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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:部落地区だと自ら吹聴する部落地区の人たち)

部落地区の人々のセンセーショナルな行動と差別意識の生まれ

このQ&Aのポイント
  • 部落地区が主催する人権フェスタの存在に疑問を感じる
  • 部落地区だと推測される行動に差別意識が生まれる
  • 人権フェスタや集会の意義について考える

質問者が選んだベストアンサー

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noname#201762
noname#201762
回答No.10

No8の者です。 始めに行っておきますが、私も部落出身者ではありません。 >よくわからないのですが、部落というのは個人の特性ではないのです。 >集団の呼称、若しくは特定地域の呼称なんです。 この点が、おそらく理解が相容れない部分かと思います。私が思うに、部落とは大げさに言えば一つの人種の様な物、、、もちろん本来は同じ日本人ですが、、、として過去の人間達も、そして本人達もとらえている(とらえていた)のではないでしょうか? あなたは部落者の事を「集団の呼称、若しくは特定地域の呼称なんです。」と思っているのは分かりました。でも別の人間は単に「よくわからないけど異質の人達」と考えているかもしれませんし、いや、過去には其の様に思っている人達の方が多かったかもしれません。同じ日本人なのにです。そして異質の者とは関わりを持たない様にしていたのが、過去の部落解放運動に繋がったわけです。そして貴方は言います。「部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか?」と。それは「自分は部落出身者だという事、もしくはこの地域が部落だと”隠して”何故生きる事が出来ないのですか?」と言っているのと同じな様に私には聞こえます。 しかし隠し通すのは無理です。何故なら、過去に部落出身者だからという理由で採用を拒否されたり婚約を破棄されたりといった事が多々発生したからです。世には部落者名簿なる者が出回っていますから住所から検索すれば簡単に判明します。でなければ虚偽申告をするかです。そういった時代が過去にあったのですが、今現在もそういったことが無いと果たして言えるでしょうか?全ての人が、貴方の様に理解のある人だったら問題は無いと思います。でも現実はそうでなかったし、今でもそう思っている人は居るのかもしれません。 >部落があった→部落地域だった過去が知られた→部落差別を無くしたい→部落という存在が無くなれば差別しようが無い 論理的にはその通りです。しかし、上で書いた様に「未だに部落差別をする企業や人が居る"懸念がある"」という事があるため、その様な論理を実施出来ないのかもしれません。それプラス、他の方がさんざん書いている通り部落者に対する利権がより話をしています。その結果「人権フェスタ」的な意味があるのか無いのか分からない様な物が開催されているのだと思います。 あなたの様に考える人達が多く増えれば、この件は風化するかもしれませんね。しかし、今としては部落解放運動を知っている時代の人達が今日本を動かしていますから、残念ですがこの様な事は当分続くのではないかと思います。

rdtf2000
質問者

お礼

何度も本当にありがとうございます。 いろいろ個別にコメントしたいのですが、だんだん質問ではなく議論のようになっているため、そろそろ締め切ろうかと思っています。 なので、返信はこれで最後にしたいと思います。 >「自分は部落出身者だという事、もしくはこの地域が部落だと”隠して”何故生きる事が出来ないのですか?」と言っているのと同じな様に私には聞こえます。 誤解があると思います。 子どもの世代に、わざわざ「自分たちは部落なんだor元部落の地域に住んでいるんだetc」と教える必要が無いと思っています。 隠すのではなく、そのような余計な情報を知らないことで、更に次の世代に伝染していかないことが大事だと思っています。 現在進行形の差別に関しては、基本的に差別を受けた個人の問題になります。(※少なからず差別を受けていない人もいるので) 不当な扱い・差別を受け、不利益を被ったことに対して、民事訴訟等で対応するしか無いのではないでしょうか。 むしろ、そんな人たちはどんどん訴えていって欲しいです。 そうすることで、くだらないことをしていると訴えられて、自分が痛い目に合うと、輩の人たちに周知されていけばいいのにと思います。 そして、ご報告です。 他の方にも、その人権フェスタなるものがどういうものなのか、という話があったので、 電話して聞いてみました。 内容は、歌や楽器演奏、バザー的な催しもの、車椅子体験と人権作品の展示(詳細は不明)が行われるとの事でした。 フェスタ?まぁ、フェスタなんですかね。。。 ともあれ、本当に勉強になりました。 回答者様には親切に教え説いていただき、感謝しています。

