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分相応な生き方とは?自分にあった生き方を受け入れる方法
- 分相応な生き方とは、自分に合った生き方を受け入れることです。
- 誰にでも個々にあった生き方があり、努力しても越えられない壁も存在します。
- 自分に合った生き方を見つけ、毎日を楽しく過ごすことが大切です。
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質問者が選んだベストアンサー
まわりの人の意見に、真剣に耳を貸しすぎでは? あなたはあなたの生き方を。 誰かに言われた生き方を選んだって、結局だれも責任取ってくれませんよ。 わたしなど、親の猛反対をものともせず、海外に飛び出してきたクチですよ。 苦労はあるけれど、後悔はしてません。 後悔しても構わないから行く、それが私が出国する前に親に告げた言葉でした。 本気でそういわれたら、もう何も言えませんよ。 日本では、自分の周囲とちがう、自分らしい生き方を貫こうと思えば、向かい風に当たってしまうものなのです。 そこを誤解していませんか。 皆に許され、応援されて、自分の道を進むなんて、たまたま恵まれた人です。 誰かに応援してもらおうとか、理解してもらおうとか思わなくていい。 こっそり準備して、いきなり行動していいんです。 決心したら、ひそかに準備して、 責められようが、なじられようが、下りのエスカレーターを一気に駆けあがるしかないんです。 もちろん、失うものもあります。 なんだかね、文章読んでると、ちょっと流されやすいのかしら? 分相応とか、誰が決めるの? 他人の勝手なイメージ? おかしいじゃないの。 あなたに相応しいのは、あなたらしい人生だもの。
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- eroero4649
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#4です。はあまあ、そういうご事情でございましたか。 他の方へのお礼のやり取りも拝見して思うに、「ずいぶんガチガチの考え方だなあ」と思いましたし、若さゆえの矛盾もありました。 例えば、ご自身では「頑張っても報われない」というようなことをおっしゃっていますが、過去にリーダーに推薦されたりとか表彰されたりとかあったわけですよね。それは周囲からすれば「認めた」ということでもあるのですよ。だけど肝心のご本人である質問者さんがそれを逃げてしまったわけですよね。 そうすると、周囲からすると「お前は認められたいのか、それとも目立ちたくないのか」と困惑してしまうのです。たぶん、質問者さんの中にある種独特の価値観があって、それに合致しないと自分の中で受け入れられないのだと思うのですが、その質問者さんなりの価値観が周囲は理解できないので「天然」ていうのではないでしょうかね。 認められれば目立ちもするし、やっかまれることもあります。それはもう誰でもそうです。部活のエース級の選手だって誰かから「県代表にも選ばれないくせにさ」なんて陰口を叩かれるのです。テレビタレントなんて「つまらない」だの「ブスのくせに」だの散々いわれるじゃないですか。「認められつつ目立ちたくない」ってのは、そりゃ矛盾しとるがな。 スポーツをやっていても上手くいかなかったのは、そういうことなんじゃないですかね。「こうしなきゃいけない」というのでガチガチになっていて、スポーツってのは水泳のようなスポーツでも自分の計画通りなんていかないじゃないですか。特に相手があるスポーツならね。だけど自分の中でガチガチに固定されているから、それ以外のシチュエーションが出てきてしまうとどうしていいのか分からなくなってしまうんじゃないですかね。 スポーツしているときも、「力入り過ぎ」とよくいわれませんでしたか?スポーツも仕事も、上手い人は手を抜くのが上手ですよ。例えば優勝を狙う人(チーム)は、1回戦から全力でやらないですよね。決勝戦のために体力と気力を残しておくのです。仕事もそれと同じなんだけど、まあ新入社員のうちはそういうもんです。私も新入社員の頃は8時間労働がキツくてしょうがなかった・笑。 価値観が狭くてガチガチなのは、自分の価値観の中に自分自身しかいないからです。自分の世界に他人や社会ができてないんですね。だから、自分だけの考えに固執してしまうのです。自分が所属する社会の中で、自分自身が今どういうポジションにいて、それゆえにどう振る舞わないといけないのか、というのを考えること。それを難しくいうと「自分を相対化して見る」ということなんですけど、それを考えたほうがいいと思いますよ。 今の質問者さんを車で例えるなら、ブレーキもハンドルもついてない車みたいなもんじゃないかな。だからアクセルを踏むともう真っ直ぐ進むしか他にないのです。
お礼
回答ありがとう御座います。 認められたい気持ちはありますが、残念ながらリーダーは押しつけ、表彰は運がほとんどです。 焦り過ぎ、力が入り過ぎ、頑固というのは時々言われます。 何をするにも下調べをしてから行動していますが、そのせいか臨機応変に行動する事ができません。 今までずっと一人で本ばかり読んだり、絵を描いたりしていました。仕事もそれ系を目指していたので友達も自分と同じタイプの人間です。もっといろんな人と関わっていろいろ吸収しようと思います。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
