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祖父の死 空っぽ
カテ違いでしたらすみません。 1人暮らしの私に、実家から祖父が倒れたと連絡があり急いで実家に帰りました。 母におじいちゃんは死んじゃったのと聞きました。 そのときは涙が出ました。まだ死ねないと笑っていて、また来いよと言ってくれていたおじいちゃんが亡くなったからです。 免許を取ったばかりの私を実家に帰る度に助手席に乗って車を運転させてくれました。 そんな祖父の死体をみました。病院で家族やいとこ達と一緒に。 そのとき、見た瞬間家族やいとこは泣き出しました。 でも私は全く涙が出てきませんでした。なぜか祖父が空っぽな気がしたんです。陶器のような…というか。 話しかけても全く聞こえてなさそうな感じ?がしました。 どうしてそのような気持ちになったんでしょうか? ものすごく悲しくて悔やんで辛いはずなのに、無感情に近いというか。 おじいちゃんはそこにはいない と思ったんです。 そんな気持ちになったのが不思議です。同じような気持ちになった方はいますか? どうしてそこにはいない、とか死体が空っぽな感じがしたのでしょうか…
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こんにちは。 このたびはご愁傷さまでした。 本当に悲しいと涙も出ない・・とは よく言われることですね。 質問者さまとおじいさまは 心で結ばれていたと考えては? ある意味身体は 心の入れ物にすぎません。 おじいさまの心というか魂は 身体から離れてもう旅立ってしまった・・ 心のない身体は空っぽの入れ物です。 ということを 質問者さまは本能的に感じたのでは・・。 ・・という解釈をしてみました。 おじいさまは質問者さまのようなお孫さんがいて、 幸せだったと思います。 孫に疎まれて晩年を過ごす方も 少なくないのですから。 おじいさまのご冥福をお祈りします。
- nspopo
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仲の良かった証拠なのでは? 生前に何もしてあげられなく、死んでから、もっと孝行してあげたかったというより、生前に仲の良い家族で楽しい思い出。 悔いや後悔がないから見送る事が出来たんでしょう。 仲の良かったおじいいちゃんだったからこそではないでしょうか。 おじいちゃんも、あなたを悲しませたくないとの思いの力もあるかもしれませんね
お礼
回答ありがとうございます。 確かに1人暮らしを始めてから、心配して電話をかけてきてくれたり、帰るたびに車を運転させてくれたり…仲は良かったと思います。 お通夜もお葬式も不思議とおじいちゃんの顔を見ると涙が出ませんでした。 火葬の前は何を思うとかでなく、涙がボロボロ溢れて止まりませんした。 おじいちゃんの思いの力…私もそう信じたいです。
本当に悲しいときは泣けないものです。 ひとはその状態を指して茫然自失、といいました。 つまり、言葉が生まれる程度には「よくある状態」だと思ってください。 時間差で泣きたくなるときもありますよ。 不思議ではないです。(某タレントのエッセイにもそういう記述がありますし。) とても大切な人がなくなったのなら、とくに。 >死体 ある意味まあ空っぽですから。
お礼
回答ありがとうございます。 茫然自失…私には自分がそういう状態だったのかも分かりませんが、そういうこともあるんですね。 亡くなった後のおじいちゃんの姿をみても涙が全く出ませんでしたが、火葬の前は涙が溢れて止まりませんでした。 実家から1人暮らしに戻ったら、ちょっとしたきっかけで涙を流してしまいます。 現実的な回答も聞けて良かったです。
お礼
回答ありがとうございます。 本当に悲しいと涙もでない…と言われることは知らず、周りの人は泣いているのに私だけおかしいのかと思っていました。 本能的に…確かに、あのときは小さな子供に戻ったような感覚でおじいちゃんがいないと思いました。 おじいちゃんが幸せであってくれていたなら私はとてもとても嬉しいです。