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魂と肉体 魂とは?

魂と肉体についてお伺い致します。 まず魂とは幽霊や何かの様に自意識だけの存在みたいな解釈があります。 しかし肉体を魂の受容器と捉えた時、「魂は存在にしない」若しくは自意識など存在せず「全て等しい」、「無個性」になってしまいます。 なぜなら心理学に「遺伝要因」と「環境要因」という言葉がありますが、人格の形成はこの2つに基づきます。 という事は魂レベルで考えれば「個性」は存在しません。 「個性」や「アイデンティティー」は遺伝もしくは環境に基づくからです。 そうすると魂って一体何なのでしょうか? 個性やアイデンティティーが無いとすれば、死後の世界に魂が存在してもしなくても我々には関係無いように感じます。 だから全は一、一は全というように魂は海からすくった水の様に考えるんでしょうか? 自分の中で以上の内容を超える解が見つからなかったので質問させて頂きました。 どんな解でも、質問内容に対する感想でも構わないのでご教示頂ければ幸いです。

みんなの回答

noname#228945
noname#228945
回答No.6

魂はソフトウェアでしょうね。 体はハードウェアです。 コンピューターと同じだと思います。 体はハードで、魂や意思などはそこに記録された情報です。 脳の記憶媒体に記録された情報の塊。 いつかそれを取り出すあるいはコピーできる日が来るかも知れませんね。 そうすれば魂は「データ」として扱えるでしょう。

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ハードウェアに記録されたデータが自意識及び魂という訳ですね。 そこまでくれば最早「魂は存在しない」という答えに行きつきますが、そこに至るまでにはまだ時間がかかるでしょう。 また当分の間は存在するかしないかはやはり五分五分でしょうね。

回答No.5

専門家でも研究者でもない普通の人の意見ですのであしからず 魂は肉体と完全に離れた状態で存在しえるのでしょうか? 人は輪廻により生まれ変わるというのは仏教の教えですが、よくよく読むと、私たちが一般的に考える魂(自我を持った霊魂)というのを日本仏教は否定しています じゃあ何が輪廻するのかと、人の意識の中にある無意識なんだそうです この無意識も私たちが普段使っている「無意識」とは違う意味の仏教用語で、個々自我を一切排除したものらしいのですが、正直よくわかりません しかも、肉体が消滅したときに、その無意識もさえも一度消滅して、同時に新な無意識がどこかで生まれるのだそうです パソコンで例えるなら、ハードとソフトは同時に消滅し、そのソフトと同じプログラミングが入ったハードが作られる、といったところですかね どちらにしろ魂だけが肉体と離れてどこかに存在することはないと思います 例えるなら人が死ぬのと同時にその人の遺伝子を使ってクローンを作り出すようなものですかね これなら輪廻はしているが自我は全くの別人です(よね?) そう考えると輪廻をするとは子孫を作って自分の遺伝子を繋いでいくことなのではないかと思ったり思わなかったり

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者様の理屈であれば、前世の記憶なども説明できますし、現世の理論の範疇を超えずに思考できます。 またDNAと魂はセットであるという事であれば、脳や肉体のデータ化やクローンについても面白い解釈が出来そうですね。 日本仏教について見識を深めれば、私の解釈も変化してきそうです。 参考になりました。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.4

>>DNAが生来的な脳の構造や性別・身体的特徴を包括するなら魂は無個性と捉えても構わないんじゃないでしょうか。 「自意識が存在しない」は確かに言い過ぎかもしれませんが。 DNAは、コンピュータに例えるなら、ハードウエアですね。そして魂がソフトエアです。 コンピュータの性能がCPUの性能や、メインメモリの容量、ハードディスクの容量に影響されるのは確かですが、その個性・特徴はソフトウエアにあります。 ハードウエアがいくらあっても「コンピュータ、ソフトがなければただの箱」といわれます。 自意識に相当するのがソフトであり、それが魂です。 >>しかし個性や人格を超えたところにある魂って何なのでしょうか。 少なくとも現世の自分には無関係に感じてしまいます。 普通は、そう思えてしまうでしょうね。 例えば、自動車を自由自在に運転できるようになったら、「自分は車である」と思ってしまうみたいなものでしょう。

