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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の人格)

自分の人格について質問

このQ&Aのポイント
  • 家庭環境や家族の問題が私の人格形成に影響を与えているのではないかと感じています。
  • 幼少期から家族の問題に直面し、自分の本音を抑えてきた結果、素直な気持ちや自分自身の感情に鈍感になってしまいました。
  • これまでの経験から、カウンセリングを受けることを考えています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

あなたに人格の障害があるとは私には、どうしても思えません。 子供の頃というのは、親が絶対的な存在ですし、今ならあり得ると思う お話も「信じられない・理解できない」事は多いと思うのですね。 それに対応するには、自分を抑え・我慢をする事が出来ていたからこそ 乗り越えてこられたのだと思います。あなたは、よく我慢をされました。 そして、その鈍感力が、あなたを守ってきたというのも事実だと思います。 難病がありながら、懸命に生きてきたではありませんか! そんな あなたを、私は褒めたいと思います。 彼から「お前は素直じゃない。人のことを考えていない」との事ですが 素直というのは 「どんな事でも人の言うことを受け入れる事」でも無ければ 「自分の思ったことを率直に表現するだけ」という事 でもありません。自分の考えと、人の考えを聞いて、自分で深く考えて 行動すると言う事なのだと思います。 それはアドバイスとして受け入れて「素直。人の事を考えられる」人間に 少しでも近づけば良いのでは無いでしょうか? まだあなたは20歳です。 そんな一朝一夕で出来る物ではありませんし、そういう彼だって完璧な 人では無いと思うのですよ。だから 「じゃあ、私も努力するね。でも一気にはムリだから優しく注意してね」 それで良いんじゃ無いでしょうか? 繰り返しますね。あなたは大変な家庭環境の中で頑張ってきました。 とても偉いと思いますし、仕方が無い対応でありました。 そして、これからもあなたは成長し続け・半年後には、そして10年後には 今より優しく・素敵な女性になって下さい。あなたなら大丈夫だと思います。

tsuba429
質問者

お礼

いつもご丁寧で心のこもった回答をいただけてうれしいです。 最近、やっと素直になっても大丈夫なのかな?という自分を見つけつつあります。でもそれは、とても悩ましいです。予防線を張って冷たくあしらう方が簡単で楽だからです。 でも予防線を張らない方が絶対に幸せな気持ちになることも分かっています。 また、少しだけ前に進もうという気持ちが芽生えました。 ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.2

