりけれ」になります。 「しかぞ住む」も同様に、 単に「住む」なので「住む」、 「住んだ」ならば「住みける」です。
お礼
御親切な回答本当にありがとうございます。 何となく全体像が見えてきました。 「ける」「けれ」は過去形とともに使うと考えてよいのでしょうか? 上記例文はとてもわかりやすいものでした。ありがとうございます。
回答番号1,2のplapotaです。「お礼」拝見いたしました。 文末のもとの形が「住みけり」でしたら、連体形の「住みける」とか、已然形の「住みけれ」になつたりします。でもこの場合は、「けり」がありませんので、「住む」が連体形の「住む」や、已然形の「住め」になります。 現代語でも、「住む」と「住んだ」は違ひます。「住みけり」は現代語の「住んだ」に相当します。 [住む]の変化 現代語も古語も似たやうなものです。 住ま(ない) 住み(ます) 住む 終止形 住む(人) 連体形 住め(ば) 住め
回答番号1のplapotaです。質問文と同じ「ぞ」の例を挙げておきます。 蛍の光、窓の雪、 書読む月日、重ねつゝ、 何時しか年も、すぎの戸を、 開けてぞ今朝は、別れ行く。 (蛍の光) 「ぞ」があるので、文末の四段活用動詞「行く」は終止形ではなく、連体形です。
「ぞ」の結びは連体形です。「住む」は四段活用動詞の連体形です。 係り結びは古典で覚えるよりも、唱歌でなじむのがいちばんわかりやすいと思つてゐます。 我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。 (われは海の子) 「こそ」があるので、文末が已然形の「なれ」です。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 質問にも記しましたが、全くの素人で回答の唱歌でも「こそ」は「けれ」では?と思うレベルです。 また、。「住む」は四段活用動詞の連体形です。と言われましてもなぜ「住む」が答えなのかわかりません。 お手を煩わせ申し訳ありませんが、再度ご教授いただければ幸いです。
お礼
何度もお手数を煩わせて申し訳ありません。 他文献も参考にしながら理解していきたいと思います。 またわからない事がありましたらご教授下さい。