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 コンピューターの例えを少し広げると、ハードウェアがDNA、OSが魂、ソフトウェアが精神・人格という解釈で良さそうですね。 やはり少し盲点だったのは、魂が論理で説明出来るものではないという前提ですね。 分かってはいるはずだったのですが、改めて感じた次第です。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1153/9140)
回答No.3

物質としては肉体が常に入れ替わっていることは周知の事実ですが、魂なるものは物心ついて以来連続しているもののように考えられています。ここに謎があります。どういう仕組みで我々に魂は連続と思わせるのか。

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに連続的な時間の流れに基づく意識や魂の連続性というのは不思議なものです。 時間的奥行きとはいったい何なのか?という問いに近いものを感じます。

  • shiren2
  • ベストアンサー率47% (139/295)
回答No.2

>なぜなら心理学に「遺伝要因」と「環境要因」という言葉がありますが、人格の形成はこの2つに基づきます。 どういった遺伝子を持った体に生まれるか、どういった環境になり、どういった出来事と遭遇するかも、そもそも業によるというのが仏教やスピリチュアルの思想です。 そして業は肉体ではなく魂の側に積まれるものです。 聖書でいう天国に積む富とはこのことです。 キリスト教的にいえば、天国に積まれた富は死後の行き先に影響するし、 仏教的にいえば、業は来世に影響します。そして今生は過去生の業の結果でもあります。 この辺りの思想を押さえておけばひとまずは充分かと思います。

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはり論理の出発点として肉体や人格形成以前のところにあるようです。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>しかし肉体を魂の受容器と捉えた時、「魂は存在にしない」若しくは自意識など存在せず「全て等しい」、「無個性」になってしまいます。 この論理展開には無理がありますね。 肉体を魂の受容器ととらえるのはいいのですけど、そうしたとき「魂は存在しない」「自意識など存在しない」とか「無個性」という結論を導く根拠はありませんね。 「肉体」が「魂の受容器」と言われるなら、そういう論理展開は自己矛盾です。 >>なぜなら心理学に「遺伝要因」と「環境要因」という言葉がありますが、人格の形成はこの2つに基づきます。 心理学は、魂のことは全く分かっていませんから根拠になりえません。 >>そうすると魂って一体何なのでしょうか? 人間の本質であって、車と運転手の関係でいえば、肉体が車であり、運転手が魂です。 車が古くなって、修理してもきちんと動作できなくなれば、それは廃車にして、運転手は別の車に乗り換えます。それと同じようなものです。 魂は永遠の生命を持ち、あの世とこの世を転生輪廻する存在です。あるときはイギリスに貴族男性として生まれ、次には米国で黒人女性奴隷となり、その次の人生は日本に普通の階級で生まれたりとか、まあいろいろ経験して魂は成長(ときには堕落)していくのです。

daiamon3
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >この論理展開には無理がありますね。 肉体を魂の受容器ととらえるのはいいのですけど、そうしたとき「魂は存在しない」「自意識など存在しない」とか「無個性」という結論を導く根拠はありませんね。 そうでしょうか。 DNAが生来的な脳の構造や性別・身体的特徴を包括するなら魂は無個性と捉えても構わないんじゃないでしょうか。 「自意識が存在しない」は確かに言い過ぎかもしれませんが。 >心理学は、魂のことは全く分かっていませんから根拠になりえません。 魂の事は解っていませんが、人格形成などについては解っています。 回答者様は恐らく、現世の論理的範疇を超えた処に魂があるとお考えの様ですね。 私は「魂⁼人格」という考えに囚われていたようです。 しかし個性や人格を超えたところにある魂って何なのでしょうか。 魂が輪廻転生したり成長したりするのは解りますが、少なくとも現世の自分には無関係に感じてしまいます。 それが「浮世」ってやつなのかもしれませんが。

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