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日本語をとおした恋愛観

「日本語からうかがえる恋愛観」とは,「ご都合主義の塊」なのでしょうか? ***** ・あの人は,いい人 ・あの人は,やさしい人 ・あの人は…,生理的に合わない 恋愛にかんする言説やイメージに向きあうとき,このような<言葉>を見つけることがあります。 「いい人」や「優しい人」とは,当の本人の「ワガママ」が原因で,特定の他者のことを,パートナーにはできないけれど,なにかと「利用できる存在」になれそうだから,「引きとめておこう」という,「狡猾な,スニーキーな意図」がうかがえる<言葉>です。 「生理的に合わない」とは,「はっきりとした理由」があるにもかかわらず,それを表現しないという,「無責任的メンタリティ」,あるいは,「狡猾さを隠したいというメンタリティ」のあらわれであると,わたしは理解しています。 これらの日本語の<言葉>からうかがえることは,「針小棒大である」とか,「ステレオタイプだ」という意見があるのかもしれませんが,このような<言葉>を操る日本人という存在が,じつは,その真の姿とは,「“誠意大将軍”(誠実さの揶揄)という皮をかぶった存在」ではないかということです。

みんなの回答

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

うーん、私もアナタが何を、言いたいのかはわかるけど、実際にどうしろと意味することがわからない。 人の好き好きは、別に、好き嫌いとは言うが、特に、大好きと、大嫌いしかないわけでもないし。 そして、男女1:1になれば、損な取引はしません。 だって、互いに自分を担保にするわけですすから、自分の身が大事なように、相手も大事で長持ちできるような 人でない限り、チョイスするに値しないだけのこと。 世間的値踏みが自分で納得できなくても、 就職だって、’ご縁がなかった’とは言うが、’能力がないから’だということはわかってるでしょう。 それは、要求される能力であって、算数’も’できる人がいいのに、漢字’だけ’が沢山よめるだけではなぁ・・・というのと、同じことです。 好きだからと言って、寝食を必ずともにしたいわけでもないし、 嫌いだからと言って、その人を全否定することもない、その才能をめでる場合も、尊重するときも、 アナタの言いいたいような、重宝なこともある。 近親憎悪な感情というのはあるから、微細な違いは憎悪対象になりやすい。 そこをして、あなたは針小棒大とも思うのかな? ましてや、仕事がらみともなれば、すべて好きと嫌いで別けることは、まず出来ないし、 してはいけない、するような奴は、仕事仲間とはいえないとさえいえる。 そして、’生理的に合わない’というのは、{はっきりとした理由}がないから、生理的に会わないのです。 言葉にすれば、描写は出来るでしょう。 ’嫌悪の対象’という判断はあって仕方のないこと。 美醜があるならね。 100人が100人、’醜悪’という評価を与えるなら、そのように、表現してもいいでしょう。 それとも、表現することが’場’として適当であるかどうかをアナタは問われている? 明言しないことを’誠意’だという判定をするようですが、これ、違うとおもう。 別に、内容的説明を要しないし、義務もない。 嫌は嫌であって、内容を説明する必要があるかないかはクレームではないので、’いやだ’で、済むことです。 いわば、そのようにしか表現できない、具体的表現です・・・としていえないから、 だって、その醜悪さが何かはわからないが、ソレを改善したとして、では、生理的嫌悪感が 失われるかどうかは保証できないもの。 いわば、どうしても、何故だか嫌い・・・というのを、’生理的に’と表現するだけのことだから。 つながった眉毛が生理的に・・・・で、いじってみて、好きなる? 鼻がブタ、生理的に笑える、嫌い、改善したとして、好きになる? 誠意・・・というのと、ちがうと、思うので。 いい人もそう、だって、いい人と悪い人しかいないわけではないし、その間に如何でもいい人は沢山いるけど、 嫌いではないという意味なら、いい人でしょうから。 優しい人もそう、特に意地悪でない限り、人は人の間に、やさしさ・親切を探すように’世間’します。 ’渡る世間は鬼ばかり’と注意しつつ、’渡る世間に鬼はなし’と、感動するほうが生きやすいのでは?

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 日本語には,「人を見たら泥棒と思え」,「渡る世間は鬼ばかり」という言葉があります。それこそ,「日本人の,日本人なりの,生き方」ではないでしょうか? そして,「善良な日本人」に囲まれて生活をしている日本人がいる一方で,わたし自身のように,外国につながる日本人の周囲には,「スニーキーな日本人」が,たくさんいます。 「日本人を見たら気をつけろ」 これは,外国出身の,わたしの母が,たびたび,わたしに言っていたことです。 また,恋愛観にかんするコメントですが,「男女1:1になれば、損な取引はしません」というコメントにつきましては,それがどれだけ信憑性のあるものなのか,わたしにはわかりません。恋愛とは,解釈によっては,「国家同士の駆け引き」以上に,「駆け引き」の要素を含むものとなります。ですから,「駆け引き」のできない人々,あるいは,「駆け引き」を不得手としている人々にとっては,恋愛は,非常に難しいものです。

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