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ただ話を聞いて頂けないでしょうか
私は自分に自信がなく、自己評価も低いのですが、親との関係に理由があるのかを検討してみようと思いました。 父と母は離婚もせずにいますが、父は小学生?頃から単身赴任のためほとんど家にはおりませんでした。私は大学生ですが、現在も父は実家にはおらず、年に1回会うくらいです。今はどこにいるのかはわかりませんが。 昔から家にいる家族は母、兄、祖父でした。 母は仕事が忙しく、夜勤などで家にいないこともよくありました。そんな時は私と兄、祖父での食事で、会話も少なかった気がします。兄が大学生になり、一人暮らしをしてからは母が仕事、祖父も元気な人なので遊びに行ったりで、一人で家にいることもありました。 また幼稚園くらいの時に、母と父のかえらが遅く、みんな寝静まった夜に1人外へ出て帰ってくる車を探したこともありました。父と母は驚いたそうです。 母は頭も良く、仕事もでき、料理も上手、裁縫も何でもできるすごい人です。 仕事が遅くても、惣菜は買わずにきちんと料理を作ろうとする人でした。 勉強や習い事をさせてくれましたが、私は勉強が出来ずによく怒られました。今だに金食い虫だと言われたりもします。母は冗談交じりに笑いながら言うのですが、私はいつも自分がダメだからという気持ちになります。 友達と遊びに行ったりすると誰とどこに何時までと必ず聞かれました。制服のスカートを短くしたり、ちょっと不良?じみた格好をすると怒られたり、頬を叩かれたりしました。理由は覚えていないのですが、肌着1枚で家を追い出されたこともありました。父が驚いて入れてくれました。その後は泣きながらケーキを食べさせてくれました。 小学生の時は可愛い洋服などは着れず、欲しいというと不機嫌になりました。高い服が欲しいとかではなく、みんなと同じようにお洒落したかったのです、流行りの服や遊びの話をみんなとしたかっただけなのです。母はみんながみんながと言うけれど、人は人、家は家と言い、じゃあお金やるから買えば?と言いました。私も幼い頃は引っ込み思案で社交的ではなかったのもあり、全く同級生の輪に馴染めませんでした。確かに同級生も見た目やグループで人を判断する子たちが多かったです。いじめのようなこともあったと思います。私の性格も大きいのですが。母はそういうことで判断するのは友達なの?と言ったので私も自分が無理をしなければ一緒にいられない人とはいなくても良いと思い、よく1人で読書していました。今思うとかなり強がっていたのかもしれません。武道を習っていたのですが、人一倍負けん気が強く、男子にも食ってかかっていました。性格は陰気で刺々しく、明るく普通に誰かと話しをするのが難しかったです。誰かと接するのが怖かったんだと思います、嫌われるか嫌われないかみたいな気持ちだったと思います。人と何かを一緒にするということがなかったため、主観的で客観的に考えることも得意ではありませんでした。辛かったはずなのに、そのときの感情ははっきり覚えていません。忘れる程度のことだったのかもしれません。気にしないようにと考えてきたからでしょうか。小学4年の時に当時高校生だった友達の兄に羽交い締めにされ無理矢理キスされたこともありました。しかし当時もあまりなんとも思っていませんでした。ショッキングだとも感じません。普通でしょうか。中学、高校は人に嫌われたくないと思い無理をして人に合わせ続けました。とにかくあほで明るく、みんなの注目を集めたかったのです。頭が悪いのもキャラで、それくらいしか気に入られる要素がないと思っていました。小学生から武道と共に、芸術分野の習い事もしていましたが、それもコンプレックスでした。私以外にそれらの習い事をしている人がおらず、見た目とのギャップや普段目立たない私が人前でその姿を披露する時など本当に憂鬱でした。実際に周りがどう思っていたかはわかりませんが、劣等感がとても強かったのだと思います。よく嘘をついて稽古などをサボりました。芸術の先生はとても厳しく?