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村上龍の「趣味」に対する見解について、どのように思

村上龍は「趣味」を、教養は深まらない、洗練された暇つぶし、安全的、余裕がある、などと捉えていますが、皆さんは村上龍の「 趣味」に対する見解についてどのように思われますか

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回答No.1

村上龍の「趣味」という言葉の意味範囲が狭いように思います。 私が考えるに、村上龍にとっては  趣味 = 教養は深まらない、洗練された暇つぶし、安全的、余裕がある なのではないでしょうか。 私は、趣味として、仏教やキリスト教、神話などを調べ勉強しております。 そして、数学、物理、哲学なども、私にとっては道楽の一つに過ぎず、アニメを見る、音楽を聞くことと大差ない行為です。 いろいろな事を知ること、あれこれと考えることが楽しいからやっているだけであって、教養を身につけようという理由から行っているわけではありません。 また、こうした行為によって教養といわれるものが身についたとしても、それは結果に過ぎません。あくまで楽しいから、好きだから、私はやっているだけです。 この哲学カテで私が質問をしたり、回答をしたりする行為は、洗練されているかどうかは知りませんが、確かに、暇つぶしの一面はあります。 しかし、バカ、アホウ、基地外(当て字です)などと何度も呼ばれており───つまり、私は何度もこの哲学カテで他の人から全人格的に否定されている───、 「この《哲学カテ》はけっして安全な場所でも、余裕のある場所でもありません」。 かなりのリスクを背負ってやっているんです。 そして、教養は深まっていないかもしれませんが、私の考えは確実に深化しています。哲学カテで質問、回答をする以前より、いろいろな事を、様々な角度から深く考えられるようになっています。 単なる「遊び」でさえこのような効用があります。まして趣味ならば、単なる知識以上のことを、その趣味を通じて学べるのではないでしょうか。

noname#233790
質問者

お礼

村上龍は他にも「趣味」を、 リスクがない、考え方を変えない、と捉えていますが、回答者さんの趣味は村上龍的には「趣味」ではなく「仕事」なのでしょう ですが、回答者さんがそれを「趣味」としているならば、金銭の発生があろうと、教養的であろうと、本人の認識次第なのでしょうか

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その他の回答 (3)

  • pahiko
  • ベストアンサー率12% (3/24)
回答No.4

認識が甘い なんでもつきつめれば 神業までいく 博士レベルまでいく 作家も 書くのは 趣味のはんい

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  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.3

なるほど、村上氏は最近、そういうことを言っているんですか。今調べたら、その手の本なども出したようですね。読んではいませんが、このご質問に書かれたようなことが書いてあるなら面白そうです。 村上氏のような全共闘世代は、人を刺激するのが好きなので、かなり反論の余地を残して書いているのだろうと想像できますが、趣味を続けるうえでの心がけとしては参考になりそうだと、このご質問を読んで感じました。 村上氏のような小説家もそうでしょうけれど、私は趣味と仕事の線引きがあいまいな生活をしています。したがって、うっかりすると、「純粋に趣味として何かを楽しむ」ということをしそこないます。そういう時に氏が言うようなことを基準にしていれば、趣味を趣味として楽しみやすいだろうと思います。 また、趣味は趣味で、続けているうちに、教養を求められたり、時間を拘束されたりしがちです。しかし、そうならないように気をつけることで、趣味を趣味として長く続けられそうだと感じました。 逆にいえば、教養や危機や拘束をこそ、仕事で追求すべきなのだなと感じました。確かに、面倒な仕事に直面すると、「これを乗り越えれば、その分だけ教養が深まる」と感じながら頑張ることがありますし、ハラハラドキドキして嫌だなと思うこともありますが、それを仕事の一環として楽しめばいいのだなと思いました。

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回答No.2

仕事と趣味を区別するのならば、 そこに強制力や義務などの有るか無いかで区別するべきなのでしょう。 プロの野球選手やプロの棋士は、 みずからの楽しみとしてだけではなく、生活の糧を稼ぐ職業として、野球や将棋、囲碁を行っています。野球や将棋、囲碁を止めるということは、職業、つまり生きていくための生活の糧を失うことを意味します。 アマチュアのように嫌になったからという理由から簡単に止めるということはできません。 しかし、アマチュアは違います。嫌になった、興味がなくなった、という理由から簡単に止めることができる。 こうしたことを安全的、安楽であると表現するのならば、確かにそうなのでしょうね。 しかし、 (職業として)野球をする、将棋を指す、碁を打つという行為によって、いわゆる世間で教養と呼ばれるものがどれほど身につくのかといえば、はなはだ疑問です。 ですから、「趣味は教養は深まらない」というのは如何なのでしょう。 「職業であっても教養は深まらない」ことがありますし、「趣味であっても教養が深まる」ことがありますしね。

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