その他の回答 (12)

  • pringlez
  • ベストアンサー率36% (598/1630)
回答No.13

>人権フェスタやそれに類するような活動・集会の意味って何なんでしょうか? 差別行為をなくすためでしょうね。 部落地域に住む人やその出身者はいろいろな差別を受けてきました。 今でも「部落出て行け」と落書きをされたりポストにビラを入れられたりするそうです。今はだいぶよくなったのでその程度で済んでいるのでしょうが、もっと昔だったらその程度では済まされないより大きな差別があったはずです。部落には銭湯を利用させないとか物を売らないとか。 今でもはっきりとその爪あとが残っている例に墓地があります。大阪日之出地区で、一般人用と部落民用の墓地が壁を隔てて隣り合わせになっていて、壁を境に様子が異なっているのです。 今も残る部落差別 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=Hc1-ckmoVNQ&noredirect=1 今では、物を売らないとか一般人用の墓地に入れてもらえないとかそういうことは無くなったか、もしくは大幅に減っているとは思います。しかしまだ残っている。だからそれをなくしたい・減らしたいということなのでしょう。 >どうして、部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか? 「部落だと知らない人が知るリスクがある」ということだと思いますが、そのリスクよりも部落だと知っている人からの差別行為を減らすことの利益の方が大きいと考えているからでしょう。 もしあなたが本当に興味があるのならば、せっかく人権フェスタをやっているのですからそこに行って ・何のために人権フェスタを開いているのか ・自分はこのフェスタがきっかけで部落だと知ったが、そういう点に関してどう思うか ・今でも差別はあるのか、どういう差別がまだ残っているのか ・今は無くなったが昔はあったひどい差別にはどんなものがあるのか 等聞いてみればいいと思いますよ。 >地域の中に入ると道路が曲がりくねっていて通りづらいこと。 この点は簡単に言えば昔の面影を残しているというだけで、部落かどうかは関係ないと思います。例えば昔川や水路だったところは道路が曲がりくねっている例は多いです。そのこと自体は部落地域かどうかは関係ありません。 ただ逆に、川や水路だった場所の周辺は低いから水が流れやすいわけで、つまり大雨時に水害を受けたりする条件の悪い土地である場合があります。つまりお金に余裕のある人の住みたがらない土地であり、結果として川の近くに部落地域があるということもありますが。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私としては今尚続く差別に対しては、粛々と民事訴訟に訴え、輩を排除して言って欲しいと願うばかりです。 もちろん、個々の事情もあるので、私がそんなことを言うのは筋違いかもしれませんが。。。 >「部落だと知らない人が知るリスクがある」ということだと思いますが、そのリスクよりも部落だと知っている人からの差別行為を減らすことの利益の方が大きいと考えているからでしょう。 ここが大きな考えの違いですよね。 私が部落地域を知ったことにより差別意識が生まれてしまったことは、実際に差別を実行するわけではないので活動をする方々にとっては些末なことなのでしょうか。。。 複雑な気持ちです。 差別をする人間というのはどんな状況でも一定数いると思います。 そのきっかけを与える必要はないと思うんですけどね。 活動する方々にとっては違うのでしょうね。。。 >地域の中に入ると道路が曲がりくねっていて通りづらいこと。 これは文章の中に入れるべきではありませんでした。申し訳ございません。 考えを撤回する気はないですが、実際のその道路は文章では伝わらない雰囲気がありましてそれが一致した為、このような発言になりました。 それこそ、紹介された墓地映像と同じようなものかもしれません。 誤解を招く文章だったと思います。申し訳ございません。 でも、墓地映像を見ても思いましたが、現在の墓地映像はただ壁があるだけで、雰囲気ともに違和感はありませんでした。 映像越し、ましてやアナログの雑な映像なので何ともいえませんが、私はあれをリアルで見てもどっちが部落なんて判断できないくらいのものでした。 でも、それがあっちが部落側だよと教えられれば、余計な情報により意図せず差別意識が生まれるかもしれません。 私は完璧ではないので、差別するつもりがなくても差別してしまうかもしれません。 だからこそ、そのきっかけを与えないで欲しいと思います。 どこまで効果があがるかわからない活動をするより、さっさと風化させてしまう方が解決が早いと思うのですが、当事者からすると違うのでしょうね。きっと。