というか意地悪で、泣いていることを否定されたり、下手くそだと言われたり、褒めるのも、ふん、良かったねと言うような感じでした。それでも良い成績をとると母がわずかに褒めてくれたのでホッとしていました。大体はふーんとかまあまあだねとか、私より頭の良い兄がいたのであまり目立ちはしなかったのですが。私が褒めて欲しくてどう?良い?と聞いても笑いながらあんたは、お前はこうだからとか言われます。精神的に参って痩せた時も、実際には痩せていない、骨が細いだけでそう見えるだけと言われますし、あることで辛いと言っても、お前は弱い、客観的に自分を見れていない等言われます。決して激しく、罵倒するように言われるわけではなく諭すように言われます。他人に自分の苦しみを充分に理解してもらうことはできないので、仕方ないのですが、手放しで受け入れてくれたことはありません。私も母の言うことがもっともだと思うことももちろんあるので、まず自分が反省して変わらなければと思います。すごいね、よくやったね、頑張ったね、などと言われたことは一度もありません。私は贅沢なことを言っているのでしょうか。これはどの人も当たり前なのでしょうか。でしたら申し訳ありません。父は家にいないので、まともにきちんとした会話をした記憶がありません。 現在大学生ですが、高校までの友達と呼べる人はおらず、全く付き合いはありません。一人暮らしをしていて、以前は頻繁に母と電話していましたが、最近はしないようにしています。母と話すと、職場の愚痴、ストレスの話しがメインです。気軽に話せる人が身近にいないのだろうと思うので仕方ないのですが、最近は私が疲れてしまうので距離を置いています。私の意見を聞くでもなく、話しを親身に聞いてくれるでもなく、ただ聞いて欲しいのだと思います。まあ、母に何かを話したり、相談してもこうしたら、ああしたら、お前はこうだからみたいなことしか言われないので、話したくありません。ただ辛かったね、頑張ったね、と言って欲しいだけなのです。母はあなたのためを思って言ってるんだけどと言いますが、結局は自分のためだろと思ってしまいます。 私が自分で選んだことに対しても否定されたりします。洋服を買ったら、あれはイマイチだ、似合わない。友達については、彼女は主体性がない、何が楽しくて生きているのかわからないような人だなどと言います。自分の大事にしている人やものをそのように言われると腹が立ちます、悲しくなります。以前は母の言うことは正しいと思っていましたが、今はもっと自分の考えを持とうと考えます。母からの評価を求めるのは辞めます。父は私の中で存在が薄いです。愛情は感じますが、父も歳の離れた娘への対応がわからないみたいで、物をくれたり、お金だけ渡されたり。私は物やお金なんかよりただ一緒にいて欲しいと思っていました。今は父、母と一緒にいたいとはあまり思いませんが。実家に母といると窮屈です。 寂しがっている母のことを申し訳ないと思いつつ、離れていたいと感じます。 全く手のかからない子だったと言います。心配されたことも全然なく、母や友達の顔色を伺いニコニコしてきたせいかなにも考えていなさそう、悩みがなさそうと今だに思われている節があります。頼る人がいなかったので強がって生きるしかなかったのかなと。 両親の家庭環境も良くなく、母方の両親は離婚、父方の父は酒乱、働かず、貧乏で母はお嬢様育ちで働く能力のない人だったそうです。 私の母は素直じゃなく、強がりでさびしがりです。誰も母の話を聞く人がいないのは可哀想だと思います。私は親不孝でしょうか。感謝はしています。母が生きてきたように私にも教育しているのでしょうか。 大学生になってからは友達ができ、親からも離れて自分を見つめる良い機会になっています。 友達でも親との関係が上手くいっていない子はいるので、自分が不幸、可哀想などとは思っていません。 ただ自分の弱さの原因が生育環境にあるなら何か変えられないかと思いました。 もしご意見や感想があれば教えて頂けませんか。
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- ni_si_ki
