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恋愛におけるホンネとタテマエ

よく、パートナーを選ぶにあたり、「誠実な人」、「正直な人」、「真面目な人」、「話を聞いてくれる人」といったことを重要な点として挙げる人々がいます。はたして、これはホンネとして認識してよいのでしょうか。 表向きには、「誠実な人」、「正直な人」、「真面目な人」、「話を聞いてくれる人」をパートナーにしたいと言っておきながら、「お金持ちの人」、「高身長の人」、「高学歴の人」、「ルックスが素晴らしい人」をパートナーにすることこそ、ホンネではないのでしょうか? 「お金持ちの人」、「高身長の人」、「高学歴の人」、「ルックスが素晴らしい人」、といった項目に気をとられ、パートナーとなったときに、その人物が暴力的な一面(あるいは、極度の博打癖の持ち主であった、など)を持っていたことに気がついてしまった、という「オチ」を経験した人々も、いたことでしょう。 「顔よりも人格」、なんてことを強調する人々もいますが、それも、ホンネなのか、タテマエなのか、わかりかねます。こういった言説から、恋愛とは、<夢>を見せることに、その核心があるのだと、思うときがあります。ということは、モテない人とは、<夢>の見せ方を知らない人々のことであり、その対極であろう、百戦錬磨のナンパ・テクニシャンなどは、<夢>の見せ方を熟知した人々であると言えるでしょう。

みんなの回答

回答No.6

No.5の回答者です。 >他者を信用できる人間のコメントであったとおもいます。それは、幸福な人間のコメントでもあるとおもいます。 私が、いつ他人を信用していると言いましたか? また、いつ幸福だと言いましたか? ちなみに、私は、他人のことは一切信頼していません。限定的に信用はしています。 私はずっと一般論の話しかしていません。それは、他人はそう考えている、という客観的な観察に基づくものであって、自分はこう思うという思い込みに基づくものではありません。 あなたは、「自分にとって恋愛とはこういうものだ。そうではないか?」という意味の質問をしているので、「一般的にはそうではない」と答えたまでです。 「柴犬はかわいいですか?」と聞かれて、「一般的にはそうだ」と答えることは、「私はかわいいと思う」と答えることはイコールではありません。 もっとも、このサイトの質問者には、「一般的には~」と言われると、「あなたにとってはそうかもしれないが」と逆切れする人は多いですが。誰も私にとってとは言ってないのに。 > 他者の存在を否定したい、あるいは、他者の存在を黙殺したい人々が、いまの日本社会には多くいるからです。 人間の存在は、その人を殺さない限り、否定できません。 その人の存在は、その周囲の人によって認識されるものですから、あなたの質問に回答しなければ、私の存在があなたに認識できないように、大部分の他人にとっては、特定の他人の存在など認識できないものです。 残念ながら、他人にとっては、大部分の他人は認識する必要すらありません。自分が社会から否定されている、黙殺されている、と感じるのは、あなたの奢りです。大部分の人はあなたに関心など持っていませんが、それは否定ではなく、知る必要がないからです。人間は、自分の周囲の関心ある人しか目に入りません。 > わたしにとって、<恋愛>とは、多くの日本人のそれとは異なって、人間関係の枠組みを超えた、人種や民族、そして、国家といったものにも向きあわねばならないものなので、難しいのです。 それはあなたの問題、というか、思い込みであって、一般的にはそうではないです。 > 日本社会では、恋愛のことのみならず、生きること、すべてにおいて、世間が関わってきます。 それは当たり前です。日本社会に限らず、社会の中で生きていこうとすれば、社会もしくは世間と関わらずにはいられません。人間は一人では生きられないものです。それがイヤなら、無人島で一人で暮らすしかありません。 > 厳しいコメントですみません。あなたのコメントを拝見するたびに、わたし自身の「特殊性」について向きわないと、恋愛は無理なようです。 いえ、何も厳しいコメントではないです。 一般的な人と一般的な恋愛をしたいなら、一般的な方に合わせるしかありません。日本人は~、とか社会は~と、大上段に構えて他人のせいにしても恋愛はできません。 自分が特殊だという自覚があるなら、特殊な恋愛を目指したらいいです。社会に「自分にはそれは合わない」といくら主張しても、社会の方からあなたに合わせてはくれません。 だた、私には、恋愛の成就を幸福の一部だと思うあなたを特殊な人だとは思いません。あなたが日本人かどうかは問題ではないです。日本人でないから恋愛ができない、ということはないし、日本人であっても恋愛ができない人もいます。 私は、恋愛は人間の本質的な幸福とは関係ないと思います。この価値観が特殊かどうかはわかりませんが、なぜ、若者は恋愛を人生の一大事にように考えているのだろうか、といつも不思議に思います。恋愛なんかしなくても結婚はできるし、社会的にも成功できるのに。

