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アスペな私に教えて!~本音と建前どう思う?~
- アスペルガー症候群の私が、建前と本音について意識や使い分けについて質問します。
- アスペルガー症候群と診断された私が建前と本音の使い分けについて意識しているのか、質問します。
- 建前と本音の使い分けについて、アスペルガー症候群の私が質問します。
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質問者が選んだベストアンサー
なるほどと思って質問文を読みました。 良く考えてみると、「本音と建前」と言う言葉の定義をしっかりと理解していないと思い当たり、 Wikipediaを調べました。 日本特有の性質だそうで、英語でも「Honne and tatemae」と言うらしいですよ。 ですので、アスペルガーの方にとって難しいのではなく、 日本人以外にとって難しいらしいですね。感覚的に理解できないらしい。 交渉の際に違いが顕著に現れるそうです。 本音とは、自分もしくは自分の所属する組織などが、自然に感じることだそうです。 建前とは、自分もしくは自分の所属する組織が、もっと大きな集団や相手に対して、 その対象となる相手が望むことを先読みし、 その中で、特に異を唱えなくとも、自分が望む結果になりそうだと判断した場合、 なるべくは、相手と自分の望みを包含した形で、漠然と曖昧にコメントする事のようです。 建前を述べた後、そこから細部を煮詰めて、具体的な取り決めをする。 ですので、日本人がする交渉は、 あとで具体的にルールや約束が決定しそうなときに、 初めて本音を言って、ひっくり返したり、相手に妥協を求めると言う先延ばし戦略です。 こう改めて整理してみると確かに思考の過程はこれにそっているようです。 【Q1】建前と本音を使い分ける際、意識しているか 恐らく意識している人は何らかの責任ある地位におり、交渉を仕事としています。 そうでない人は、意識していないと思います。 前者のほうが優れており、後者の人は練習をしてここに到達すると思います。 【Q2a】意識しているとすれば、どんな思考を経て「建前」を運用しているか? これは先ほど述べました。 ・最初に目上の人かそうでないかをチェックします (A)目上の人の場合、もしくは嫌われたくない、失礼を働きたくない、緊張感がある相手 ・この状況では、相手は本音をもとめているか? 一般論をもとめているか? 考える (本音を求めていると思われた場合) ・相手が何を指摘されたくないかを考える(これを避ける) ・自分が何を言いそうだと、相手が予想しているか考える ・(それが分かったとして) ・この話を継続して自分にメリットがあるか考える (話を継続して何かしら自分の要求をアピールできると思えた場合) ・少しだけ予想を裏切る答えを考える (予想を裏切る答えを思いつかない、時間がない、もしくは話を続けたくない場合) ・相手が予想している答えを返す この順番で相手が満足するまで、繰り返し応答する (B)そうでない場合 ・今決めないと駄目なシーンなのか? あとで約束を保護に出来るシーンなのか? ・再度希望を聞いてくれるのか? ・どうすれば約束したことにならず、あとで本音を言えるか? そういった言い回しはないか? ・あまり本気じゃない。この話を続けたくないと言う、 「あんまり興味がない」 というニュアンスを伝えられないか? と言う順番で、考えて答えます。 当然ながら、 後者の(B)そうでない場合は、目上の人や自分が大切にしたい人に行ってはいけません。 すぐに失礼がばれてしまうので、揉め事に発展します。 コミュニケーションがうまく行かない人は、(B)の手段しか知らず、 だれかれかまわず(B)を使っています。 訓練をしていない、そのうえで意識していない人は、(B)を使っていると思われます。 (A)を行うには、状況を理解し続けることと、自分の立場を良く捉えていること、 更に加えて、相手の方が人間であり、どのような感情をもっているか、 思いやりをもたないといけませんね。 こうした力を昨今ではEQと呼んでいるようです。 訓練をした人は、高い数値が出ます。 【Q2b】意識していないとすれば、それは最初からか、経験を経た結果か? (A)、(B)どちらも経験からだと思います。 