小中高の友達が欲しい。過去を悔やんで戻りたくなる
私は20代前半の学生です。
私は、小中高時代の友達で、何でも話しあえたり、よく会って遊びにいったりなどある程度の仲の友達がいません。
原因は2つ考えられます。1つめは私自身の性格のせいもあったと思います。人見知り、優柔不断、我慢に弱いなど・・・その他諸々です。
2つめは母親が所謂「毒親」的側面を持っていたために(良い母親でもあるのは今では分かっています。否定的感情を植え込むようなことをたくさん言われた気がしてます)、変な思い込みに洗脳されて自分自身に全く自信なく、自分で自分を攻撃し、自分は駄目なんだと思い込み、自分の思うように何事もやることができず、やりたくもないことを無理矢理やって別人格を演じたり、その為周りの人とも本来築きたかったような関係を築けず、不本意な過ごし方をしてしまったことです。
私にとって一番影響が強いのが2番目の原因のような気がしています。。いえ自分の性格も大いに影響していると思っていますが。
本題なんですが、それくらいの時代にできる友達って、すごく繋がりも深く一生もののようなイメージがあり、大変憧れます。というかいないと悲しい人生損してるみたいな強迫観念があります。やはり、そういう良いものですか?また、そういうものなのかなと思って、対して自分はそのような存在がつくれなかったことに対する孤独で悲しい淋しい気持ちと、親があの時ああだったらとか・・・過去に戻ってやり直したい気持ちとでいっぱいになります。
私は、もし母親が毒親でなかったら、友達はできていたのでしょうか?それとも私の性格のせいで、仮にやり直しても結果は同じだったと思いますか?
小中高くらいにできた友達は、やはり素晴らしいものですか?そんなイメージがあります・・・
私の今のこの状態は、とても悲しいものですか?もう手遅れ、残念、ってことはないですか?(きっとそんなこと全くないって返事が返ってきそうですけど、自分の中でどうしてもそうなのではと思いこんでしまうんです)
私は今後から友達をつくっていくしかありませんが、そのような何でも話しあえたり、よく会って遊びにいったりできる友達は今後も新しくできるでしょうか?
私は、今までの人生の過去が失敗作にしかどうしても感じられないんです。。何しろ不本意な自己像を持ちながら歪んで過ごしてしまったから、そんな自分でいた時の全てが不本意に感じてしまうんです・・・ここでは書きませんが、そのような自分だったことによって大変屈辱的な事態を起こしてしまったこともあります。
とにかく過去がトラウマです。このトラウマはどうすればいつになれば抜け出せますか。
ちなみに今はやっと、色々話せるまでの友達はやっと1人と、まぁまぁ話せる知人などはできましたが、私は友達がやっとできて嬉しかったのに、相手からしたら友達のうちの一人に過ぎないと思います。温度差もあるしちょっと悲しいです。しかも小中高など長い友達期間もあった友人関係に比べると、非常に脆く、結束の点で天と地の差があるように感じてしまうんです。(おかしな思い込みだと頭では重々思います。)
私は、くだらないことで悩んでいるかもしれません。もしそうだとしたら、そう言っていただけませんか。
もし私に何か言葉をかけてくださるとしたら、私が前向きになれる言葉をいただけませんか。よろしくお願いします。
お礼
振り返らないために、前進する努力をしまくりたいと思います。 ご回答ありがとうございました。