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「馬鹿になれ」

人生訓として「馬鹿になれ」という一項があります。 「本当は利口でも馬鹿なフリをした方が、結局は得になる」或いは「知っていても知らないフリをする方が徳である」という意味だと思います。 恐縮ですが、この教えを実行し、且つこの人生訓が「正しい」という肯定体験があったら、是非聞かせて下さい。 40代以上の方のお答えをいただければ、なお参考になります。

みんなの回答

noname#232913
noname#232913
回答No.9

時に損得を考えず、生きてみることも必要という感じで私は捉えております ですから質問者様のように、得を望んで使う訓ではないように感じますし、どちらかというと損を選ぶ訓だと思います かさ地蔵でしたっけ?あの話のおじいさんの行った行為は現代では馬鹿と呼ばれるかもしれませんが そんな現代だからこそ、損を被ることができる心の度量を持てといったところでしょうか、欲を捨てろとか、自己の保身ばかり考えるななど 「馬鹿になれ」の馬鹿は頭を悪く見せろということではなく 馬鹿=心が純粋と捉えると、私の考えがご理解頂けるかと思います。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.8

知っていると漫然としていたら、向上しない。 まだまだ未熟者でバカですから、と思っていれば学べることは多い。

e-toshi54
質問者

お礼

有難うございました。

回答No.7

阿波踊りの一節に「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」という歌詞があります。 「馬鹿になれ」も同じようなことではないでしょうか。 私はこの言葉を、自分を信じる力の大切さ、そして、それをたとえ周りから嘲笑されたとしても、やり抜いていく行動力の大切さを説いた言葉だと思います。 そして、その精神は某国会議員元プロレスラーが実践し、その正しさを彼なりに表現していると思います。笑

e-toshi54
質問者

お礼

有難うございました。

回答No.6

「馬鹿になるな」という人生訓もあります 世の中の人生訓、格言の類、酸いも甘い味付けしだい、言葉は所詮言葉に過ぎません

e-toshi54
質問者

お礼

有難うございました。

回答No.5

「小賢しくなるな」という意味だと思います。 "半端に知ったつもりにならないで、とことん追求してみろ"とか、"屁理屈こねないで突き進んでみろ"だとかそういうふうに解釈しています。 何事にもやらない理由なんていくらでも考えつきます。 どうせ失敗するんだから、やるだけ無駄だよ。 確かにその可能性は高いかもしれませんが、それを突き進んだ人が、歴史に名を残してきたんだと思います。 与えられたことだけ受け入れて、出来る確証のあることだけやっていく。 そういう人生もいいでしょう。 でも、それじゃあ嫌だ、やりたいことがあるんだ。 そう思うなら、小賢しいこと言ってないで、やるしかないだろう。 馬鹿みたいにまっすぐに。 そういうことが秘められた言葉だと思います。

e-toshi54
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.4

人によっていろいろな解釈があるようですね。 私は66歳のおじさんですが「馬鹿になれ」というのは「あまり利口ぶるな、一つのことに固執してあまり神経質になるな」のような解釈をしています。 なので回答No.3の後段のご説明に近いかと思います。 しかしながら、誰の人生でも他人との競争や摩擦など苦難が多いので、自己保身のためになかなか「馬鹿になれない」ですね。

e-toshi54
質問者

お礼

回答有難うございます。 他の回答を見回しても、こんなところでも、利口ぶる人は利口ぶるんですね。

  • demerger
  • ベストアンサー率26% (152/578)
回答No.3

【人生訓として「馬鹿になれ」という一項】 なかなか、馬鹿げた人生訓のように思います。 【馬鹿のフリをする) 自分がバカになっているのではなく、ただただ、相手を、馬鹿にしています。 【知っていながら知らないふりをする) 人生を棒に振るバカげた行動です。 故に。人生訓としては最低であるように感じます。 どうせ【人生訓】として書くならば。 「他人と張り合うために使う知恵は、バカの知恵」 くらいは、書くべきだろうと思います。 本当に利口な人は、 自分が利口であるとは思わず、誰もが謙虚です。 常に、人の意見に耳を傾けています。無駄に「知恵」を張り合う人は居ません。 知恵の披露会のような場で、 知恵を競い合うような言動に巻き込まれるのは、単なるバカでしょう。 ですが、 「ここぞ」と言う時・・例えば・・他人がプロジェクトで挫折して困っている時。 利口な人は、持つ知恵や経験を出し惜しみせず、人の役立つように使います。 そんな時に、解決方法を思いついても「知っていても知らないふり」をする人間は、 単なるバカでしょう。 表だって「功績」となる場面で無くても、知恵を惜しげもなく出し、 人の役に立とうとする人間を、 見る人は見ている。 それは、真の「知恵を活かす場」だろうと思います。 年月がたつうちに「あの人は頼りになる」と思われる素地だろうかと。

e-toshi54
質問者

お礼

有難うございました。x2

回答No.2

>という意味だと思います ちゃう。 馬鹿になれ。と断定している場合は、 多少の損得を気にせずに 一生懸命がんばれ。というような意味。 細かいところには目をつぶれみたいな感じでしょうか。

e-toshi54
質問者

お礼

解釈を訊いているのではなく・・・。

回答No.1

『「本当は利口でも馬鹿なフリをした方が、結局は得になる」或いは「知っていても知らないフリをする方が徳である」という意味』では有りません。 「知ったフリして出しゃばるな」と理解すべきです。 特に、色々議論が分かれるときに、他人の意見を無視して自我を貫こうとする人、得意満面に自分の知識を披露する人など居ますが、それらの余計な口出しが却って馬鹿に見えたり、鼻持ちならなかったりすることも有ります。 大切なことは人の言葉をよく聴き、相手を尊重して自身はへり下った態度で対すべきことを「馬鹿になれ」と教えているのです。 馬鹿になれない人は「出る釘は打たれる」の結果を招きます。 小生などは「賢(かしこ)ぶるな」と教わりました。

e-toshi54
質問者

お礼

早速の回答有難うございました。

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