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嫌なことは忘れたいのに
なぜ毎年、1月17日が近付くと記念行事が行われたり 震災関連のテレビ番組が組まれたりと嫌な記憶を 呼び起こします。 あんな大きな地震は生きているうちには2度と出合う ことはないのになぜ忘れさせてもらえないのでしょうか? もう忘れてしまうのが前向きな人生の歩みでは ないのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
立場によりけりだと思います。 関東大震災をちなんで防災の日が制定されて、毎年この日には避難や救助の訓練が行われています。そのことを考えたら、阪神大震災はまだ20年しか経っていません。亡くした家族や友人・知人を偲ぶ大切な日であることは変わりません。 「いつまで悲しんでいるのか」という気持ちもある意味では正しいと思います。生き延びた人が悲しみにくれることを、亡くなった人が望んでいるとは思えません。また、被災しなかった人にとっては、もう過ぎたことかも知れません。しかし、立ち止まって振り返るのも人間の側面でしょう。
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- windwald
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どうぞお忘れください。そして何も成長しない毎日を送ってください。
お礼
ありがとうございます。嫌なことは忘れ、 新しい気持ちで未来に生きてゆくことが 成長ということですね。
- zkxzm4kz
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質問者の年齢が非公開なのですが、 生きているうちに2度とないとは言えないのです。 大きな地震はけっこうありますし、それが都会か地方かの違いだけです。 それを知らないか地方無視なのかはわからないのですが、 地震や自然災害があったとき、どういう被災があって、どういう行動があったのか、 その後の人々の行動は次の災害には生かされる貴重な経験です。 忘れるのが前向きなのではなく、 経験を次に生かすのが前向きなのです。
お礼
経験で役に立つことが一つでもありますか? あるならマニュアル化して後世に残すべきじゃないのですか? いつまでも語り部のようなことして楽しいですか? ありがとうございました。
- しくみ(@Ndilo)
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はじめまして。 >あんな大きな地震は生きているうちには2度と出合うことはないのに >なぜ忘れさせてもらえないのでしょうか? 忘れてしまうと、また同じ過ちを繰り返すからです。 震災に限ったことではありません。 戦争、大地震、大津波、大事故・・・ こうした悲劇自体を起こさない対策、 起こってしまった時に、被害を最小限にとどめる対策、 こうした日頃から事前の対策を取ることが 重要なことになります。 ですので、記念碑をたてたり、毎年記念行事などを行うことで 風化するのを防いでいます。 「嫌な記憶」=「忘れていい記憶」とはなりません。 嫌な記憶の中には、忘れてはならない必要な記憶があるのです。 被害を受けた個人にとっては 辛い思い出なので、忘れた方がいいかもしれません。 しかし、記憶を風化させてしまって、未来の世代がその辛い思いを 繰り返すのは防ぐべきでしょう。 被害者の方の中には、辛い思いを噛み締めながら 体験談を講演会で伝えることを ライフワークにされている方もいらっしゃいます。 私たちは、辛い思い出に耐えながら 同じ悲劇が繰り返されないことを祈り 行動していくのだと思いますよ。
お礼
日本人は隣国と異なり忘れることが美徳なのです。 同じ過ちも世代が変わると繰り返すのです。 それが日本人というものです。 その美徳がなくなれば、日本人ではないと言えます。 ありがとうございました。
明日にでも死ぬというのであれば、大きな地震はないと言っても良いでしょうけど、これから10年、20年と生き続けていくなら、いつどこで大地震が起きるか分かりません。 嫌なことだからといって、忘れてしまうのでは決して前向きではないですし、全く成長しないことになります。 一つの経験として、これから先の災害時に活かしてこそ、前向きな人生の歩みになります。
お礼
何をどう生かすというのでしょうか? 抽象的な概念では意味がありません。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。防災訓練は大事ですね。 でもメソメソ番組は要りません。