お礼ありがと。
どっちが不良だかと書いてあったので
成績不良の生徒と
成績不良の生徒を作る教育のどっちが不良だかと
解釈しているのかなと
思いましたので説明します
不良は成績不良の生徒の方だけです。
教育は国民に受ける権利を保証しています。機会均等です。あなたが義務教育を終えていれば憲法の概念については教育はなされました。あなたがその日、欠席したりしていたら、あなたの権利放棄です。憲法でいう平等とは機会均等のことで、結果の平等ではありません。従って、あなたが覚えたかどうかまで均等にする義務はありません。補習なので学習させるのは、あくまでも学校の行為であって成果に対する義務はありません。勉強しなかった
あなたの権利放棄です。
例えば、あなたでも
東京大学を志望できます。機会均等なのだから、あなたにも受験資格は与えられます。しかし、結果の平等ではないから学力がなければ、あなたは東京大学を志望しても合格できません。
このように、権利は機会均等であって結果は保証しないということです。
従って、あなたが
どっちだかという疑問を
持つことは憲法の理念を
よく理解していないと
言うことです。
例えば、表現の自由と
いうのがあります。実際に自由ですが、ひとつだけ
制限があります。それは
難しい言葉で言うと
公共の福祉となりますが
簡単に言うと
他人に迷惑をかけない限り自由ということです。
ですから、裸で街を歩いて、表現の自由を訴えても
他人にとっては猥褻行為で迷惑なわけだから、あなたの表現の自由の主張は通りません
オウム真理教がありました。宗教活動は自由です。しかしながら、これも他人の迷惑なことはいけません。それと憲法には基本的人権の尊重という大前提があり、これは自由を行使する前になされなければなりません。基本的人権の尊重とは他人の生存権を侵害してはならないと言うことです。それだから地下鉄サリン事件は宗教の自由は通用しなかったのです。
お礼
kusirosi様、ご回答ありがとうございます。 ・・・「とことん、知る!」と。