経済的な営みを基準として考えたとしても、人間社会は”より良いもの”や”新しい概念”をもとに変化させていくことを前提としているから世の中がうまく回っていくわけですし、それによって一時的には損をする人間がいても社会全体としては”成長”する方向に向かうのでしょう。そうい意味では、社会全体の成長なくしては世の中面白いもつまらないもないはずで、その成長の根源になるのが少なくとも部分的にはニュートン力学やマックスウェルの方程式をゴミなんてとんでもない、それがこの世のすべてに共通する概念だと考えて世の中を理解しようとする集団によってになっているともいえます。
たとえば、株式市場で儲ける人間がいれば裏には損をする人間がいますが、それが単なるマネーゲームになってしまわないのは、さまざまな人間の思考や思惑、あるいは将来への期待などが入り乱れてひずみが生ずるからでしょう。ほとんどの人間の生きるという営みは何らかの真理の探究が根源となっているのであって、その根源原動力としての経済的な面を正当化するためという意味で株式市場や資本主義が成立しているのだから、それを否定するならばあえてマネーゲームでアホが存在すること自体が成立しなくなる。
もう少し噛み砕いていうと、「何かを開発する、何か事業を行うということは、すなわちアホになるリスクをとってもそれ以上の何か真理や新しいものを得られると勝手に確信をもって誰かが事業を行うからで、それに投資する人間はその先見を見誤れば”アホ”と言われるに過ぎない」のではないかということです。その根拠になるのがあなたの言う”ゴミ”かどうかはどの学問にどこまで基準を置くかでしょう。
お礼
その通りだと思います。 ありがとうございました。