  • HL230P45
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回答No.12

A:>部落地区だと自ら吹聴する部落地区の人たち 質問文には、部落民以外(質問者様のお父様)が「あそこは元部落」と言っているという記述だけで、部落地区の方がそう言っているという文章がありません。 質問の主旨は↓でよいのでしょうか。 B:>人権フェスタやそれに類するような活動・集会の意味って何なんでしょうか? 回答B:人権を騙る事で利益を得ている人達が、周囲に「差別」が存在していると思わせる事で、収入や支持を維持・拡大しようとしている。 まず、「同和と呼ばれている人達」ですが、 現在では江戸時代以前に一般の身分制度(貴族・武士・平民)から外れた、それ以下の身分の人を先祖に持つ人達という意味です。 この非人は、平民の罪人への刑罰としても用いられてもいました。 彼らは農地を持つことや商売をすることは許されず、家畜の死体の処分(皮革処理含む)などの所謂賎業に職業を限定されていました。 彼らが差別を受けていたのは、それらの職業への嫌悪や身分自体への蔑視からだと思います。 【非人】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA 【穢多】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A しかし、現在の調査では、彼らのボスは帯刀を許され、武士と対等な立場で話をしていたという資料もあります。 その為に、身分下でも生活の水準は本当に低かったのか?差別は今言われているほど酷かったのか?という疑問も出ています。 また、前述の家畜の処分も、それを彼等のみの専業とさせることで、生活基盤を保証していたとも言われています。 (按摩なども、当時は視覚障害者の専業となっていました。) 明治以降は、身分制度の廃止から、彼らも平民として扱われます。 しかし、人の意識はそれですぐ切り替わるものではないので、差別を受けることもあったと思います。 今では、差別はほとんどなくなっているのですが、地域によっては未だに彼等に差別意識を持っている人がいるらしいです。 いわゆる「同和問題」ですが、 同和の問題は差別する側だけではなく、される側の被差別利権もあって、問題が複雑になっています。 実は↓のように、差別されていなくても、差別だ!と叫んで特別な待遇を要求する方が多いともいわれています。 会社の採用などで、能力不足を理由に不採用になった者が「同和だから差別されて落とされた。」と叫んで、自称人権団体が集団で抗議したり、訴訟を起こしたりしています。 高額な「同和問題についての本」の購入を要求したり、他にも色々な名目で、様々な かわいそうな彼らへの支援 を求めて来ます。 そして、それらを断ったところには、何故か不都合な事が頻繁に起るらしいです。 【同和問題】 http://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C 《同和地区出身者 同和地区出身者とは自分が同和地区出身だと思い込んでいる人のことである。出生地が同和地区の人を指すと思われがちだが、実際はそうではない。同和地区出身者は、自治体の保有する宗門人別改帳に氏名を登録することにより、給付金が受けられたり、住民税や固定資産税が安くなる等の特典を受けられる。 同和地区出身者になる理由は様々である。幼少期に親から口伝で伝えられることもあるし、地方によっては学校で「あなたは同和地区出身者である」と暗示をかけられることもある。また、大人になってから同和団体の主催する同和地区見学会に参加したところ、その地域の住民から「あんたのところも同じですぜ」と言われ、そのために自分は同和地区出身者だと思うようになったという例もある。 また、自己暗示をかけることにより誰でも同和地区出身者になることが可能である。しかし宗門人別改帳に登録する場合、自治体によっては本当に同和地区出身者なのか確認を求められることがある。その場合は、既にこの世にいない直系親族を引き合いに出し「死んだおじいさんから、うちは差別された身分の家系だと聞いた」等と強行に主張することが重要である。かつての身分を引き合いに出すのは、自治体によっては江戸時代のある身分に属した家系であることが要件になっているためであるが、昭和43年(1968年)3月29日付け民事甲第777号通達により自治体は個人の過去の身分を調査することはできないため、うそをついても発覚することはない。戸籍に記載される出生地は文字通り出生した場所の住所であり、病院の住所が記載されることも多いため、同和地区出身という判断材料にされることはない。本籍地は自分と何のゆかりもない場所でも自由に移すことができるので、適当な同和地区に移しておけば同和地区出身っぽい要素が増え、役所を騙すのには効果的である。 ―中略― 就職差別 地方公務員の雇用において、同和地区出身者は採用試験を免除されるか、あるいは試験の結果とは関係なしに採用されることがある。