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悪意ない不正

彼女は悪意ない不正を武器に不正を免れると思って今回の問題を起こしたんでしょうか?そうすると不正でないとされた事柄についても不正にならない範囲でわざと細工を施し理研をおちょくったのではないかと思ってしまいます。だとしたら厄介な問題かもしれません。 証拠がない以上憶測で進めていくしかなく彼女の思う壺のような気がします。 彼女に勝算はありますか?

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  • precog
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回答No.1

科学の場合、「わたしが発見した」と論文で主張したとして、この主張が正しいかは本当に実現したかではなく、他の人が同じ現象を実現できるかで判定されます。 この構造には重大な欠陥があります。 ある画期的な現象について、いつかは発見される公算が高いとします。 最初に発見した人は大きな栄誉を得られるわけです。この場合、どのような行動を取りたくなるか。 Aさんがこの現象を発見したとフライングの報告をしたとします。 そうすると、他の人は猛烈な勢いで追試をします。 実現方法の一部を「秘密である」と伏せておくといろんな人がいろんなトライをします。 そのうち、この現象を本当に実現したBさんが出てきたとします。 Bさんは喜び勇んで「こういう方法で実現できた」と発表するでしょう。 Aさんは「そうそう、それがわたしたちの秘密にした部分です」と後出しで言えます。 本当に貢献した人はBさんなんですが、科学のやり方では先出したものが勝ちなのでAさんが最大の栄誉(実益)を得ることになります。 もし、失敗した (現象そのものが起きなかった) としても言い逃れする方法はいくらでもあります。 彼女の発言をよく見てほしいのですが、決して「嘘はついてない」とは言ってません。 「嘘だと断定できないはずだ」と言ってますね。疑わしきは罰せずなんだからわたしは無罪判決のはずだと。非常に慎重に発言していることがわかると思います。 そして、マスコミも審査委員会も、今のところ彼女の思うとおりに動いています。つまり、彼女が不正をしているかどうかではなく、科学的事実があるかどうかに注意を向けています。 彼女がフライング論文を出していたとしても、誰かが追試して実現してしまえば彼女は正当性を勝ち取れるという流れになってます。 つまり、彼女はもう、半分勝ったも同じなのです。STAP細胞がいつか実現されれば、実は宣言しただけであっても彼女の栄誉ということになります。 これが真の狙いということですね。事件はまだ進行中です。

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  • Water_5
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回答No.4

小保方氏は今回の裁定にものすごく憤り怒っているようです。 理研に対し不服申し立てをするようです。 弁護士の話では小保方氏の記者会見の設定も準備しているようです。やはりここは本人に出てきてもらわないと。

  • customarr
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回答No.3

野依以下は税金だ賞金だ接待だセルシードだという日本人搾取の私利私欲。 小保方博士はバカンテのようなアメリカンスケール。 理研へ納税して無職イジメしか出来ない愚民から見下される玉ではないと思います。 笹井副センター長が「だがちゃんと裏取りされています」のように自分から話したのは何なの?以心伝心レベル以上の了解関係はありますよ、深夜タクシー相乗りですから。他の人らの思惑にしても。特許は理研の名前で通っている知的財産です。 小保方イジメの結果、研究まで傷つけたいわけないでしょう。相手の立場で考えたら普通なんですけど。つまりソロバン弾きまくっているゲスは小保方博士ではないのです。 日本家畜の家畜道徳は馬鹿になります。役人サラリーマン的な組織人間などちょろいという日本国の実態です。能力は裏工作しかない馬鹿教員がひしめきあってるじゃん。

  • TANUHACHI
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回答No.2

 逆に、僕は未だ五里霧中状態にあるのではなかろうかと考えています。 「科学」が科学である最も必要な要件の一つに、「同じ方法を用いたなら、誰しもが同じ結果を出すことができる」との再現性が担保されることを求められもします。  初めから「STAP細胞がある」として、その結論を立証するための論理に基づくか、或いはそれがあるかどうかを検証するのでは意味も異なります。  少なくとも、初めに結論ありきではプロクルーステースの寝床同様に、都合の良いデータだけを集めたとして批判されても仕方のないことでしょう。  もし「その意図がなかった」とするなら、それを判断するのは当人ではなく客観的立場にある第三者に委ねられもするべきです。  今回の一連の騒動で不自然に感じるのは、当人が提起した理論に対し、当人による研究過程およびそれを裏付けるための客観的データが少なすぎるとの部分です。  法の世界でも「意図の有無」によって、傷害過失致死に問われるケースと殺人に問われるケースでは罪刑やそれを裏付ける法の条文も異なり、それを判断するのが裁判官です。  本人が意図してかとどうかを立証するためには、「もの」と「そこから何を読みとることができるか」によるしかないでしょう。  弁護士を付けたとのことですが、何か意図的にやったことを意図的ではないと言いくるめたがっている印象もあります。  科学の世界に弁護士の力を頼むのはなぜでしょう。そしてどの法文を根拠として訴訟を提起し、仮に勝訴との判断が示されたなら、その時に生ずる何がしかのメリットがなければ、訴訟を提起するはずもありません。  科学の世界ならば、その理論が立証されただけで研究者は満足するはずです。それ以外は求めもしません。

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