回答No.5

>表向きには、「誠実な人」、「正直な人」、「真面目な人」、「話を聞いてくれる人」をパートナーにしたいと言っておきながら、「お金持ちの人」、「高身長の人」、「高学歴の人」、「ルックスが素晴らしい人」をパートナーにすることこそ、ホンネではないのでしょうか?  どちらも本音だと思いますけど。 >「誠実な人」、「正直な人」、「真面目な人」、「話を聞いてくれる人」 こちらは中身(人間性としての条件)の話で、 >「お金持ちの人」、「高身長の人」、「高学歴の人」、「ルックスが素晴らしい人」 こちらは外見(人間性と無関係な条件)の話ですよね。 どちらをより重視するかは、人によりますけど、どちらも重視しない人はいません。 >「顔よりも人格」、なんてことを強調する人々もいますが、それも、ホンネなのか、タテマエなのか、わかりかねます。 恋人を選ぶときに、条件の悪い人を優先的に選ぶ人はいません。同程度の人間性なら、外見が良い人の方が優先されるのは当たり前です。また、同程度の外見なら、人間性の良い人が優先されるのは当たり前です。 しかし、最初は外見しかわかりません。人間性は、実際につきあってみなければわからないですから。 だから、「顔よりも人格」なのは確かであっても、顔より先に人格を知ることはできないのですから、顔(外見)が最初の入口になるのが自然です。 ただし、顔が入口であったとしても、顔しかなければ、やはりダメなのです。最終的には人格の方を優先する人の方が多いでしょう。 たまに、「顔がいいから性格が悪くてもつきあっている」と言う人がいますが、これは、その人を人間として見ているわけではなく、連れて歩くアクセサリーだと思っているからです。相手を人間だと思っていれば、そういう発言はできないはずですから。 > 恋愛とは、<夢>を見せることに、その核心があるのだと、思うときがあります。 恋愛の最初はそうでしょうね。よく知らない相手を好きになる場合は特に。 でも、恋愛は夢でなく、現実ですよ。だから、顔や表面的な優しさに惹かれてつきあいはじめても、つきあっていくうちに、相手に失望することもあれば、意外な一面を知ってさらに好きになることもあります。 前の質問と合わせて、あなたは、恋愛の入口の話しかしていませんね。 入口の広さは、人によって違います。入口から入ってみて、中の様子もまた人によって違います。 あなたの言っているのが「恋愛の入口」の話なら正しい部分もありますが、「人間同士の継続的な関係」の話なら正しくはないでしょう。 恋愛は現実です。夢だと思うのは、あなたが継続的な人間関係としての恋愛をしたことがないからではないですか?

