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現代の技術と幸福について

現代の技術が人間の真の幸福にむすびつかないのはなぜでしょうか。わかるような気もするのですが実例がいまいち思い浮かびません。どのような実例があるか教えていただけないでしょうか。

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  • naomi2002
  • ベストアンサー率44% (478/1075)
回答No.1

ヒマラヤの麓にブータンという小さな国があります。 面積は日本の四国くらいで、経済学者に言わせれば、世界で最も貧しい国の一つだと言われています。 日本とブータンを比べてみると、いろいろ参考になるのではないでしょうか。 貧しいと言われていても、実際、ブータンの人たちは、日本の平均的なサラリーマンよりずっと広々とした家に住んでいるそうです。 国民の大部分が農民で、生活は自給自足的な面が多く、観光資源は豊富だが、あえて宣伝して観光客を誘致しようともしない、そういう国なんだそうです。 何より私が感銘したのは、この国は昔からプラスチックを使わないということです。(全く使わないのかどうかは、わかりませんが。) 一昔前だったら、ほとんどの人が、こういう国のあり方について、見向きもしなかったでしょう。しかし、今になって考えれば、ブータンの国策は素晴らしいものだったと思います。 公害もゴミ問題も交通渋滞もなく、必要以上の豊かさもないが、特に困窮しているわけでもない、それこそが、健全な豊かさではないでしょうか。 私は経済学には全くの素人です。 経済学というのは、「豊かさの科学」だと思っていましたが、実際は、物やカネの動きを考えるだけの学問だと思います。 綺麗な空気も、美しい風景も、それによって誰かの懐におカネが入って来なければ、経済学の対象にならないのです。 だから、ブータンのような国は、「貧しい国」とされてしまうのです。 ここに、経済学的な「豊かさ」と、真の豊かさとの乖離があると思います。 話は変わりますが、私は化学が専門です。 今まで、研究費獲得のためのいろんな書類を書かされました。 この技術が完成すれば、工程を単純化できるとか、経費を節減できる、とかいうことを書きます。それらはたしかに嘘ではないのですが、宣伝文句ですから、マイナス面については書きません。 そういう文章を書くたびに、「これが本当に完成したら、また失業者が増えるんだろうなぁ。。。」と思ったこともあります。 正直言って、とても空しいです。 人間の浅知恵で、切り貼り細工のように、小さな部分しか見ないで、様々な技術を開発してきたその結果が、公害であり、過労死であり、交通渋滞であり、そして雇用不安です。 真の幸福に結びつく技術とは?ということを、真面目に考えなければ、世の中はとんでもないことになると思います。 まとまりのない、わかりにくい文章になってしまいました。 回答になっていないかもしれませんが、何か少しでも参考になれば嬉しいです。

noname#17469
質問者

お礼

早い回答を本当に本当にありがとうございました。とても大助かりです。 ほかの方でこの他になにかしっているというひとがいたらどんな小さなことでもいいので教えてください。よろしくお願いします。

その他の回答 (3)

  • bunsekiya
  • ベストアンサー率51% (77/149)
回答No.4

そうですね。#3さんがおっしゃるように、哲学的な命題ですね。 私が思うに、それは、「技術は単なる道具でしかない」からだと思います。使う側の問題が多く含まれていると思います。「技術」は文字通り、「諸刃の剣」なのです。 例えば、「よく切れる包丁」はおいしい家庭料理を作るのに役立ちますが、指を切ったりして怪我をするかもしれません。悪意を持った人間が使えば「凶器」です。今までに何人の人が包丁に刺されて命を落としたことか・・・。全ての技術に関る問題はこれらの延長線上にあります。 悪意をもって使うかどうかは人間の側に責任があります。また悪意を持っていなくても、その性質をちゃんと把握しないまま使ってしまって様々な悪影響を生んでしまうこともありますが、これも、人間側の調査不足ですね。 技術自体が人類を幸せにしてくれることはあり得ません。それは人類が自らの努力でなさねばならないことです。

  • nabla
  • ベストアンサー率35% (72/204)
回答No.3

この質問は科学よりもむしろ哲学にカテゴライズされる気がしますが…。 まあそんなことはどうでもいいですね。 ところであなたは「幸せ」とはなにかについて真剣に考えたことはありますか? 哲学には古く(古代ギリシアの時代)から「相対主義」という考え方があります。 これは一言で言うと、「全ての基準は人それぞれで、絶対的に正しい、絶対的に間違っているなんて言うことはできない」というものです。 そしてこの考え方は現代哲学の主流でもあります。 (むしろいまどき絶対主義なんかを唱える人はいません) そしてこの相対主義の立場に立てば「幸せ」というものも曖昧になります。 極論を言えば「死ぬことは幸せか否か」ということにさえ賛否両論があります。 あなたにとって「死ぬ」事は最も不快なことのひとつだと思います。 しかしもしあなたが末期のガン患者で鎮痛剤すらも効かずただ朦朧とする意識の中助かる見込みもなくただ激痛に耐えるだけの状態だったとします。 そのときでもあなたは「死ぬ」事が不快だと断言できますか? そう言うことなのです。 だからあなたが「今の科学技術は人類の幸福に結びつかない」と主張するのと反対で(例えばDC1394さんのように)「科学技術により人類は幸福になった」と主張する人もいるのです。 ちなみに下のサイトは哲学について分かりやすい解説があるのでぜひ参照してみてください。 人生観が変わりますよ。(極論) またその次のところはとても長い文章でまた毒舌も入っていますが、相対主義について非常に詳しく言及しておられます。常識が破壊されるのを恐れない場合はのぞいてみてください。

参考URL:
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/,http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/majimetotu2.htm
  • DC1394
  • ベストアンサー率45% (90/200)
回答No.2

参考になるかどうかわかりませんが、アイザック・アシモフ(生化学者・作家、故人)のエッセイ(存在しなかった惑星、ハヤカワ文庫)から一部を引用させていただきます。 ”あるとき、私の講演のあとの質問の時間にある青年が、科学や技術が人間の幸福を少しでも増大させたと本気で思っているのかと訊ねた。 「あなたは、古代ギリシアの時代に住んでも、今と同じように幸福だと思いますか?」と私は訊ねた。 「思いますよ」彼はきっぱりと答えた。 「アテネの銀鉱の奴隷であることが、どれだけ楽しいかな?」私が微笑を浮かべて訊ねると、彼は坐って黙りこんでしまった。(中略)  それでは、奴隷制度が嘆かわしく弁解の余地のない不正として認識されるようになったのは、いつのことなのか?  もちろん、機械が労力に変わり始めた、産業革命の夜明けとともにだ。(中略)  また、論拠として挙げられるのは、奴隷制度ばかりではない。  産業時代以前には、人類は絶えざる伝染病の蔓延に悩まされていた。両親の愛も、会衆の祈りも、哲学者の高尚な抽象論も、子供がジフテリアで死んだり、一国の半数がペストで死ぬのを防ぐことはできなかった。(中略)  それでは、総括してみようー  現代の科学や技術がたどっている道は気にくわないかもしれないが、それ以外に道はないのだ。 (後略)” 我々は本当に「真の幸福」を享受していないのでしょうか?現代の技術が本当に、人々に幸福を与えていないと断言できるのでしょうか? 二千年前の技術と現在の技術を比べたとき、「真の幸福」というものがもたらされているのはどちらなのでしょう? 私は、答えは明白だと思います。

noname#17469
質問者

お礼

ありがとうございました。参考にさせていただきました。

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