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秋田国際教養大学が英会話学校と揶揄される理由
この学校はすべて英語で授業を行うために 授業の内容レベルを下げざるを得ません。 これは仕方のないことです。 仮に東大生でも東大で日本語でやっていることをすべて英語でやれば、理解される内容は下がるでしょう。 こう考えると 使用している言語が英語なだけで、学んでいる内容は同レベルの偏差値の大学よりかなり低いものになってしまいます。 大学で学んだ知識を英語でアウトプットすることはできるがその内容は同レベルの大学より低いわけです。 これはまさしく 学ぶ内容よりも英語を話せることを優先しているからです。 と私は解釈しました。 みなさんはどう思われますか?
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他の質問でも国際教養大学について書かれていますね?今回は私の国際教養大学についての意見を書き、各々の回答としていただければ幸いです。 私自身、国際教養大学(以下:国教大)の設立は「田舎の地域振興」という側面が強いと考えています。秋田という学術的には特徴がないようなところに若い人が(統計上だけでも)増加できる要因もあり、語学の勉強をするのに適した環境ということで秋田を選んだということではなく「秋田に作るにはどのような大学がいいか?」という秋田ありきの大学ということです。他にも埼玉にある「ものつくり大学」もなぜ蒲田などにないのかが疑問ですし(もしくは蒲田の工学院などに協力を要請して作ればよかったわけで…)、大学を作ることが前提な例は多くあります。国公立だろうと私立だろうと、税金はかなり投入されています(私立の場合、学生が払っている額と同額程度が国から補助されていると想定されています)。そのため国も大学設立には国(官僚)にメリットがないといけないことになり、大学設立にはかなりの要求がされていて、設立人が想定しているものとかけ離れるないようになることもあります(立地なども含めて)。 こうしたことから国教大は「田舎というハンデを何とかメリットにできないか?」というスタンスから「英語漬け」ということを考えだしたのでしょう。ただ冷静に考えればわかるのですが、語学に関する研究機関は人口が多い場所にあるのが通例であり、これが変わることは考えられません。人がいないところで言語を研究することに無理がありますし、語学は使ってナンボのものである限り、使う場所が大学内だけで目標とする「リベラルアーツ」なんてできるわけありません。そこで教育した人材が世界で通用する人財と考えるのは「田舎の小さい教習所だけで練習した人が、大都会の幹線道路で運転できるようになる」くらい無意味なことです。英語をマスターするには、そもそも、あのようなところに行く必要もなく、大学受験の勉強をしっかりやれば(リスニングも含めて)ビジネス以外の英会話なんてできるようになりますし、そのマスターのためだけに4年間使うことに違和感すらあります(通常の大学はそこそこの英語の授業と専門課程をやります)。先ほど、ものつくり大学は蒲田がいいと書きましたが、国教大が目指す内容を満たすということだけを考えたら、東京外国語大に併設するなどの方がいいに決まっています。語学に秀でた人材がすでに存在し(優秀な人間を集めやすい)、そこそこ都心に近い状態であり、何なら隣の警察学校と同じような施設を作ればそれこそ外出ができない状態にもなります。 ちなみに、「使えない人材」に関してですが、あれは「期待しているほど使えない」という枕詞が根底にあります。1位は法政になっていますが、法政生が、馬鹿なわけではなく、「法政出身でこのザマか」という法政という高い基準にその人が適っていない状態からそう考えられるだけで、その人そのものの優秀さというより「大学名から期待される能力値と本人の能力との差」を表したものです。逆に書くとそこにランキングされていない大学というのは、そもそもの期待値が低いのでガッカリされることも少ないということです。また、名門大学の学生は、優秀な人ほど大企業にいく傾向があり、中小企業にいく名門大学生はその大学の中でも比較的低レベルです(日本に限ったことですが)。しかし、中小企業ではそこまで名門大学の学生になじみがないので過度な期待をしやすいという傾向もあります(大企業であればたいていの能力は事前に把握してますから)。その結果、過度な期待をされた名門大卒の学生がこうしたランキングに貢献してしまうことになります。法政が1位にランクインした理由は「東京六大学」というブランドもあり、(心外ではありますが)東大・早慶と同じ土俵にいると考える人が多い(他にもマーチの一員、両方で法政は最下位)ことから法政の学生の能力以上に(特に年寄りが)高い期待をしていると考えられます。国教大では「英語の専門大学なのでさぞ英語ができるだろう」という期待があるのでしょう。 国教大に関しては、過度な期待が先行していたのか、卒業生の能力がそもそも低いのかは断定できませんが(個人的には両方だと思います)、差が大きいとわかった以上、「このギャップが縮小すること=そもそも価値がない大学(大学がそこそこ、もしくは学生が優秀でない)」になっていくでしょう。これが分かった瞬間、わざわざ秋田まで苦労していく優秀な人がいるとは思えません。ただ、「使えない人材」でもランクインしているだけましです。お笑い芸人のヒロシさんのネタに「来年消えそうな芸人ランキングからも消えました」とあります。非難されるだけでも価値があるということです。大半の大学は世間に名前され知られていない大学で非難もされていないのですから…。 そもそもですが、自分が英語をマスターしたいなら、わざわざ田舎の軟禁生活ではなく海外に行きますし、そうしない人の心理が理解できません(授業が全部英語なら国内外どっちでもいいはずですし、そこで軟禁生活をするのは僧侶になることも目指していいるのでしょうか…)。