noname#222499
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 他者を信用できる人間のコメントであったとおもいます。それは、幸福な人間のコメントでもあるとおもいます。 わたし自身、あなたほど、他者を信用しません。なぜならば、他者の存在を否定したい、あるいは、他者の存在を黙殺したい人々が、いまの日本社会には多くいるからです。(さらには、わたしは、「厳密」には、日本人ではありません。広い意味においては、日本人ですが、昨今の日本人が主張するところの<日本人>ではありません。) そして、他者を信用したところで、それが、ただ単に、自分自身の「思い込み」であることも、十分に考えられます。自分自身にとっては、信用できる相手であっても、相手からすれば、単なるATMのような存在なのかもしれません。 さらには、世間に<従属>されている人々も、多いです。日本社会の大きな問題は、こういった、世間からの<脱却>ではないでしょうか? 日本社会では、恋愛のことのみならず、生きること、すべてにおいて、世間が関わってきます。もしかしたら、あなた自身は、これまでに、世間によって、何らかの<利得>を手にしたからこそ、このようなコメントを出したのだと思います。良心的なものだと思います。 ところが、わたし自身には、わたしなりの<事情>があります。他者から信用を得ることは、そう容易なことではありません。他の日本人と比較したときに、です。 おかげさまで、わたし自身の努力で、日本人とは同じ釜の飯を食べられるようにはなりましたが、過去のネガティヴな記憶、エピソードと向きあわねばなりません。日本人は「水に流す」などといって、物事を<美しく>処理しようとしますが、そういったことは不可能です。 わたしにとって、<恋愛>とは、多くの日本人のそれとは異なって、人間関係の枠組みを超えた、人種や民族、そして、国家といったものにも向きあわねばならないものなので、難しいのです。 いわゆる、マジョリティの日本人にたいしてのアドバイスであれば、理解のできるものではあります。ただ、わたし自身にとっては、少し的外れです。 厳しいコメントですみません。あなたのコメントを拝見するたびに、わたし自身の「特殊性」について向きわないと、恋愛は無理なようです。

  • makaay5
  • ベストアンサー率32% (255/790)
回答No.4

就活に例えますが、「貴方が誇れる自分の長所はどこですか?」と就活で聞かれて、「う~ん、特にないですね(笑)」という学生に内定をだす企業はありますか?「我が社は、学生の人間性を重視して採用します!」とほとんどの企業がいいます。でも、学歴に相当なウェイトが置かれている場合もあるでしょう。それを見きわめるのも、就活では重要な戦略の1つではないですか? 恋愛でも同じでしょう。自分の見せ方を知らないと、長所があっても活きません。多くの学生が「御社しかありません!!」とアピ~ルするのと同じように、多くの男性が「私は誠実で正直です!」とアピ~ルします。就活なら学歴。恋愛なら容姿で、飛び抜けた物がないなら、どうアピ~ル出来るかで結果に大きな差が出るでしょう。就活の企業が「人間性を重視して」というように、女性は「誠実で正直な」といいます。それは企業同様に建前の場合も、そうでない場合も含むでしょうね。 就活がうまくいかない学生の多くは「大手なんて学歴だけ!人間性なんてみてない」というでしょう。質問者様は「誠実な人って建前じゃないの?」って聞いてますから、上手く行かない学生と同じです。自分が何を持っているか、自分をどう見せるか?の練り方が甘すぎるから結果が出ない。そして、建前だという論理に落ち着きたがる。恋愛の猛者は<夢>の見せ方よりも、<自分>の見せ方に優れている人の方が圧倒的に多いです。回答者は実戦で傷ついてきているから、それが身に染みています

  • atelier21
  • ベストアンサー率12% (423/3293)
回答No.3

恋愛に限らず 人は本音では生きていないのではないか? 政治家から企業経営者 官庁の役人 学校の先生まで 点前社会です 夢と同様 正論も世の中では嫌われます 真に相手を知るのも 言葉よりは 姿勢(態度や気遣い等)から感ずる モテナイ人 仕事でも何故か信頼感無い人は 感ずる観ずるのです

noname#222499
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 正論を正論として受けとめられる日本人は、現代社会に存在するのでしょうか?

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.2

ホンネです。 ただしそれは「最低ライン」という意味であり、それらが揃っている人の中からより好条件の人を選ぶのだと思います。 ですから「真面目なのに女性にご縁がない」という人は、プラスアルファの「売り」が必要なのではないかと思います。

noname#222499
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 一番難しいのは、何を「売り」にするかです。

  • NIDOH
  • ベストアンサー率26% (116/436)
回答No.1

 60代のオジサンです。 妻・大好きなエロ・夫婦です。  何を今更と言う内容ですが、質問は何?でしょう。 パートナー選びと恋愛とは違います。 パートナー選びの理想は、 「昼間は淑女、夜は娼婦様に!」が男の理想です。                      NIKAIDOH

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