明治以降の追いつき追い越せなんて言ってるだけであれば、結局は二番手どまりだったでしょうね。現実は違いますから、単なる質問者さんの思い込みに過ぎないと思います。
>・垂直思考・・・枠のなかで論理的に掘り下げて問題解決を図る思考法。
>・水平思考・・・既成の枠にとらわれず、視点を変えながら問題解決を図る思考法。
質問者さんの頭の中では水平思考的なやりかたが勝っているかのように思われているかもしれませんが、結局いつまでたっても問題解決に至らないということにもなりかねないんですよね。
たいていの場合、表に出た問題には色々な見方ができます。このとき、目についたことやこういう見方もできる、あぁいう見方もできるとやっていても、結果は「とりあえず」の絆創膏だらけのようなことになるだけで、結局何も解決されないということになりがちです。
それでも水平思考べったりな方が何となく魅力を感じてしまう方が多いのは、子供が思いもかけない形容の仕方をするのを見聞きして大人が感動しているようなものとも言えるかもしれません。実はあれはすばらしい表現力を持っているからではなくて、形容するための語彙や経験が少ないので、大人では思いもよらぬ組み合わせが出てくるからに過ぎません。
同じように、物事を知らないほど思いもよらぬ組み合わせが出てくることはあるでしょう。でも、そういうのは、水平思考というより、”場当たり思考”と呼んだ方が良いでしょうね。
もちろん、そうした意外性の中に思わぬヒントが隠れていることもありますから、決して馬鹿にはできませんが、実際には殆どは的外れです(あたりまえですね)。そして、仮に運良くうまい組み合わせができたとしても、実際にはその先に進めてきちんとした物事を解決するにはそれなりの「深み」を知らなくては無理ということが大半です。
先ほどの子供の形容の例で言えば確かに「すごい!」と思うような表現が出来たとしても、それを詩や小説などといったものにまとめていくことは出来ないということです。
逆に質問者さんが揶揄するような、過去の成功体験にとらわれたりして旧来のやり方から一歩も踏み出せない方もおられますが、それは垂直思考ではなくて、単なる”硬直思考”なのだろうと思います。
思考するなら、物事を広く捉えた上でそれぞれについてきちんと論理的な掘り下げを行い、更に掘り下げたところからまた横に枝を伸ばし・・という、網の目のように縦糸と横糸が組み合わせるような考え方をしていくことが大事で、そうした作業無しには本当に「根本的な」解決や改良にはなりえません。
そして、実際にそのような発想と探求が無ければ日本の優れた製品やサービスは生まれてこなかったでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 結局は「そして、実際にそのような発想と探求が無ければ日本の優れた製品やサービスは生まれてこなかったでしょう」がいたいのでしょうね。 高度経済成長期を自分も支えて、今の経済大国があるのだというワンパターンのお答えです。 私もその時代に生きてきた人間のひとりですが、高度経済成長を諸手を挙げて賞賛はしていません。 それは得たものよりも、失った多くのことに目を向けているからです。 maccha_nekoさんではこれからの日本を救う創造的な思考は無理でしょうね。