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家康発給の朱印状.
家康は、外国に対して4通の朱印状を発給している、と何年か前の『文藝春秋』のエッセイで読みました。 4通を4カ国とすれば、イギリス、オランダは分かるのですが、残る2国はどこでしょうか。 因みにオランダは当時独立国ではなかったので、オラニエ公マウリッツを「国王」ということにしています。 すると、ポルトガルも当時は独立していませんね。 よろしくお願いします。
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●回答・・・スペインとポルトガル。 ●1609年 オランダに朱印状発給。 ●1610年 スペインに朱印状発給。 ●1612年 ポルトガルに朱印状発給。 ●1613年 イギリスに朱印状発給。 ○1616年 徳川家康死去。 ○なお、上記の年の物かは確認していませんが、朱印状は何枚か現存しています。 オランダ・・・オランダのハーグ国立公文書館にて家康の朱印状を現存。 スペイン・・・スペインの国立インディアス公文書館にて家康の朱印状を現存。 イギリス・・・オックスフォード大学の図書館にて家康の朱印状を現存。 ○なお、ポルトガルはスペインと君主を同じにする同君連合の国でした。 こうした同君連合は1580年に始まります。 しかし、だからと言ってポルトガルの全ての独自性が失われたわけではなく、必ずしも全ての面で統一された国家というわけではありませんでした。 だから 1588年にはポルトガルのインド領副王からの親書が豊臣秀吉に来ています。 この親書も京都の妙法院に現存しています。 ちなみに、副王というのはスペインとポルトガルが同君連合となる前からある地位制度で、ポルトガルやスペインはこの副王に植民地を支配させました。 ちなみに家康からスペインのメキシコ副王に親書が送られたりもしています。
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- kusirosi
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朱印状(異国渡海朱印状)は貿易許可という側面もありますが、 将軍の朱印が押された渡航免状 で、あくまで外国へ行く日本船に与えられるものです。 ※徳川家康は慶長4年(1599)から慶長12年の間に ルソン、ベトナム、カンボジア、パタニ、シャムなどの国王に対して計24通の書簡を送り、 日本国内の戦乱が鎮まったことを述べ、ここに使用する印と同じ朱印状を持った船は信頼してよいが、 それ以外の船には通商を認めないように求めています。 (このことでは) つまり、朱印状を持った船(朱印船)は海賊船(倭寇\(^^;)と区別され、保護や貿易上の便宜が与えられたわけですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 日本にやってきてもよい、と外国に許可したもので4通だけだそうです。
- ithi
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kouki-koureisya さん、こんばんわ。 多分、スペインとポルトガルだと思います。 一応同君連合として王様は同じですが、政治機構は同じではないので…
お礼
ご回答ありがとうございました。 同君連合というのですね。 初めて知りました。いや、60年ほど前、世界史の授業に出てきたはず。
- 178-tall
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「朱印船貿易」がらみで発給したものだと、オランダ、イギリス、ポルトガル、スペイン船、中国などかナ…。 それとも、家康が発給したもので、現存している「4通の朱印状」ですかね?
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 お陰様でイギリス、オランダ、スペインへの朱印状はネットで見つけることができました。