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三つ子の魂百までは、科学的根拠はありますか?

三つ子の魂百までを信じて子育てするのと、 信じないで子育てするには、かなりの違いがあると思うのです・・・

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  • toshipee
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回答No.1

3歳で、脳は喜怒哀楽のシナプス濃度を判断して、あまり使われなかった感情を捨てることが解明されてます。

その他の回答 (5)

回答No.6

3才までの性格は、ほぼその子の性格そのものを表していると思います。 というのは育てた子供らの本質が3才までの性格を引きずっているからです。 勿論、大きくなれば自身で変わろうとか表向きの性格を出せるようになりますが 慎重さや大胆さ、神経質や大雑把な性格は本当に3才までのその子のそのままなのです。 それはひしひしと感じます。

  • Bankai-37
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回答No.5

科学的根拠ってものすごくあてにならないですよね。 数年後には結局変わっちゃってるし・・・ それよりも、何千年も受け継がれていっる「ことわざ」のほうが 人の本質をとらえていると感じます。 信じる信じないではなく その人の「本質」を形成する時期は、三歳ぐらいまでだと感じています。 子どもを育て上げ 人財育成に25年以上携わっている経験と実績から感じることです。

  • CC_T
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回答No.4

利き手、利き足、利き目。子供のころから死ぬまでの間に、無意識に変わったって人はあまりいないでしょう。 同じようなものと思います。 「三つ子の魂」は生活における判断基準となり、特に変えようと本人が意識しない限りはその延長で成長していくのが普通です。しかし、「郷に入っては郷に従え」なんて言葉もあるように、意識して変えられない癖ってものも無いですし、「朱に交われば赤くなる」事もあったりましすよね。 「雀百まで踊り忘れず」とも言います。 その「踊り」が途中でブレイクダンスに変わることだってあるでしょうが、それがためにそれ以前の盆踊りや子守唄を全て忘れるかというと、そんなものでもないですよね。結局、人生は繋がっているってことです。 つまり「それが絶対」という根拠は無いわけですが、一つ言えるのは「3歳までに変える」のと、例えば「6歳以降になってから変える」のとでは、後者の方が圧倒的な困難を伴います。例えば、子供が2歳の時の親の引っ越しと、10歳の時の引っ越しではどちらの方が子供の気持ちの切り替えがスムーズにいくものでしょうか? 好き嫌いだってそうですし、方言などもそんな感じですね。 3歳以降、つまり物心がつくころからは、「自分」を守るための意識が強く働くようになってきます。 野生の動物で考えてみてください。幼獣が親や巣から離れて行動する事が増えていくと、それまで身についた習慣を守り続ける事が最も確実な「生き残り方法」です。「三つ子の魂」をすぐに忘れるようでは、外敵や自然の環境に相対して生き残って子孫を残せない。つまり生存のための本能として、「三つ子の魂」を持ち続けるのですね。 我々ヒトも、そういう自然の仕組みの中で生き残って進化してきたわけですから、「三つ子の魂」を軽々に忘れる事は本来から言えば「イレギュラー」な事だと思います。

回答No.3

結びの訂正と補足: 「三つ子の魂百まで」が、過度に3歳までの育ちの重要性を強調し、もって幼児教育推進の根拠とするのは誤りです。その後の、少年・少女期の変化と成長との重要性、少年・少女時代を否定してより高次な大人のステージに立つことの重要を軽視するのであれば、それは完全な誤りです。人は、幼児期、少年少女期、青年期等を自己否定しつつ変化していく存在。そのような観点を忘れての「三つ子の魂百まで」の過度の強調は誤りかと思います。

回答No.2

Q、「三つ子の魂百まで」に科学的根拠はありますか? A、否。 >芽が生えることは種子の否定であり、 >茎や葉が伸びることは芽の否定である。 (ヘーゲル)  子供4人と犬12頭を育ててきました。確かに、「三つ子の魂百まで」が正しいかなーと思える節もあります。特に、犬の場合には、生後50日から6ヶ月齢までの育ちで、その後が違います。でも、彼らだって若年期(3歳)までの育ち次第で、その壮年期の有り様に大きな差異が現れます。  この犬の6ヶ月齢以降の育ちによる差異の出現は、ヘーゲルが言うように「犬だって幼少期の自分を否定することで少年少女期の新しいステージを獲得していること」を意味しています。さらに、その少年少女期すら否定することで、より高次なステージの壮年期を迎えていることも示しています。  さて、犬と比較して格段に発達して大脳皮質・前頭葉を持つ子供にとって、幼少期の弱点・未熟さを自ら否定することでステップアップした少年・少女期を迎える意義は、とてつもなく大きいと思います。さらに、思春期の葛藤を乗り越えて、自らの少年・少女時代を否定して高次な大人のステージに立つことは、人生を生き抜く上での最重要課題。  「三つ子の魂百まで」が、過度に3歳までの育ちの重要性を強調し、もって幼児教育推進の根拠とするのは完全な誤りです。「適齢適育」-これが、子供4人と犬12頭を育ててきた私の行き着いた考えです。

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