ただし、俗に言うチャンスをつかんだ場合は、(A)が必要になります。 チャンスでもなんでもないときは、(B)で充分でしょう。 となりますと、チャンスと考えられる緊張感ある経験を沢山した人ほど、 (A)を必要とする経験がふえますから、その中での成功体験から上達していきます。 上達の対象となる部分があります。 (A)ではの全ての段階は、「考えて予想する」必要があります。 予想が間違えてしまい、見当違いをしてしまうと、 「何を言っているのかわからない」 と目上の人に言われてしまうわけです。 自分の予想が的確でないと、無残な失敗をするということになります。 チャンスをつかんでも、適応できずに玉砕する人を沢山見ています。 こうした人は、(A)の思考が出来ないようです。 これも訓練が必要です。 訓練して向上する人と、頭が痛くなって取り組むことすら出来ない人に分かれます。 最後に、 質問者さんは何か勘違いをしているように思えます。 アスペルガーの方も、一般の方も、多くの方は、 相手の考えていることを的確に捉えることができません。 アスペルガーの方が異質であるのは、自分の考えていることを的確に捉えているからです。 多くの人は、自分の考えていることを的確に捉えきれず、 思考がすり抜けていきます。 こうしたとき、 「ピシッと晴れやかに自分の考えが分かるといいのに」 と密やかに悩むものです。 これを他人に悟られると非常に恥ずかしいですし、蔑ろにされるかもしれません。 この恐怖の感覚のみが一般の方には共通しています。 「わからない事がばれたら恥ずかしい」 これだけがコモンセンスです。 空気を読むと言うのは、 「見栄を張って分かるフリヲしているのだから、追い詰めて恥をかかせない」 という事を指しております。 アスペルガーと診断されたからと言って、 必要以上に自分だけが分かっていないと決めてしまうのは非論理的です。 人と言うのは、良く分かっていない、知らないと言うことがとても怖く、 これを白日の下に晒す行為を残酷であるとしています。 質問者さんは必ずこうしたシーンで地雷を踏んでいるはずです。 ですので、 健常者の方が何か特別なセンスを持っていると誤解しても仕方がないと思えます。 質問されている内容のほとんどが、 人類の中でも論理思考の強い学者さんがテーマにしている内容ばかりです。 そしてそうした学者さんの中で、特別に秀でており、活躍している人には、 アスペルガーの方も多いと言われています。 私も感覚的なセンスから論理的な思考へと。 訓練を経て移行しようとしたことがあります。 本質問によって得ようと思っている狙いですが、少しばかりズレていると思えます。 感覚的にわからないことでも、 練習などにより体得していけると考え、 そのヒントを得ようとしているのだと思います。 ですが、健常者の方も本当は分かっておらず、見栄を張って答えようとする可能性は 考えておりますでしょうか? 健常者のかたが、コモンセンスを持っているとか、 正常な思考方法を持っているとか、 そのように仮説をたてたあたりに、実は何の保証もないと思えます。 ここも考えてみてください。 以上、ご参考に成れば。
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- tsuyoshi2004
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本音と建前をもっとも考えて発言や行動を起こす場合は、「自分の社会的な立場(職業など)で」発言や行動をする場合でしょう。 例えば、学校の先生が内心では「本当は将来この知識を生徒が使うことはないだろうな」と思っていても、間違っても生徒に「ここは覚えていても将来ひとつも役に立たないから」などとは言ってはいけないだろうし、 飲食店の店員が内心では「隣のお店の方が美味しい」と思っていても、お客に「隣の方が美味しい」とは言ってはいけないでしょう。 ご質問にあるお笑いにしても、単なる視聴者が面白いとか面白くないという批評は自由だと思いますが、仮にスタッフ(タレントのマネージャーや番組の制作スタッフ)が面白くないなどとは公言できないでしょう。 私見ですが(というのも建前なのですが・・・・)、個人の立場で発言するのであればほとんど建前は使う必要はないと感じてます。ただし、本音でも言葉をオブラートに包んで柔らかくしたりはしています。 例えば、ご質問にあるお笑いにしても、周囲が凄く面白いと絶賛していても自分が面白くないと感じていれば、「私って笑いのセンスがないのかな?面白さがどうも理解できない。」などと言うでしょう。 また、論理的、社会的に考えてあきらかに間違っているけど気持ちとしては納得できない(賛成できない)ことへの発言は殊更慎重にする必要があると感じています。 差別問題について発言するにしても「もちろん差別してはいけないのは頭ではわかるけど、どうしても○○は好きになれない。」などと発言しています。