厳しい回答でもいいんですよね。 >確かに私は昔から体力もなく、1日残業なしのデスクワークでもへとへとになります。 こんなん、いくらでもなんとでもなるじゃないですか。ジムに行くなり、金がなければ家の周囲を走ってもいいし、だいたい今はどこの市町村にも自治体が用意するジムやプールがあって1回数百円で利用できます。私も家の近くの公共のジムやプールによく行きます。 そういう基礎的な努力さえせんでああだこうだいってもなーんも説得力ありまへん。 体力は、すべての基礎ですよ。肉体的に疲労していると頭も回らないし、良い知恵も浮かびません。世間にはエネルギッシュに活動している人もいますが、彼らがあんなにエネルギッシュでいられるのもそもそも体力があればこそです。だから私は、仕事が暇になったり失業して時間が余ると体を動かして体力をつけるようにしてきました。前述のように公共のジムなら数百円しかかからないし、いつかバリバリ仕事をやるときは体力を必要としますからね。 >必ずしも努力が報われるとは限らないとは分かっています 必ずしも努力は報われるとは限らないけど、ちゃんと努力していれば見てくれる人がどこかにいます。いわゆる「捨てる神あれば拾う神あり」ってやつね。誰も拾ってくれる神様がいないなら、そりゃ何かが足りない。 「私は頑張った」と自分で主張している人はだいたい二種類に分かれます。 ひとつは、あくまでその頑張りは「当社比」であり、世間一般では「そんなのは努力と自慢できるほどじゃないよ」という程度のものです。例えば頑張る人は半年とか1年頑張るのだけれど、1週間頑張った程度で「頑張ったけどダメだった」と言い出すとかね。本人だけ「1週間も頑張ったじゃん」と思ってるのです。 もうひとつは、努力のベクトルが間違っている場合です。魚屋に就職したのに、野菜の勉強を始めちゃうようなことです。特に全体が見えてなくて、目の前のことしか見えなくなる人が多いように感じます。シャアは「戦いは二手三手先を考えるものだ」といいましたが、仕事がデキる人も先のことを考えています。二手三手先を考えるのはなかなか難しいですが、一手先を考えるのはそれほど難しくはありません。 仕事がデキる人の様子を思い出してください。不測の事態にあらかじめ備えているでしょ?で、トラブルが起きたらまるでそれを知っていたかのように冷静に対処しているじゃないですか。あれは二手三手先を考えているからです。だから「こういうことが起きる」と予想できるので、事前に準備しているのです。 仕事なんて、事前の準備で80%は決まりますよ。 >どうしても自分にあった生き方というものを受け入れたくありません。 それならば、その自分が望むレベルの人間になることです。それは自分が頑張ればいいだけのことだから、ある意味簡単といえば簡単だ。自分を成長させる努力を続けることです。たとえ何度失敗したとしてもね。 まずは体力をつけることなんでないですかね。体力をつけるって、一番簡単なことですよ。ちゃんとご飯を食べて、トレーニングすれば必ず体力はつくんだから。そんな簡単なこともできないんじゃ、なーんもできないんでないかい。 あえて挑発的な文章にしました。
お礼
回答ありがとう御座います。 学生時代は水泳、吹奏楽、剣道、バスケットをやっていましたし、 毎日腹筋30回を続けていました。 それでも実力は一番下で、疲れて他の事に集中できなくなるだけでした。 食事はしっかりとり、ファーストフードは避けています。 が、やはり結果が出ません。 休みの日に体を動かすようにしていましたが、 翌日の出勤でヘトヘトになるのでこれから控えようと思います。 努力のベクトルがズレてしまうことがよくあるので気をつけます。
- BC81
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私生活、特にパートナーとの関係が充実していると、 平凡な毎日でも楽しいものです。 仕事における理想と現実のズレは、 高いレベルで仕事している人でも、 夢を実現しているように見える人でも、 程度の差こそあれ感じていることでしょう。
お礼
回答ありがとう御座います。 あるはずもない異性の理想的な愛情というものに期待をしてしまう自分が嫌で、 どうしてもパートナーを作りたいと思う事ができません。 確かに、仕事で現実と理想にズレを感じる人は多そうですね。 自分の事ばかりで気づきませんでした。 理想道理にいかなくて当たり前なのかもしれません。
- biancoisor
- ベストアンサー率19% (13/66)
うーん きになったのは >学生時代の友人達は皆、自分達のレベルを受け入れはじめから地元に就職し、 ここ。 結局友人をレベルでわけてるあたりがちょっと・・・。 地元に就職した人を見下しているのかな? 上京して素敵そうな場所で就職することがレベルが高いことなのか。 そのあたりじゃないかな~ プライドのわりに自分がついてこないってことだね。 けどでもいいんじゃない? やりたいことをやればいいよ。 若いんだから。 けど家庭に入って子供をそだてたり、 地元で就職することは、レベルの低いことではないよ。 それだけはきをつけておいて。 他人がどうしようが、どういおうがどうだっていいじゃん。 好きなことを精一杯したらいいよ。それが結果どうあったっていいじゃない。
お礼
『自分達は才能がないし出来が悪いからここへ来たんだ。学校で学んだ事は地元でちょっとでも活かせればいい。東京なんてブラックばかりだしレベルが高すぎて無理』というのがクラスメイトの考え方でした。 そんなことはない!諦めたくない!と思っていたからこそ上京を決意したのですが、いつの間にか自分自身が偏った考え方になっていました。 ご指摘ありがとう御座います。まだまだ視野が狭かったです。
お礼
回答ありがとう御座います。 実は私は海外の血が混ざっているので、幼い頃から孤立する事が多く、 何とか『日本人らしく』振る舞うために周りに合わせようとしてきました。 リーダーに推薦されたり表彰式等で表彰されるのが一番嫌いで、 その度に学校を休んでいました。 目立たないように、周囲と調和できるようにと 頑張る度に相手になめられて、事態は悪化します。 こうして考えてみるとすごく馬鹿馬鹿しいですね。 自分の芯をしっかりと持たなくてはいけませんね。 気づかせてくれてありがとう御座います。