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この国で真の意味の民主主義が育たない理由

このサイトでよく質問をしているのですが、それに対して様々な回答が 寄せられます。その中にたまにあるのが、そんな質問をして、いったい 何になるのだ、意味がない。などと、質問じたいをきちんと考えずに、 ケチをつける人がいたり、柔軟に考えることができずに、 こちらは例えばの話をしているのに、あたかも現実の話のように受け取り、 感情的に文句をつけるだけの人もいます。 そもそも、民主主義というのは、多様な意見を議論のまな板の上に乗せ、 お互いに自由に討論するところに、育まれていくものです。 この国においてはどうしても、ステレオタイプの正論のみがまかり通りやすく、 いわゆるユニークな少数意見というのが押さえ込まれやすいようです。 これでは、社会というのは硬直化し、革新的な進歩というのが難しくなってきます。 この状況、皆様はどう思いますか?

みんなの回答

回答No.7

>ステレオタイプの正論のみがまかり通りやすく、 どこからか見つけ出した理論を、自分の理論のように疲労する人は多いと思います。特に目立ちたいという功名心だけの人は、ステレオタイプの体制批判をする傾向があると思います。 >ユニークな少数意見というのが押さえ込まれやすいようです。 それが少数意見なのです。賛成が多いなら多数派の意見になります。ただの言葉遊びのように思います。これもステレオタイプの批判でしょうか? 民主主義というのは、意見の違いを話し合いで決めようとする制度です。「○○に賛成」「○○に反対」の二つの意見が両立することはありません。譲歩しあって、痛み分けする制度だと思うのです。それにはコストも時間もかかります。 先見の明のある、カリスマ的な指導者が現れれば、少数派が短期間で多数派に変わることもあるでしょうが、そのような指導者を待望しているだけでは変わりません。たとえ少数派でも、継続的な行動で支持者を増やせば多数派になります。反対意見を仲間内で交わしているだけではなく、社会全体に広げる力が必要です。つまり自分自身がカリスマにならないといけないのです。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この国においても、カリスマ的な指導者が現れないと、現状は打破できないのでしょうか?

  • Red_Baron
  • ベストアンサー率13% (61/449)
回答No.6

>そもそも、民主主義というのは、多様な意見を議論のまな板の上に乗せ、 >お互いに自由に討論するところに、育まれていくものです。 ふむ。言論統制や弾圧の事ですな。それはサヨクの十八番ですよ。 戦後のタブーを調べれば納得されると思いますが、たとえば核武装に関する事。ほんの数年前まで政治家が核武装論を口にしたら、それこそ議員辞職ものの大バッシングを受けました。 証拠どころか根拠も何にもない在日の強制連行説が日本でずっと定説だったのは、サヨクが反論を封殺してたからです。 小泉訪朝直後、メディアによる北朝鮮や総連の批判が少なかった事への追及に対して、マスゴミさんは、サヨクの圧力に屈したからと吐露してましたよ。 >この国で真の意味の民主主義が育たない理由 前述の通り、言論弾圧と言えばサヨクです。 つまり戦後70年間、日本はずっと左を向いてきた事が原因じゃないかと。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 つまり、戦後から偏った思想を持ち続けているがために、日本に真の民主主義が 育たない、ということですか。

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.5

書かれている『討論』が、そもそも問題だと思います 討論は、一般的には一定の議題について意見を闘わせることをさします つまり、勝つか負けるかという意識が最初からあるのです また、書かれている『まな板に乗せる』?とは、どのような意味なのでしょうか? 私は、相手の意見やその過程をまずは尊重、共有する段階なのだと思います それも行われない中で意見を闘わせ、勝った負けたを目的とする討論?が間違いなのです 公職選挙法などの『討論』は確かに、候補者同士や政党が意見を闘わせ、それを私たち有権者が見て聞いて判断します しかし、このような場で書かれている『討論』をしたいのなら、無理があることはもうお気づきだと思います 故に一方が、「あなたの意見は分かりました」とまず、呑みこまなければ民主主義ではないのです つまり、未熟な者同士が、討論や討議を重ねることはまず、無理かと思います 革新的?な一歩を踏み出したいのなら、相手の意見や過程をも呑みこんで反芻できないようであれば、見向きもされないとは思います 蛇足ですが、人の意見を聞けず、過程や歴史も勉強できない、鳩や管やドジョウは、もういらないのです

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >相手の意見や過程をも呑みこんで反芻できないようであれば、見向きもされないとは思います 私の言う「まな板に乗せる」というのが結局、あなた様のおっしゃる「相手の意見や過程を呑みこんで 反芻する」ということです。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.4

とてもいい質問だと思いますよ。 「そもそも、民主主義というのは多様な意見を議論のまな板の上に乗せ、お互いに自由に討論するところに育まれていくものです」はその通りですよ。 結論からいいますと、日本人には伝統的な考えに否定的な人を排除したい人が多いのです。 多分、いいか悪いかではなく、自分が生きてきたこの日本に誇りを持ちたいのだろうと思います。 加えて、自分を生んでくれた両親そして先祖がやってきたことを否定されたくないのでしょうね。 日本人は今まで間違った考えて生きてきたと思いたくないのだろうと思います。 私はかなりのおじさんですが、実は私も若い頃からtoranekodaisukiさんと同じように感じて生きてきたのでよく分かります。 私が20代だった昭和40年代では私のような考えの人間は少なかったです。 でも、学生時代も企業の中でも自分の考えが間違いだと思ったことはありません。現在は地域活動の中で持論を広めていますが、けっこう理解していただける人も多いです。 これから、ますます国際交流が盛んになるでしょうし、ネットやマスコミでも欧米の文化がどんどん入ってくればtoranekodaisukiさんの考えが日本でも市民権をもってくると思います。 まあ、周囲が理解してくれなくてもあまり気にせず自分の社会勉強をどんどんしていってください。 大丈夫ですよ。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 共感していただき、とても感謝しております。私のような考え方が もっともっと広まって行けば、この国は今以上に風通しの良いものに なっていくように思うのですが。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

