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ある曹洞宗の学者の心理とは?
okwaveで書き込みをしているだけのユーザーに対して ずっと粘着していやみを書いてくる学者の心理を教えてください。
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荘子に汚染されながら、 「万物斉同の理(ことわり)」を知らない自己中心的な人なのではないでしょうか。 万物斉同 ~~~~~~~ 人の認識は善悪・是非・美醜・生死など、相対的概念で成り立っているが、これを超越した絶対の無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じであるとする説。人の相対的な知を否定した荘子の思想。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E4%B8%87%E7%89%A9%E6%96%89%E5%90%8C/m0u/ ~~~~~~~
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- kurinal
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kazamidori365様、こんばんは。 曹洞宗、って。 これから調べるかどうか
お礼
回答ありがとうございます。 調べる気力がないです。
《野狐の禅》ですか。言い当て妙ですね。 しかし《野狐の禅》は一種、全ての求道者の憧れでもあるような気がします。そして少なくとも、ちょっと前までの日本人は、求道者に対して憧れを持っていたような・・・(^^;)。ここで言う「道」は、「大道廃れて仁義あり」の道とは、全く別物でありますが。 いかに世間知らずで現実的には迷惑であっても、その一途さや純粋さに打たれて、許してしまうようなところが、ちょっと前までの日本人にはあったような気がする(しょうがないから、面倒みちゃるか・・・と)。そしてそれを言ったら、高倉健さんの任侠(仁義)シリーズにだって、似たような心理が働いていた気がする。こうなるともう、「道」も「仁義」もない。 《野狐の禅》ではないですが、自分も一年に一回くらい、TVもPCもコンビニもインターネットも路線バスも酒屋もないようなスキー場で、自主キャンプを張る事があります。路線バスもないから行ったら行ったで、もうひたすらスキーするしかない。酒も呑めないので(←これが重要!)、滑ったら風呂入って飯食って寝るしかない。 そして人間界に下山した時の街の刺激の新鮮さが、なんと清々しい事か!。《滑る事》に《野狐の禅》に、理由なんかいらないのだ。やりたいからやるのだ。これぞ「三昧の境地!」などと勝手に思ってしまいます(^^;)。 なんか取り留めないですが、その道一筋の聖人が俗世間に触れて俗人化する例は、洋の東西を問わずあります。ニュートンも良い例です。東西随一の自然哲学者と持ちあげられ、国会議員となり造幣局長を任命され、そこで醜悪な縁故びいきを行います(要するに汚職です)。まるでTVに出会った、織田無道のようだ・・・って例が悪いか(^^;)。 ※無道さんは、好きなんですよ(^^)。正直だから・・・。 「三昧の境地を知っている」雰囲気を発散する、現実的な迷惑者に対し日本人は、そんなに悪印象を持たないものです。たとえ行動が的外れであっても、そこにちょっと清々しさを感じちゃうのような気がします。 その学者さんは知りませんが、もしかするとその人の「暗黒面」と付き合ってるのかも知れないですね。「暗黒面」は、学者でも(学者は特に(?))誰でも持ってます。
- NemurinekoNya
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仏教には《同事》という言葉があります。 そして、道元の『正法眼蔵』にもこの《同事》という言葉が出てきます。 曹洞宗のホームページにある《同事》の説明のリンク先は http://www.soto-kanto.net/image/radio/250403.pdf 四摂法の《愛語》もなければ、《同事》の精神すらない。 山や堂に籠り、ひたすら《野狐の禅》や《狐狸の禅》に耽ると、狐や狸の類(たぐい)と化し、人の姿はしているけれど人でなくなってしまうんですよ。 だから、 あっちで《野狐の禅》だと言った。
お礼
回答ありがとうございます。 曹洞宗の学者なのだからそれなりに対人関係がありそうな気がするのですが、 孤独な生活をしているのだろうかと、今思いました。
お礼
回答ありがとうございます。 その曹洞宗の学者のせいで、 私の曹洞宗への疑問が出ているので、 関心を持たせる意味では成功しているのかもしれませんが、 曹洞宗を否定させたがっているのか?と思うようになりました。 だとしたらその曹洞宗の学者自身が実は 曹洞宗に対して否定的なのだろう、と。