お礼
回答ありがとうございます。 個人の立場では、あまり建前が必要とされないとのこと、なるほどと思いました。考えれば、建前が必要になる場面は、私人としてより社会人(公の場で)必要とされますし、その中でも自分の所属する組織の看板を背負うときが多いですよね。その中で、相手の失礼にならないように配慮すれば、ある程度の「建前」にはなっていくのでしょうか? そうすると「配慮」と「建前」は同質なのか異質なのかも、考えておかないといけないでしょうか? 回答ありがとうございました。
- mstk2
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質問者さんも無意識のうちに本音と建前を使い分けてますよ。 外へ出るときどんな格好してますか。寝巻姿? それとも裸? そんな馬鹿なことはありませんね。それなりの外出着に着替えるはずです。では帰宅しても外出着のままか。そんな人はいませんね。寝巻なりなんなり、楽な部屋着に着替えるはずです。ではその行動は意識的か。だとしたらだいぶ心配だが、いかにアスペとて朝夕の着替えは無意識にやってるはずです。 >アスペな私に教えて!~本音と建前どう思う 建前はそれなりの外出着、本音は裸の自分です。なぜ裸で外へ出てはいけないか。人さまが迷惑するからです。貴女からみても、その辺の汚い親爺が裸で町を歩いてたら嫌でしょう。では外出着を一日じゅう着てればよいのか。それはそれで息が詰まるし、逆に家族にとって迷惑です。つまり外出着と部屋着は、現代社会に生きている以上、状況に応じて着替えねばならない。本音と建前の使い分けもこれと同じです。
お礼
回答ありがとうございます。 着替えは無意識かというと、私はたぶん意識的にしていると思います。服を着替えることを思い立たなければ、着替えないでしょう。どんな服を選ぶのか、何をポケットに入れて、何をカバンにしまうのか。思考の慣れや短縮はありますが、明確に意識しています。 回答者さまと私の「無意識」という認識に、たぶんズレがあるせいで、こういう回答になっていると思います。私の感覚で言うと、朝起きて気付いたら着替えまで終わっているのは逆に怖いです(意識しせずに行うということは、その場では「その行為」を認識していない状態と、私は考えます)。 本音と建前同様、捉え方の曖昧さを排除しようとするのが、悪いことなのかもしれないとおもう今日この頃です。 回答ありがとうございました。
- hekiyu
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”建前と本音を使い分ける際、意識しているか” ↑ 意識している場合もありますが、意識していない 場合もあります。 意識していない場合は、永年訓練して来たので 意識していることすら意識していないだけだ、 と思っています。 つまり、本当は意識しているんだけど、その 痕跡を感じさせないほど使い分けに習熟して しまった、ということでしょう。 親しくなればなるほど、意識を意識している という感覚は弱くなるようです。
お礼
回答ありがとうございます。 新しい要素が入るほど、意識している実感が際立ち、習熟するに従い意識していることを意識しなくなる。自然と使えるようになるということですか。それなら、私にも理解できるような気がします。ようは、仕事と同じで「体で覚える」に近い感覚ですよね。 意識していることすら意識していないの境地、凄いですね。たゆまぬ反復練習の結果でしょうか。そこまでいければ、私ももう少し自然に、使い分けられるでしょうか? 回答ありがとうございました。
- ww555ww