質問文読みました、とても良く状況が伝わってきました。 前にも似たような相談をみかけたことがありました。 こうした補足情報があると、考えやすいですね。 カウンセリングに関しては、受けても受けなくても良いかと思います。 メンタル面での病気を患ったときに考えて、大丈夫に思えます。 コミュニケーションの問題で「素直になれない」と言う場合は、 過去に不当な扱いを受けたと感じて、 当事者に謝罪されていないときに起こるようですね。 質問者さんの場合は、「幸福を簒奪された」と感じているのかもしれません。 納得していなかったんでしょう。 しかし、これは仕方ないことであり、どこにも罪がありません。 いき場のない怒りを溜め込むと、苦しくなります。 また、その切っ掛けを作った当人も、まったく自覚がありませんから、 この気持ちが晴れることはまずないでしょう。 これ以上損をしないようにすることと、落ち着いて周りを見ることが寛容だと思います。 次に助言めいたものをお話します。 色んな人の相談に乗って思ったことです。 ここではまず最初に、知識や情報を共有させていただきます。 実は、 当人の知らないところで(主に家庭環境)で人格が歪み、 家族以外の人と接して、コミュニケーション上での問題を引き起こし続け、 最後はメンタルを阻害して、社会から離脱する人が増えています。 人格障害という言葉がありますが、これの医学的な定義は、 幼少期から発症し、著しい苦痛を常に感じているものだそうです。 病気としての境界を定義したものです。 しかし人が歪むと言うことが事実であり、それくらい軟いものだと言う示唆を得ます。 病気と認定される人は際立っているようです。 ここに質問される様な方は、気にする必要はないと思います。 大事なことは思った以上に人の心は軟らかく出来ていていて、 簡単に潰れたり歪んだりするということです。 一度歪むと、世界全体に見捨てられます。 見捨てられたと常に感じてしまいます。 この感覚から抜け出すことは難しいです。 実際にそうなのかもしれないですし。 この状態にある多くの人は、 悪人を仕立てて自分を慰める習慣があると思えます。 恨みや怒り、言い訳をエネルギーとして自分を支えているみたいです。 これは危険ですよ。 他の人は気がつきませんから、助けることが出来ません。 ひっそりと我慢をしている。 間違いなく我慢にも限界が来て、少しだけ誰かに愚痴を漏らす時がきますよね? しかし、我慢していたことは気付かれていません。 なので、優しくされることがほとんどないのです。 事情を知らなかった人は、あとで事情が分かるでしょう。 このとき、その人の面子は無くなりますし、その人も傷ついてしまいます。 冷たい助言をした人は引っ込みがつかず、傷ついて苦しさが残ります。 後に、 「どうして自分が苦しむことになったんだ?」 と考えます。 また、繰り返して同じ事が起きれば、 「この人と一緒にいると苦痛を感じ続ける」 と結論を出してしまう。 多くの他の人が同じような成り行きになります。 これが、 世界に見捨てられると言うロジックではないかと思っています。 次に私が重要なポイントだと考える部分です。 自分の心と言うのは、普段から自分でケアしないといけません。 我慢をしても綺麗には成りません。 わたしは掃除が苦手なのですが、汚い部屋に我慢をしていたら、 もっと汚くなりました。いまだに我慢をしています。 いつになったら綺麗になるのか? なりませんよねえw しかし、 悲しいとか苦しいとか、悔しいと言う気持ちを我慢したとき、 これは自分にも見えませんよね。 私の部屋が汚いのは、一緒に住めないと言った家族が、私を独立させたせいですし、 家族なのに心配してくれても良いのに、掃除にもきてくれないことが原因です。 面白い雑誌を売るコンビニが私を誘惑するせいですし、 もちろん私の意志が弱いことも原因です。 ですが本当の原因は家族にあると思うんですよ。 わたしの自宅が汚いせいで、友人を招くことが出来ず、彼と疎遠になりつつあります。 こうなった原因の謝罪を家族に求めたくて仕方ありません。 これは冗談です。 しかし、もしこんな事を本気で言い始めたら、嫌ですね。 実際にそういう次元に達しているツワモノもいますので、本当にそうなるそうです。 冷静になると言うのは、 こんな事を自分の心が本気で言ってないか? 確認することです。 これが厄介なのは、 他人に指摘されたときです。 「これだけ不幸な目にあって我慢しているお前が、  そんな事情も分からない幸福なお坊ちゃん、お譲ちゃんに、  ここまで上から言わせていいのか?」 などと囁いて来ます。 同じ様な悩みを持つ人と話してみると、同じ様な囁きについて言及しています。 私もです。これはちょっと気味が悪いですよね。 