そのため、採用試験において同和地区出身者が公正な評価を受けられないという差別が存在する。また、奈良市においては採用後においても同和地区出身者のポルシェ中川さんが仮病で長期病欠したにも関わらず、正当な評価が行われずに給料が支払われ続けるという悪質な差別事件が発覚し、全国的な問題となった。 税務差別 大阪国税局において、同和団体に所属している経営者は税金を免除されるという、本来の支払い能力を無視して「同和である」というだけで課税されない悪質な差別事象が確認されている。 就学差別 四国学院大学では同和地区出身者に対する特別推薦枠があり、学習能力とは関係ない同和地区出身であることを入学のための評価基準とするという差別が存在する。これに関連して、京都市では支払い能力のあるなしにかかわらず、同和地区出身者か否かを評価基準として、返済の必要の無い奨学金が自動的に給付される差別行政がまかり通っている。 結婚差別 同和地区に住むと、同和地区と地区外の結婚がすすんでいるかを調査するために、本人および結婚相手が同和地区出身者であるかどうかを自治体に調査されることがある。そのため、結婚後に同和地区に住む場合は必ず同和地区出身者であるかどうかを明らかにしなければならないという人権侵害が行われている。》 以上のようにいわゆる「同和」には「特典」がある為に、それら目当てで、同和をカミングアウトしたり、同和でない者が同和を名乗るケースもあります。 更に、同和地区の住人=同和(前述の穢多・非人の子孫) とは限りません。実は 同和地区=本当に同和地区 とも限りません。 1:(動画)【ゆっくり説明する同和問題 (1)同和地区 部落民】 https://www.youtube.com/watch?v=Wr6d3GxOuVI (7:30 結論から言ってしまえば、部落民の明確な定義というものは事実上ありません) 2:(動画)【ゆっくり説明する同和問題 (2)行政闘争 同和対策事業】 https://www.youtube.com/watch?v=9YQEKRkN0_I (5:40 同和地区の人は自動車運転免許を自己負担なしで取得できる。 同和地区の生徒や学生には無条件で奨学金が支給される。しかもそれは返さなくてもよい。) 3:(動画)【ゆっくり説明する同和問題 (3)同和教育 狭山闘争】《同和教育の変質(福祉→人権)政治的中立の喪失》 https://www.youtube.com/watch?v=zG5tXMMW3rU (3:00 現実の社会で平等を実現せずに、精神だけで平等を唱えるならば、それは最早教育ではありません) よくいわれる「部落民名簿」ですが、行政資料の電子化により「同和対策事業」の閲覧も可能になっており、現在では価値はありません。 (そもそも、「公共事業」なので、資料を閲覧できない事の方が問題です) 更に、1の動画から 部落地区出身者=部落民 ではありません。 ↓の動画では、企業に同和への採用枠を求めるという、同和以外への逆差別さえ発生しています。 4:(動画)【ゆっくり説明する同和問題 (4)部落地名総鑑 戸籍】 https://www.youtube.com/watch?v=Yx_BmigLqQk (5:45 現在は部落民とわかるような戸籍は、まず見る事はできません) 更に、自称同和は全て日本人なのか?という疑問すらあります。 同和は↓のような裏の事情によって、日本人だけの問題ではなくなっています。 同和の戸籍には在日韓国朝鮮人が入り込んでいます。 戦前戦後に日本に密入国した朝鮮人が、日本の同和部落に、入り婿や戸籍の売買、一家乗っ取り等で、同和に成りすますことで日本の戸籍を取得しています。 その結果、同和地域に多くの朝鮮部落が誕生しています。 朝鮮人の成りすましは、↓もあります。 空襲などで戸籍書類が焼失した為に、 一時的な措置として戸籍の自己申告制度を導入しました。 これを利用して不法滞在の朝鮮人が、日本人になりすまします。 以上から、「ヤクザ・同和・在日・創価」はほぼ同一となっています。 そして、部落解放同盟は民主党の支援団体にもなっています。 (民主党は外国人でも党員になれた時期があります。これは世界でも民主党だけです。) 以上の事から、もともとの差別意識以外の理由で同和に嫌悪感を持っている人も、多いと思います。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 質問内容がわかりにくく申し訳ございません。 「吹聴する」と記載したのは、人権フェスタをきっかけにあそこは部落地域なのかと簡単に推測できたことを理由に、「吹聴する」と書きました。 もちろん、人権フェスタ側は一言もそのようなことを言っていませんが、その推測は当たっていたので、私にとっては吹聴しているようにしか感じ取れませんでした。 長文いただいたのですが、利権の話は、私の求める回答ではない(知っている情報)のでスルーさせていただきます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.11