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男の子は父親が母親を愛する姿を通し、愛し方や責任感を身に付け、 女の子は母親が父親から愛される姿を見て、自分も他者から愛される自信を持つと言います。 父親が不在がちの質問者さんは、間近で母親が父親に大切にされる姿を見ていませんので、核の部分がスッポリと抜け落ちている状態ではないでしょうか。 両親が仲良しの家庭だと子供は無条件で愛されることを肌身で知っています。 それは成功した時よりも失敗した時の方が顕著に表れます。 何があっても自分には帰る家があるというのは、子に取って何物にも代えがたい勇気の源です。 しかしあなたはお母さんの愚痴を聞かないといけない。 頑張っているお母さんを褒めてあげないといけない。 これではどちらが親なのか分りませんよね。 恐らくお母さんも甘えることができない家庭に育ったことにより、辛い時に夫を頼ることが出来ずに来たのでしょう。 このままいけばあなたも将来の伴侶に素直になれず意地を張ったりすることが懸念されます。 あなたが意識的に変わろうとするのなら、真っ先にここの部分でしょう。 他人を信じることが出来るようになれば、かなりの進歩です。 そのために重要なのは、自分自身を信じることです。 お分かり頂けますでしょうか?
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
自信は「あるかないか」ではなく「持つか持たないか」だそうです。 自信には根拠はいらない。 自分が持つと決めればいい。 自信を持っている人は、自分自身が持つと決めたか、 生育環境の中で周りが自然に持たせてくれたのでしょう。 これは、君が持っているべきものだ、と。 あなたには自信を持たせてくれる人がいなかったわけですが、 それなら自分で持つと決める必要があるということです。 自信を持たせてくれる人がいなかった、というのは生育環境の問題ですが、 今現在、自信を持つ、と決めないのは自分自身の問題です。 あなたと同じ環境で育てば多くの人が自信なく育つのだと思いますが、 一生自信のない状態を続けるかどうかは本人の素質と自覚によると思います。
お礼
おっしゃる通りですね。 自分にはできない、無理だと思ってきました。 自分で自分に自信が持てるようになりたいです。 人に振り回されず、自分で選択し、それを信じてみます。 弱い自分に負けないようになりたいです。 回答ありがとうございました。
- neo-pp
- ベストアンサー率25% (173/666)
自分の分析は出来ているようですので あとは環境や自分を責めずにこれから自分が どうなりたいのかというのを明確にして そのような人間になるように努力することが大事だと思います。 あなたに起こった過去は変えられません。 ただ、解釈は変えられます。 その解釈によって過去におこった事実は悪いものにも良いものにもなります。 人が経験できてない事を経験したというのは ある意味貴重な体験です。 それを強みにして具体的になりたい自分をイメージして 生きていけば将来きっと理想の自分になってると思いますよ。 自分を変えられるのは自分しかいません。 幸せな未来を信じてがんばってください。 応援してます。
お礼
自分に負けない自分になりたいです。 時々折れそうになる弱い自分に負けたくないです。 思いやりのある人間になりたいです。 人の評価や言葉に振り回されやすいので、自分で自分を信じれるようになりたいです。 回答して頂き、ありがとうございました。
お礼
人に頼ることができませんでした。 彼氏が出来ても甘えることに抵抗があり、俺は必要ないじゃんと言われたりしました。私としては、そう思ってくれる人がいるだけで良くて、プレゼントもご飯をご馳走してくれるのも愛情を感じれませんでした。今は、自分に向けてくれる好意を素直に受け取れるようになろうと思っています。私のために何かしたい、その気持ちを大事にしたいと思います。 自分のために何かをしてくれる人がいる、心配してくれる友達や人がいることを忘れず、その気持ちやその人たちを大切にできる人間になりたいです。 回答、ありがとうございました。