• 締切済み

目の前の道(進路)と向き合えない、やる気が出ない

 はじめまして、今年で就活生(大学4年)になります。 長い文章ですが、おつきあいいただけると嬉しいです。  私は昔から緊張しがちでとても話すことが苦手です。 大事な話になるほど、とっさに言葉を思い浮かべることが出来ず相手にその旨や自分の考え・気持ちをしっかりと伝えることが出来ません。過去にそれで人間関係のトラブルを何度か起こしていまったせいか、自分の悩みや本心を他人に打ち明けることをひどく恐れるようになってしまいました。  上記の理由で、新しく築く人間関係は人の内面に一切踏み込まないようなとても浅い関係ばかりとなり、いつしか家族や幼い頃からの友人にでさえ大事な相談が出来ずにいます。 この場のように、匿名性があって、ゆっくりじっくり時間をかけて文章を作れる場なら自分のことを相談出来るので今回質問をしました。 前書きが長くなってしまい申し訳ありません。  本題になりますが、タイトルの現実というのはずばり就職活動です。 就職活動といっても私の場合控えているのは大学受験のように試験を受ける形式の職業です。 市役所など公務員と似たようなものだと思って下さい。  試験は毎年夏にあり、1年に1度のチャンスです。 この時期ほとんどの人が筆記試験の勉強をしながら、大学の教授のもとへ相談をしに行って、必死に面接の対策や志願表に書くための自己PRを固めていっています。 ところが、私は今現在筆記の勉強どころか、志願表の内容にもほとんど手をつけずに、ぼーっとしていたり、寝ていたり、趣味やインターネットに没頭していたり、たまにバイトをしたりの生活を送っています。  その理由(原因)はいくつかあります。  (1)今までの試験などが調短期間の勉強や準備でそこそこの成績をとれてしまっていたことからの慢心。 大学受験は面接が無かったため話が下手なことや自己PRなどは関係なく、その大変さもよく知りません。筆記試験についても「おまえの成績なら大丈夫だろう」と聞いてなんとなくでやっていたらなんとかなってしまいました。 今回はそれでは通らないことなど先輩方の姿を見てわかっているくせに、長年このやり方だったために本番数ヶ月前の今でもまるでやる気が起きないのです。  (2)現在自分が本当この仕事をやりたいと思っていない。 高校生の頃、自分のまったく興味がないことを学んで、本当は興味のない会社に必死に対策して就職するのは嫌だ!と思い、目指す業種としてはあまり気が進まないけど今の自分の趣味や興味に関することが学べる学部を選択しました。 大学で学んでいるうちにその業種に関心を持てるだろうと思っていましたし、実際少しながら関心を持つようにはなりました。 しかし、その業種は素質を持ち、熱意を持ち、褒賞と関係なく献身的に務められるような人でなければただ苦しみと疲れを感じるばかりで、実際それで辞めたり精神病になる人も多い仕事です。自分から素質も十分に感じられず、熱意も持つことが出来ないで、今になって嫌だ嫌だとうだうだとしてきてしまいました。  前置きにも述べました通り、 このことで友人や教授に相談することも出来ず、 この業種につくと言って、金銭に余裕のない実家から高い授業料を払ってもらっといて今更「嫌だからやめた。」などと家族に言うこともできず、 その結果、別の道に行くにも他と出遅れ、自分の気持ちに我慢してこのままいくとしても合格出来る可能性が低く、大学院の選択肢も金銭的に難しいという、一番よろしくない状態に陥ってしまいました。  どの職についたって苦しいことはあるでしょう。どちらの理由も私の自分への甘えがあるのだとわかってはいるつもりです。  このような状況の私に、どんな道(可能性)があるでしょうか。同じ立場だった時あなたならばどうしますか? または、人に打ち明けられない、相談することを怖がらないようにするにはどのような訓練・方法があるでしょうか? 厳しい意見も受け入れるつもりですが、きつい言葉には弱いので、やさしめの言葉で回答いただけると助かります。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

「なるようにしかならない」ですよ、長い目で見ると。 同窓会で話をして確信しましたけど、学歴とか、当初の志望がどうとかではなくて、結局は「収まる場所に収まるように出来てる」んですね。 多分だれでもそうだと思います。 運もあるし、縁もあるし。 本人の努力も的を得ていなければ徒労だし。 無理をすれば身体や精神(こころ)が壊れてしまうしね。 よく出来てるというか、リミッターが働くんだよ、だれでも。 君の場合も同じようなところがある。 若いから未だ、選択肢はとても広い。 でも、それだけ。 選択肢は広いけど、経験がないし、だから「やり方」というのも、正直全くわかっていないと思う。 世間の渡り方というのも知らないよね?。 逆にだからこそ、何でもいいと思うんです。 とりあえずは何でもいい。 自分の意にそぐうものが、ただ一つだけでもあれば、それだけでいいと思います。 理由はそれだけでいいでしょう。 とりあえず目標に向かって進んでいけばいい。 甘いとか辛いとか、自分で味わって、自分で確かめてね。 想像じゃダメなんだよ?。 自分で確認することでこそ意味があるのが経験。 頭で考えてちゃダメ。 それは空想にすぎないんだから。 どんどんと不安ばかりを積み重ねないで下さい。 それも「あるかどうかわからない不安材料」ばかりを。 確認は必ず実地でね。 そうでない情報はみな、間違っている可能性があるんだ、と知って。

a-watson
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • youcanchan
  • ベストアンサー率32% (330/1029)
回答No.1

肝心なことを後回し後回しにしてきた結果のツケがまわってきたと言うことですよね。 きっとそこそこ器用だったり頭が良かったりしたからでしょう。 そんな学生はたくさんいますね。 答えはシンプルですよ。 嫌ならやめれば良い。その勇気がないなら責任もって最後までやるしかない。 優しいも厳しいもないです。自分にはウソつけないでしょう? まあ、嫌だからやめるという選択をしなくても今のままだと試験には受かりそうにないですね。 やめるんじゃなくやめさせられると言うか、単に脱落すると言うことでしょう。 その現実を受け入れることが、つまりはツケを払うってことにもなるんじゃないですか? 今までソツなくやってきた優等生から劣等生になることを甘んじて受け入れる。 こういう悩みを持つ殆んどの学生がそうであるように、やりたくない事はわかってるのにやりたい事はわからないままなのでは? 出遅れようが何だろうが気付いたところから始めるしかないので、やりたい事があるならやったら良い。 できない状況があるならそれを克服するところから始めたら良い。 でもやりたい事がわからないなら、今やれることをやるしかない。 意に反しようが何だろうが、それをやり通す責任くらい果たさないといけない。 まあ私も高3の夏になって180度、進路変更を試みた経験があります。 出遅れました。すっかり出遅れてしまいました。 それでもやれるところまでやろうと思った。と言うか、今さら戻れなかったからやるしかなかった。 結果は、もちろん希望通りには行かなかった。しかし妥協案ではあったが納得できる道へ行きました。 たった半年にしては上々じゃないかと自分で納得できる結果でした。 もっと早くに行動していればという後悔はずいぶん長いこと残ったけど、それも自分の実力のうちだと思いました。 それでも自分の思った道を選んだのだから後悔はありません。 今、迷わず進もうと思える道がないなら、何が何でもその試験とやらにパスするんですね。 逃げるだけじゃ話になりませんから。

a-watson
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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