>どうして、部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか? 人間は様々な理由で差別をつけたい、他人よりも優位に立っているという意識を持つことでいい気分になりたいというあまり上等ではない習性があります。基本的人権、人間は生まれた時は皆同じなのだというごく常識的な考えが、今でも人により、状況により通用しないことがあります。同じ人間であり、同じ日本人であっても、「あいつとおれとは違うんだw」という故のない優越感をわざにつくって意識の中にもちたいという、まあいってみれば自己中的な気分です。昔の為政者はそういう人間心理をうまく悪賢く利用して政治的に社会を安定させるために人為的に作成してきた面があります。士農工商とかよばれてきたヒエラルキーは最近では事実上存在しなかったということのようですが、いわゆる「部落差別」は従来このさらに下位に属する被差別民の問題で、本来定住しなかったひとたち、職業差別、離れてひっそりと暮らす忘れ里の住民など様々な人間集団をそのときの為政者が勝手に規定したことから発生したといわれています。つまり、男女差別とかアイヌ差別とか、同性愛者差別とか、宗教差別とかそんな厳然とした区別ではない恣意的な、不条理な考え方から始まったものですが、これが明治になってからも戸籍上で続いたという深刻なものだったのです。ですから、いまでも日本人の心の中にある意識は消えていません。ここにある回答をずっと見てもそれが感じられます。 >どうして、部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか? そういった根強い差別感は日本人の恥であり、国としての恥だと思われます。この差別感を単に臭いものにふたというやりかたで自然消滅させるのは不可能に近いことです。なぜなら、差別意識は当事者以外の人間にはどうでもよいことであり、或る意味興味を持たせる事案ですから、情報としていつまでも残っていくのです。 ここに、この情報がゆえなきことであり、なくさねばならないのだという社会教育の必要性があるのです。 もちろん、それによって「あ、そんな情報があったのか、」というひとも発生すでしょう。しかし、それが間違った情報で、なくさねばならない悪い情報なのだ」としることによって、隠れていた情報は単に隠し続けているよりも早く社会から消えていくだろうという期待があるのです。私はこの考えは正しいと思います。 もちろんそういった「部落問題」には公費が使われますので、一握りの悪い人間がそれを利用して私物化するということはあるでしょう。私もそういうことはよく耳にします。しかし生ぼを悪用する人間がいるように、そういった無恥で見識のない人間はどこにでもいますので、やはりこれに惑わされて外部から揶揄することは止めねばならない、正しくこういったことを正論で理解していかねばならないと私は思います。 質問者様の見られた「人権フェスタ」そのものを私は存じませんが、私の地方では、毎年この問題に関する市民の勉強会のようなものは開かれています。そのようなまじめなものではないでしょうか。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「隠し続けることにより風化を待つか、周知し続けることにより人々の意識の改革を待つか、どちらがベターか?」 ということでしょうか。 理解が間違っていたら申し訳ございません。 私は「部落を知らない人間を増やすことにより部落差別の風化が加速する」と思っています。 隠すというのは知っているから隠すということになります。 知らなければ隠しようがありません。 だから、部落・非部落関係なく、どこが部落地域だったなんて情報を子どもの世代に伝えないことで、子どもは隠さなくてもよくなります。 中には、自分で調べてあそこは部落だなんだと差別する人間もいるでしょう。 でも、そういう輩はどんな状況でも差別すると思いますので、気にしても仕方ありません。 そういう考えがあるから、そんな活動する意味あるの?と思ったわけです。 最後に。 人権フェスタの内容を電話して聞いてみました。 内容は、歌や楽器演奏、バザー的な催しもの、車椅子体験と人権作品の展示(詳細は不明)が行われるとの事でした。 すごく不思議な感覚になりました。