この誘惑に負けてカーッとなると、 自分が正義であって、相手が劣っていると決め付ける次の誘惑にかられます。 これにも負けると、瞬間的に物凄い高揚感を感じます。 世界全てを配下において、自分が孤高の人になり、一人だけ尊厳を保っているように 感じられます。 どなたも経験があると思いますが。 しかし、 これを押さえ込んで、悔しい中で現実を処理し、環境を整えた後の満足感のほうが 強い高揚感を与えてくれます。 運命と言うのは、ここが分岐点であり、どちら選んでも自分が成功したと感じます。 (錯覚です) 一回でも誘惑に負けると、次は負けやすくなります。 結果として、自分の部屋が汚いのを、家族の責任にしても、何も感じない人格が形成 されてしまうのです。 キリスト教では愛を訴えていますが、 旧約聖書の最初のほうで忌ましているのは、責任転嫁です。 アダムがリンゴを食べるように勧めたイブを責めているシーンだそうです。 イブは仲間がほしくて、アダムを貶めてしまう。 しかし、アダム自身が犯した罪よりも、責任転嫁について厳しく諭しているのです。 善を修行する仏教では、 責任転嫁をする心を持つ人を、入門させません。入門試験があるそうです。 宗教が違っても、考えることは同じですね。 これが人の心を歪ませて、戻れなくしてしまう分岐点だからです。 反省をする心を失うと、人の話が聞けなくなります。 多くの人は、深く人と関わろうとしません。 ゴミを落としたら、ゴミ箱に捨てる様に軽く言うでしょう。 しかし、 これに対して、 「自分の家族が自分を追い出すので、掃除が出来ない自分になった」 と言い訳してしまうようになります。 これは本当です。 冷静になれば、 「気がつかなかった、ありがとう」 で終わる話ですが、心が歪むとこれが分からなくなります。 本当は言い訳したいのに、 「それをいったら相手に攻撃される」 と考えて、我慢してしまいます。 しかし実際は、オオゴトで考える自分の欲求が異常ですよね? この段階では、周りの人は気がつきません。 普通の行動をしていますから、普通の人に見えています。 しかし、 たとえ文句を言いたい自分を我慢したと言う、当たり前の話でも、 ”我慢強い自分”を美化する道具の一つにされてしまうのです。 「こんなに私が我慢しているのに、どうしてそれがわからないの?」 とか、突然赤の他人に言っている自分になってしまいます。 「どうして私以外の人は配慮が足りないのだろう。人の気持ちがわからないんだろう」 こう考えるようです。 ここで別の人が気がついて諭しても、 「なんだ、おまえも結局あっちの人間か。ここは騙されたフリをして、  相手を気持ちよくさせてやろう。  これが分からないなんて、単純で可愛そうな人たち。  所詮ひとは、誰かの上に立ちたいとか、そういった欲望が強いんだ。  私ほど我慢とかできないんだ。」 とか進化してしまいます。 一定数の人間は、こちらの道に進みます。 ではレビューします。 アダムは、約束と責任を果たせませんでした。 もちろん成り行きで考えれば、イブが愚かだったからです。 もっと言えば、これを計画したサタンが悪かったんでしょう。 しかし、 「駄目と言われたことに対して誘いをかけられた?」 この誘惑の段階で、「何があったのか?」とイブに事情を聞けたはずです。 今の社会では、これをコミュニケーション力と呼んでいるようです。 不幸な成り行きを、この段階で止めてしまいます。 次に、ここを逸してしまっても、責任転嫁の誘惑を押さえ込むことができます。 さらに、ここを突破してしまっても、 償って謝ると言う事ができます。 これは、負い目を消して、再度晴れやかな気持ちで前を向くためです。 人を攻撃しても、負い目は増すばかりだからです。 責任転嫁をして誰かを攻撃すると、これは罪の意識として自分に蓄積するからです。 あまりこれが続くと、 「汚い自分は消えたほうがいい」「自分を汚いと思わせる全ては消えて当然」 と思い始めます。 自尊心を守るためには、他人に愛される必要があります。 無関心な他人に愛されるためには、自分の幸せを一旦後回しにしないといけません。 最初に相手の幸せを満たすこと。 飢えてしまうと難しいです。 ここで初めて我慢を使います。 以上、ご参考に成れば。

tsuba429
質問者

お礼

Glory_777さん、ご丁寧で心のこもった文章をありがとうございます。 正直、今の私にはGlory_777さんの文章を理解し、反映させることは出来そうにありません。なぜなら、まだ噛み砕いている段階だからです。 もう少し心の余裕が出来た際には、この文章を思い返してみようと思いました。 ありがとうございました。

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