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年を取るにつれ死について鈍感になってきました。
幼少期の祖父との別れ、小学時代の愛犬との別れ、高校時代の父との別れ、愛猫の交通事故での突然の別れ、悲しい出来事が、年を重ねるにつれ、整理され、鈍感になっていきます。人の死も受け入れられ、今は生きている家族のために懸命に働いて、土日には、兼業農家として先祖の畑を耕しています。人は、年を重ねるにつれ自然に変わっていくのでしょうか?
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諸行無常と言う仏法の言葉があるように、変化しないものはこの世に存在しません。 鈍感になったのではなく、当たり前の事を当たり前に受け入れられるようになっただけです。 成長の証なので喜ぶべき事です。
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- shin-326
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決して、鈍感になる訳じゃないと思いますよ。 逆に敏感になるけど、死をより理解するから身近に思えるんだと思うのですが 年と共にひとの死も自分の死も、こうだろう的な思い込みが出来上がってきてはいませんか? それも、今までの経験から出来上がったんだから 多くの人が、そう感じるんじゃないのですかね
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- pluto1991
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田舎だとお分かりでしょうが、「本家の長男」ね。 これ、親戚が死ぬたびに呼び出されて坊さんの段取りとか葬式の采配するのが最大の役割なんですよね。 私も父の喪主を務めたことがありますが、「本家の長男」曰く 人間なんて死んで全然当たり前。 自分が明日死んだとしても全然驚かない。 むしろ死ねない人が一番気の毒だ。って言ってましたね。 親戚が多くてこういうリアルを目にしている人ほど死生観はしっかりしている。 都会で「身内が死ぬ」なんて20年に1回、というような生活をしている人はパニックを起こすでしょう。 明日死んだら棺桶には何ももっていけないのを知らずに贅沢品を買い集めるような生き方をしてしまう。 棺桶までもっていけるのは思い出だけだと思います。 あ、話がそれましたが、質問者さんの生きたそのものが年齢を重ねたということなんですから、ごくごくいいのではないでしょうか。
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- merciusako
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「鈍感になる」というよりも、対象の死について「自分なりに消化できる、自分にとっての意味を考えられる」ということではないでしょうか。 つまり、理性的に静かに対応できる、ということでは。 >年を重ねるにつれ自然に変わっていくのでしょうか? 変わっていくと思います。 生まれてから年を経るに従って、様々な情報が入ってきて色々な知識が身につきますから、それを通してその時その時の「死」に対する捉え方は変わるでしょう。 ただ、その死があまりにも衝撃的であった場合は、理性で対応できず感情や感覚だけがいつまでも残るということはあるでしょうが。
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- mis_muffet
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そうですよ。人は経験を積むことによって学び、変わっていきます。それは自然のことで、悪い事ではありません。むしろ私は良いことだと思います。死に関しても、【鈍感】になっているのではなく、【受け入れられる】ようになってきたのだと思います。【賢く】なってきている、とも言えるかもしれません。人間は誰でも最後には、自分の死を受け入れなくてはなりませんから。
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- ROKABAURA
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そりゃそうだよ。 でも受け入れるのは鈍感なのとは違うな。 むしろ目を背けず認めてあげられるようになったはずだ。 人に限らず生命は変化し死を迎える。 これは星であろうと同じこと。 地球もまた変化しそして死を迎える。 タイムスパンは長いけどね。 有り様を変わるのを恐れる事なかれ。 それを生きるというのだから。 どんな生き物も他の生き物の命が必要で そしてまた自分も他のために命を使う。 そうやって連鎖し与え合うことで初めて生命は「幸せ」を得られるのだから。 まあ在るように在れ。
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心に染みる回答ありがとうございました。
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