回答No.9

>どうして、部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか? 「差別がある」という理由で、ゆすりタカリをする人たちがいます。 被差別だということが、金になるから、部落を消滅させたくない人たちがいるのだと思います。 「人権、人権」と騒ぐのは、要するに、そういう人たちです。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 金になる以外で活動の理由はないのでしょうか

noname#201762
noname#201762
回答No.8

目的が「部落差別を無くそう」であって「部落という存在を無くしたいから」では無いからだと思います。疑問としてはわかりますが、それは非部落者の物言いですよね。 部落民から見れば、自分が部落出身者だという事は一生頭から離れないものでしょう。それでも部落より外に出さえすれば、周りは非部落者ですからその様な意識も少なくなるかもしれません。しかし、部落というある意味閉鎖空間のみで生きている人なら、周りも部落民ですしそう言った環境で「自分は部落民なんだ」という意識を無くすことは難しいと思います。またそう言った意識を強く持ってしまうと、自分は差別されているんだと考えてしまうのも無理は無いと思います。 一方で、部落という言葉や存在はなかなか無くなりません。それは、部落解放運動という歴史が残っていたり、学校で教育されていたりという理由もありますし、"自分が部落民"なんだという意識がある以上は無くなりません。言葉やその概念が無くならない以上、差別意識がなくなることも無く、差別意識が無くならなければ部落という閉鎖空間でこの様な運動が行われても不思議では無いと思います。加えてその部落には、過去に部落解放運動等で戦い権利を主張した当事者や歴史が残っているのかもしれません。だとすれば「差別撤廃」は主張する物だという意識が強く残っている可能性もあります。 ともあれ最初にもかきましたが、彼らの部落出身だという意識は貴方と同じでそれこそ消せません。となれば、目的は部落を無くすことでは無く、部落差別を無くすことです。であれば差別撤廃を叫び続けるしかないのかもしれません。

rdtf2000
質問者

お礼

『非部落者の物言い』なのであれば、永遠に相容れることは無いのかも知れません。 私のポジションは永遠に非部落者になります。 そのうえで、お礼を申し上げたいと思います。 回答ありがとうございます。 私には「部落差別を無くそう」と「部落という存在を無くしたいから」は同じ意味にしか思えません。 流れとして、 部落があった→部落地域だった過去が知られた→部落差別を無くしたい→部落という存在が無くなれば差別しようが無い というものです。 回答者様からもそうですが、他の方からも数名、なにか部落というものが自分の体の一部のような表現をされている方がいらっしゃいます。 よくわからないのですが、部落というのは個人の特性ではないのです。 集団の呼称、若しくは特定地域の呼称なんです。 自分は部落なんだと意識するようになってしまうのは、部落だと知ったからですよね? 知らなければ意識することは無かったということです。 私が知らない方が良かったと思っていることと同じことではないのでしょうか。 >>部落というある意味閉鎖空間のみで生きている人なら、周りも部落民ですしそう言った環境で「自分は部落民なんだ」という意識を無くすことは難しいと思います。またそう言った意識を強く持ってしまうと、自分は差別されているんだと考えてしまうのも無理は無いと思います。 この内容がすごく変だなと思います。 差別されたかどうかの事実を無視して、自分で自分を差別しているわけです。 意味不明すぎます。 勘違いして欲しくないのは、過去、部落というものがあり、事実差別されていた歴史があったことを抹殺したいということではありません。 言葉も無くすことは出来ません。 無くせたとしても、同じ意味の別の言葉が生まれるだけです。そんなものは不毛で意味がありません。 過去の歴史はそれとして、現在はそのようなものは存在せず、そのようなものに指定されている地域も無い。ではいけないのでしょうか。 それを、わざわざ部落地域だー!と暗に吹聴して回るのは、ある種、差別してほしい、もしくは特別視して欲しいと思っているのではないかと勘ぐってしまいます。 そして、最終的には他の方が仰る利権や金のためという話になってしまいます。 繰り返しますが、過去の歴史を振り返ることは大事なことです。 しかし、当時どの地域が部落だったのか、今はどの地域がそれにあたるのか?を知る必要はまったくないと思います。 自らその地域だったと公表するように、敢えてそういう活動や集会をしている意味があるのか疑問なのです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

