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なぜ裁判員制度が必要か。

裁判員制度をなぜいまさら導入しなければならないのか、必要性がいまいちつかめません。 政治家は利益がないと動かないように思うんですが、この裁判員制度を導入することで誰か利益を得る人がいるんですか。 どなたか教えてください。

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回答No.5

政治家がこの制度を導入することに積極的だったのは、何か「改革している」という印象を国民に与えたかったからです。 行政改革の状況をみてもわかるように、大幅な改革などというものは、利害関係者の反対が強くてなかなかできるものではありません。 それに対して、裁判員制度の導入というのは、非常にドラスティックで大きな改革をやっているという印象を与えることができる反面、裁判制度に利害や関心を持っている国民は多くありませんし、政治家にとっても利害関係の薄いところなので(公共工事のように利権がからむわけではありませんから。)、強い反対もなく簡単に決定できたというわけです。 といっても、実際に実施するのは大変な税金がかかるし、いざ始めるとなると国民にも負担がかかりますから、政府・マスコミを挙げて国民の総教育にかかるでしょうね。これまでの裁判がいかに問題があって、国民が裁判に参加することがどれほど大切か等々、虚実とりまぜて。既にかなり影響を受けている方もおられるようですが。

noname#52183
質問者

お礼

なるほど、そうゆうことですか。 確かに見た目に派手な改革ですね。 最近テレビでも多く取り上げられていますが、教育というよりは「いやぁ、面倒くさい事になりましたね。」と言っているような印象を受けます。 ご解答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.4

私が思うに日本の裁判官が死んでるからです。裁判官自体が近代的裁判をまったく理解していないのです。 日本の検察が起訴した人の99%は、有罪にされています。たとえ警察や検察がどんなに優秀で少しでも無罪になるかもしれない人を不起訴にしても99%はありえない数字です。この数字は裁判官が検察ベッタリだという証拠です。 近年増加している痴漢冤罪裁判も被告人が無罪を証明しなければいけないという自体が大変に多いです「疑わしきは罰せず」という大原則を裁判官は無視もしくは忘れてしまっているのです。

noname#52183
質問者

お礼

なるほど、そういう側面もあるんですか。 知りませんでした。参考になりました。 ご解答ありがとうございました。

回答No.3

裁判官(判事)の判断基準が民間人の心情とあまりにもかけ離れているからではないでしょうか? 彼らはある種、隔離された社会で暮らしていると、わたし的には考えますので、やはり一般市民の心情を判決に反映さすには陪審員制度的なものは必要となってくるのではないでしょうか? 当然、アメリカのように陪審員を買収するなどの弊害も出てくることは否めません。 この制度が確立すれば判事の精神的負担がある程度減るんじゃないかと思っております。 それが良いか悪いかは別として・・・

noname#52183
質問者

お礼

やっぱり裁判官の感覚が一般人とずれてるってことですかね。 裁判官の精神的負担は減るに越した事はないですが、その分じゃあ裁判官は必要か?何の為に給料いっぱい貰ってんだよって気もしないでもなかったんですよね。いや、もちろん必要ですけど。すいません屁理屈っぽくなってきました。 ご解答ありがとうございました。

回答No.2

あくまでも個人の私見です。 判決が多くの国民に納得されるものでなければならないからだと思います。 裁判官になる方々は皆必死になって勉強され,司法試験をクリアして裁判官になっておられるわけですが,勉強するために世間の常識というか,一般庶民の感覚がわからない方がいらっしゃるからではないかと思います。たとえば,裁判官は公務では車の運転はしません。裁判官の中には車の運転を全くされない,免許すらない方もいるやに聞いております。交通事故の裁判で運転免許を持たない裁判官に運転中の車がどう反応するかなどということがわかるでしょうか…多分理解できないと思います。ましてや,現在社会は複雑多岐に渡り色々な状況のなかで,さまざまな事象が起きているわけです。 裁判官の忌避ということが出来る制度はありますが,いちいち事案を選んでいたら裁判官が何人いても増え続ける審理を裁ききれなくなるおそれがあります。 裁判員はこうした裁判官が知りえない社会生活における経験を判断材料として活用したり,多くの国民が日常生活で使用する常識を審理に反映するためにおかれるのだと考えます。

noname#52183
質問者

お礼

それはあるかもしれないですね。 自分の事とかあまり喋っちゃいけないらしいですしね。私生活で深く関われる人とかも自然と制限されるのかも。 感覚がずれていくのもなんとなく分かる気がしてきました。 ご解答ありがとうございました。

noname#21384
noname#21384
回答No.1

文春や新潮で昨今の裁判の結果がおかしいことを述べておりますが、最近の判決は国民の感覚とずれていることが多いです。 少年犯罪が多発しているのに少年の保護ばかりして被害者の人権を軽視していたり、ドメスティックバイオレンスの被害にあっているのに裁判官が老人で旧態依然の考え方をもっているため逆に被害者である女性が説教をされて司法に対する不信感をもったという話も聞いております。 これらはすべて、裁判にかかわる裁判官が国民の生活から著しく乖離しているからに他なりません。年寄りばかりで新しい価値観を理解できないことや、裁判所内のことしか知らないため医療やら情報やらに対応できないのです。 これらのことを解消し、幅広い視点から判決をだすために、裁判員制度を設けました。アメリカの真似といえばそのとおりですが、世間的に無知なじじいに、勝手に判断をされて判決が決まっては、国民の不利益になります。 ですので、利益を得るのは国民だといえるでしょう。 ただし、利益を得るためには対価を払うのは当然で、そのために選ばれし国民が強制的に従事させられたり、守秘義務を負わされたりするんです。

noname#52183
質問者

お礼

なるほど、「価値観のズレ」となると修正は難しそうですね。 若い裁判官っていないんですかね。 若くてもやっぱり一般人の感覚は持ってないんでしょうか。 ご解答ありがとうございました。

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