”この国においてはどうしても、ステレオタイプの正論のみがまかり通りやすく、  いわゆるユニークな少数意見というのが押さえ込まれやすいようです。”     ↑ 他の国のネットを覗いたことありませんか? それはヒドイものですよ。 日本人がいかにマジメでレベルが高いか 判るというものです。 ○ 日本の大人「学力」世界一 経済協力開発機構(OECD)は2013年 10月8日、16~65歳を 対象に初めて実施した「国際成人力調査(PIAAC)」の結果を公表した。 日本は「読解力」と「数的思考力」の平均得点が、 参加した24の国と地域のうちトップ。 20の国と地域が参加した「情報技術(IT)を活用した問題解決能力」は、 基準の得点を超えた割合が35%で10位だった。 成人力調査は、大人が社会生活を送る上で必要な能力や学力を測るもので、 基礎的な問題が中心。 文部科学省は「基礎を重視してきた戦後日本教育に加え、 企業の人材育成の成果も出たのではないか」と分析している。 試験の対象は一般人からアトランダムに選ばれ、日本は特に普通の主婦の 点数が高かった。 ”これでは、社会というのは硬直化し、革新的な進歩というのが難しくなってきます。”      ↑ 日本ほど少数意見を尊重している国はないと 思います。 ごく少数の社民党や共産党があれだけの存在感を 持っている国は、日本ぐらいではないですか。 日本は母性社会ですので、少数意見もバサッと 切り捨てることが出来ない国です。 だから、ヒドイときは、何も決められないで、 ぐずぐずと先送りばかりする、ということにも なるのです。 だから、革新的に変える、ということが出来ません。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日本人の基礎学力が世界的にも高いレベルにあるということは、私もわかっています。 問題はその学力の中身です。幼い頃から他者と対等に議論するということを叩き込まれ、 自由というのは他から与えられるのではなく、自分の力で掴み取るものだ、というような 本当の意味の民主的な教育システムというものが為されていない、ということが 問題だと思います。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.2

根本的に、民主主義を誤解している様で・・。 質問者さんの考える「真の民主主義」とやらは、極めて非民主的ですよ。 そもそも「少数意見が押さえ込まれやすいようです」どころか、全く採択されないのが民主主義ですが、それが採択される状態が、「真の民主主義」と言うことでしょうか? 少数の優れた意見で運営されるなんてのは、「独裁主義」とか「選民主義」などかと思いますが。 また、民主主義の対立軸って、「保守VS革新」であり、それこそ「ステレオタイプの正論 VS 革新的な進歩」とも言えます。 言い換えれば、保守とは「民主主義を守る」であり、革新は「民主主義には拘らない」です。 即ち、革新的な進歩が「真の民主主義」ってのは、「大いなる矛盾」です。 民主主義とか政治を語る上で、夢や理想は必要ですけど、やることは「現実への対処」です。 「例えばの話」に、合理性やら現実味がなければ、ケチを付けられるのが当然だし。 あるいは「夢物語」やら「妄想」とか、「単なる思い付き」などは、少なくとも現実問題を考える上では、「柔軟性」とは言わないでしょうね。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >それが採択される状態が、「真の民主主義」と言うことでしょうか? いえいえ、少数意見についても十分な配慮を行うということが大事だと 言っているのですよ。もちろん、結果的には多数意見が採択されるのは当然ですが、 そのためには十分な議論が行われなければなりません。多種多様な意見が飛び交う 中で、一つのより良いものに収束していく、そういうことです。

  • magata1
  • ベストアンサー率31% (13/41)
回答No.1

質問ではなく批判を載せてしまう、アンケートカテゴリじゃないのにアンケートを取ってしまう。 こうした考えの足りない国民が民主主義という手法を取ると、これは衆愚政治というやつにつながります。 その辺りが真の意味の民主主義が育たない理由じゃないですかね。 民主主義が正常に健全に機能するためには、国民ひとりひとりがある程度賢く、最低限権力の監視を行い、不適切なものを排除する必要がありますが、今の日本にそうした判断力を持つ人は少ないと感じます。私も含めての話です。 また判断力以前に、そもそもそうしたシステムの中に生きているという自覚がなかったり、知ってはいるけど自分もそういう歯車のひとつになろうっていう気がある人もとても少ないと思います。 あと、ステレオタイプな正論がまかり通るといいますが、それを論破できないからあなたの意見が正論とならないんじゃないですかね? 自由に討論した結果全体がこっちが正論と判断したってことは、これは民主主義と言えるかと思いますよ。 要するにあなたの意見は大勢を納得させるに足りんということです。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >民主主義が正常に健全に機能するためには、国民ひとりひとりがある程度賢く、最低限権力の監視を行い、不適切なものを排除する必要があります この国の教育制度においては、社会科学系の中の、特に政治についての教育というのが 手薄になっているようです。いつの時代においても、権力者が恐るのは、一般市民の政治意識 であり、この部分の意識を低いレベルの状態にさせておけば、楽に統治できるのです。 最高学府である大学にまでいった学生たちに、この国の政治システムについて質問しても 恐らく、まともな意見はでないでしょう。それは彼らが悪いのではなく、そのような教育 システムを作り上げている政府側の方に問題があると思います。

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