”どうして、部落だと推測されるようなことを敢えてするのでしょうか?”      ↑ 差別によって利益を得ている人がいるからです。 そういう人達は差別がなくなると食べていけません。 だから、殊更声高に差別の存在を主張し、騒ぎ立てる のです。 実は、これは差別の最も大切な問題なのです。 部落差別など、人間が宇宙に行く時代なのだから 放置しておけば、歴史の彼方に消えていくものです。 ああ、昔はそういうモノがあったね、という笑い話に なります。 それを許さない、とする人達が頑張っているのです。 これはアイヌも同じ構図です。 知り合いに、部落の人がおりますが、彼はプライドが 許さない、として補助金を一切受け取っていません。 だから、仲間はずれにされています。 そういう部落民がいると、補助金をもらっている人達の 都合が悪くなるからです。 人間という動物は、銭金のためなら何でもやるのです。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そのお知り合いの方は、すごく勇気がある方なんですね。 差別を否定するということは、差別によって生まれた有益も否定しないとスジが通りません。 でも、私も『銭金のためなら何でもやる』タイプなので、見習いたいです。 なかなか出来ない行動だと思います。 もしかしたら、そういう方々をフィーチャーすることが、差別撤廃への道なのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。 私の元々の主張と矛盾しますが、そういう活動だったら意味があるかもしれないと思いました。 同意数がマイナスになってますが、私には参考になりました。 ありがとうございます。

  • area_99
  • ベストアンサー率20% (226/1124)
回答No.6

部落民には手当てが支給されるからです。 似た件で、アイヌや沖縄があります。 部落とは、元々犯罪などを犯して、穢多や非人などを隔離した自治体(村)です。 ・穢多⇒罪人 ;非人⇒浮浪者 江戸時代まで、こういった人々の子孫は、未来永劫そのままの穢多・非人でした。 ですので、同じ村の穢多・非人同士で結婚しました。 ※中には当然兄弟・親子で子供を作っていたと言います。 当然、周りの村からは忌み嫌われました。 明治時代になり、新戸籍制度が導入され、これらの人々は新平民とされ、いわゆる町人や下級兵士と一緒にされました。 あまりに苦情が多く、昭和になって、皇族・貴族・士族・平民(新平民)制度は撤廃されます。 日本が豊かになり、いつしかそれら苦情はお金で解決されるようになりました。 そうして現在があります。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 手当てが支給されるからですと断言される根拠が「苦情はお金で解決されるようになりました」だけなんでしょうか。

回答No.5

昔からの相手で、進化が足りないので不良で生活を悩ましてきます。生活を守ろうとするのは、正常です。進化が足りない分人権を訴えるのです。みんな生活を守るのが許せないのかもしれません。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 すいません。あまり意味がわかりませんでした。 多分、皮肉めいた内容なんだと思うのですが、誰に対する皮肉かもわかりませんでした。 読解力が無く、申し訳ございません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34532)
回答No.4