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1 建前と本音を使い分ける際、意識しているか >私の場合には、あえて意識をして使い分けをしていることは、まず、ありません。 2a 意識しているとすれば、どんな思考を経て「建前」を運用しているか? >意識していなくても、その場の雰囲気や立場上の都合などにより、自然とその時に状況判断をして対応しているというような感じだと思います。(自然のなりゆきですね) 2b 意識していないとすれば、それは最初からか、経験を経た結果か? >本当に仲の良い友達や親友と話をする時には、ほとんど建前というか? うわべだけの会話は、めったにしませんし、ほとんど本音で話をしますから、やはりそのような相手と話をする場合と、仕事でお客さんとの話(営業の部分もありますので)をする場合とでは、自然と使い分けをしているというか?それが自然と出来ないと、逆に、仕事ではなくなってもしまいますから、 やはり長年の社会経験や人生経験から自然とそのように状況判断はしているのでしょうね? ちなみに、児童虐待やDVなどの問題も、その親が子供の頃に何かしらの精神的な負担を親から受けていたケースが多いともよく聞きますので、やはり人間は自分の過去の経験から、良いことも、 悪いことも、その環境に左右されやすい生き物なのかもわかりませんね? それから?こちらが最善だと思って言った言葉でも、その相手によって反応が悪い場合もあります! 相手の人が、どのような人物なのかも見定めないとなりません、特に異性の場合には多いです、だから、やはり正解の答えは?その場での状況判断により対応をした方が、私の場合には考えるよりかは無難なんですよ! いろいろなパターンがありますから!(笑) いろいろな人と、バカな話をたくさんしてトラブルになったような苦い経験もたくさんあるからこそ、今は自然体の方が無難なのかもわかりませんが・・・??? どちらにせよ、いろいろな人がいますから、なかなか定義づけは難しいと思いますよ? 対人関係は、なかなか教科書通りには行きませんからね。(笑)
お礼
回答ありがとうございます。 特に意識せず、使い分けが出来ている。本音と建前(対外儀礼的な言葉)の使い分けは、経験の積み重ねから、自然と出来ているのですね。 確かに、仰るとおり定義付けや、教科書どおりの対応は難しいのでしょうね。普通であれば、臨機応変に「空気を読んで」対応するのが、きっと正解なのでしょうね。それは積み重ねた経験(酸いも甘いも、というやつでしょうが)から、半自動的に引き出される反応で、思考や推敲とは違う、もっと反射的な部分から引き出される本能なのでしょうか。 悪い環境であると、その経験が歪になるため、引き出される反応も、通常と違うことになる。 この理解で、大筋違いは無いでしょうか? そうすると、私の場合は、手動式の反応なのでしょうね。たぶん、経験の積み重ねまでは、そう変わらない(質量の優劣はあれど)。それに対する反応の仕方が違うのでしょう。 例えると検索方法「予測変換(よく、ワードを入れる途中で、予測される語を出してくれるやつ。これでよかったでしたっけ?)」と「手動全入力」の違いでしょう。 正直、言われても俄かには信じがたいです。困りました。 参考にさせていただきます。回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 中々に難しいものですね。私は健常者の方の「見栄」こそが、本音と建前の本質なのでは、と思っていました。つまりは「言外のルールを、言語化せずに理解する能力」なのだろうと、考えている部分があります。私にはそれが欠けているので、知識と経験を積み重ねることで代用しようとしているわけです。確かに、論拠の弱い仮説だと、指摘を受け気が付きましたが、取り合えず、他に思いつくことも無いので、現行のままいきたいと考えます。これは、私の「見栄」なのかもしれません。 AとBの具体的内容は、とても参考になりました。私の普段の思考順序よりも、論旨が明快で分かりやすいです。自分にも落としこめるようにしてみたく思います。 自分でも意識しないうちに、踏み込みすぎることは、確かにあります。他の人が踏み込まない部分まで踏み込んで、対立を招いたことは、多いです。その意味では、地雷を踏むことも多かったと思います。最近は、そもそも地雷がありそうな場所に、なるべく近寄らないようにしています。事前準備の範囲を超えてくると、論を組み立てることに全力となり、踏み込むべきか否かの判断が、弱くなってしまうのでしょう。仰るように、Aの失敗そのものですね。 回答とても勉強になりました。ありがとうございます。