部落ではなく性的マイノリティ、ゲイやレズビアンで考えてみましょうか。 もし会社の仲がいい同僚がゲイだとカミングアウトをしたら、それによって差別が生まれるかもしれません。しかし知らないことは本当にいいことでしょうか? 映画「フィラデルフィア」で、トム・ハンクス演ずるゲイの青年が勤務先(弁護士事務所)の上司と一緒にサウナに行く場面があります。彼がゲイであることを知らない上司たちはゲイを差別したジョークを連発しました。彼は内心ひどく傷つきながらも「こんなにゲイを差別している上司の前で僕は同性愛者ですとは死んでも言えない」と思ってひきつった顔のまま笑います。 何もいわなかったら、そういう「無知からくる差別」を放置することになります。そして放置するということは、現状を受け入れるということでもあります。 会社でサービス残業を強要されて、内心不満を抱えて働いていたら、社長が「ウチは社員に残業代なんか出さなくても社員はみんな喜んで働いている。だって誰も文句を言わないもの」なんていったらふざけんなと思いますでしょ?声を上げることは大切です。 また、差別ってのは無知が助長をします。質問者さんがその地域のことを知って差別するのも、そこに住む地域の人で仲がいい人がいなかったからだと思います。もしその地域に無二の親友が住んでいたら、「あいつも俺も同じ人間でなにひとつ変わらない。生まれた地域がそこだというたったそれだけのことで差別されるなんておかしい」と思ったことでしょう。 であるならば、質問者さんの差別する心も、無知ゆえに起きているということでもあります。その地域の人たちのことを直接知らないから「なんだか特殊な地域の人たち」と対岸から見ていられるのです。 私が子供のとき、同じ学校に知的障害児のための特殊学級がありました。実は私、恥ずかしながらこの特殊学級が大嫌いでした。奇声を上げたり、突然走り出したり、正直行動が気持ち悪かったでしたから。その中でも体が大きい子が一人いて、彼がいつも奇声を上げては自分の頭を突然叩くのでそれがいつか自分が殴られるのではないかと怖くて怖くて彼には近づかないようにしていました。 中学生くらいになったときでしょうか、あるとき先生から「あの子はね、自分でいいたいことや表現したいことが(知的障害のために)上手くできなくて、それが悔しくて自分の頭を叩いているんだ」と聞いて衝撃を受けました。 そう、私の差別心は明らかに「無知によるもの」ですよね。彼が自分の頭を叩くのは「自分に対するもどかしさの表現」なんだから他人に向かうってことは原則的に心配する必要がないわけです。 これがもし、無知などこかの母親が「あんな頭を叩く子がいつか誰かを叩いたら誰が責任を取るんだ」って言い出したらどうでしょうか?それはむしろ差別を助長する結果となりますよね。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言わんとしたいことは想像できますが、ゲイやレズと部落のそれはまったく異なるものだと考えます。 ゲイやレズは個人の趣味・嗜好・身体と精神の解離などがありますが、 いわゆる部落はそういったものではありません。 私はゲイやレズをカミングアウトされたことがありますが、それを何とも思いませんし個人の自由でいいと思います。 それは何故か。私が口を出す理由が無いからです。 別にそうだから、私とその人の関係性に変わりはないからです。 おおよそ、回答者様の言いたいことと同じだと思います。 でも、私が感じた違和感はそういうものとは異なるものです。 感覚的なもので、説明しづらくて申し訳ございません。 >質問者さんがその地域のことを知って差別するのも、そこに住む地域の人で仲がいい人がいなかったからだと思います。 もちろん、その地域に親友とは言いませんが、知人もいます。 今回の件があっても、その人個人に対して、どうこう思うことはありません。 思う必要が無いからです。 いわゆる知的障害者の件もそうです。 部落問題と同列にするのは無理があると思います。 私が伺いたかったのは、そういう道徳・倫理的問題の話ではなく、 どうして?今?敢えて?知らなかったものを敢えて部落だと公表するのか? しかも、堂々とここは部落地域ですと宣言するわけではなく、あくまで表向きは人権フェスタという名前を使ってということです。 逆に?言うと、堂々と部落地域ですと宣言するようなものであれば、私はここまで違和感を覚えなかったかもしれません。 数名の方は利権やお金が絡んでいると仰ってますが、それ以外の理由を知りたいです。

  • globef
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回答No.3

 お金になるんですよ~ 利権です。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1318533368  他にも就職にも有利です。 公務員に「同和枠」というのもあるそうです。 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/loser/1296839178/  下記の様な事件もありましたね http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F%E5%93%A1%E7%B5%A6%E4%B8%8E%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E5%8F%97%E7%B5%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6  昔は、虐げられていましたが 現在は、もの凄い力を持っています。

rdtf2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そういう話があるのは知っていました。 でも、それだけなんでしょうか。。。

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