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組織への遠慮の客観的立場とリーダーシップ
- 組織への遠慮の客観的立場とリーダーシップについて考える
- リーダーシップの役割とは何か、組織を動かすための方法を探る
- 自信を持って組織を引っ張るためのコツを学ぶ
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私はコンサルをしていますので、視点という問題でお話をします。 小さい会社に限らず、よくあるパタンがあります。 経営者がカリスマと言われたりします。経営者群といってもいい。 この人たちは過去がどうだったとか前例を考えないでバシバシやるのでベンチャーといわれたりする。 いろいろ風雨にさらされるけど、そんなことは笑いとばす。 その人たちが元気なうちはどんどん発展しますけど、いつか不在になる時がくる。 そうすると下の人間たちはいままで独自に荒波をわたってきたという意識がなく判断力がない。 風が吹くと自分たちは一流の会社なんだというプライドでしばらくは留まっていますが、向きが変わるほどのことがあったりするとひとたまりもない。 組織を分解して外に売り飛ばしたり資産も他人に渡したりする。 ここまで至っても、何が問題なのか末代の役員たちにはわからない。 結果として企業自体の消滅まで招いたりする。 この事例をみなさんいくつかご存じだと思います。 電機産業にいくつもあり、いまいちばんホットなのは御殿山のあの会社です。 はい、コンサルとして発言します。 これはたった一つのことなのです。 ものを把握する視点を作り上げていないということだけです。 社長はともかく役員や上級管理職がしばしば「リーダーシップ」ということばの誤解をしている。 ひとを指図する能力だとか指図される側から自分が受ける信頼のことを言う、という錯覚です。 信頼というのはまあ品質といって同じものなのですが、具体的な物理現象ではありません。 いくつもの経験から自分の中に生まれる幻想=評価なのです。 たまたまひとつの名品と呼ぶべき皿を見せてくれた陶芸家にツボを頼めるか。頼めません。 続けて20個作ったツボがどれかだけが特別素晴らしいも出来がわるいもない陶芸家。これには頼めます。 21個目も同じ出来であるという期待からです。その期待に証明はできません。でもこれが品質であり信頼です。 信頼は幻想なのですが、いまちらちらしているものがありましたね。20個だとか21個目だとかいう数字です。 おれについてこいみたいにいうリーダーについていってたまたまうまくいった。 それでこのリーダをすぐ信用するか。 何度も同じようなことがあってすべてうまくいった。さすがに信用して親分だと思う。そこまではいい。 このリーダーについていったら失敗はない=おそらくそれは確実かもしれません。 リーダーいなくなった。うまくいかない。なぜですか。 リーダ―の陰にかくれていただけだからです。 リーダーがやったことを自分のものにしていない。リーダーの代りになれないのです。 いなくなったリーダーにはリーダーシップはあったのでしょうか。 あったわけありませんね。ただのオヤブンでありガキ大将だっただけです。 部下はどう思っていたかというと「世の中でいちばんいいものを提供してきた」とか「すばらしいものを開発し続けた」というイメージだけです。 これを他人が聞いたときどう聞こえるか。おとぎ話にしか聞こえません。 むかしむかし寝太郎というなまけもんがいたんだが、これが寝たままでいろいろ考えていたんだな。 ある日こういうことがあってそれでいくら儲かった。その儲けをもとにこんなことをしたらもっと大金が手にはいった。 大臣さまから勲章をもらって三国一の美人の花嫁をもらって、その後豊かに幸せにくらしたんだと。 そういう話にしか聞こえませんよね。だったら、そんなことは事実かどうかなんて誰も思わない。 寝太郎が死んだあと、家をもちかねるようになって子孫が争った上家屋敷は更地になったんだと。 そうか、と思いますね。すんなり納得ができる。金持の子孫が滅びた話はみんなが好きな勧善懲悪として読む。 企業側でこれだと、あまりに情けない。 どうすればよいか。 品質の手法から考えたら割合シンプルです。 視点を作ることなのです。 別のところでも私が言っていることですが、「数えろ」だけです。 何を数えるかは、まず部下の人に言わせます。上から言ってはいけない。 それをホワイトボードに書き出して、かけているものがないかを議論します。 自分が上司にあたるなら、その立場で観点を付け加えます。 これは「売上」だとか「利益」ではダメです。 そんなものはすでに経理で把握し数えているものだからです。 新製品提案の数、だとか、失敗の数、だとかに目を向けるチャンスになります。 「頑張ってるんだけど」だとか「結構いいものなのに」という愚痴はよく出るのですがこれは判断基準となる数字がない。 要するに自分の感覚、価値でぐだぐだ言っているのに過ぎないのです。 「いいものを作りたい」「お客様の満足を目指す」も同じことで、判断も自分勝手にしかできないし共感を呼べない。 ほめてもらった数、クレームの数、とした段階で、議論に足りる単位になるのです。 数字に関しては、多い少ないでコメントを入れることは差し控えてください。 よくあるのは、バグの数、などといったうえバグの数がまだ減らない、努力しろといったりする間違いです。 数字をとることはいいのですが、その数字を批評してはいけません。 いろいろ判断をするのはかまいませんが、決して数字をつくった人間に対し何か言ってはいけない。 バグの計数が上がるのは、実際にバグを作りこんだからという原因だけでなく、バグを発見する技術が向上したせいもあります。 公園掃除をするとして、空き缶の数を数えてやるならばただほうき作業をするよりきれいになるはずです。 理由は、空き缶を数えようとする行動は空き缶を探す目をしつこくするからです。 要するにバグが計測できているのは技術力を得たせいであり、それを把握すれば当然製品の品質はそれだけで上がったことになるのです。 つい隠そうと考えがちなことを数えるという視点が一番大事なのです。 この数字とこの数字とこの数字を取ろうね、という合意(発案は社員側)をとって、その数字を記録する習慣を作ったとします。 この話は、ごみの種類をわけて数えるだけで公園がきれいになるという話です。 さて、年を経て現在のリーダーが交代をすることになったとします。 品質は落ちますか。落ちるわけないですね。 数えると言う習慣が社員からでているわけですから。次の世代も同じように工夫してくれるはずだからです。 これがリーダーシップです。 やりかた、考え方を部下各自が自分で持っていて、それを次の世代が自発的にできるように導くのです。 自分で考えた、自分で約束した、ということにはどんな人間でも自然に責任を持ちます。 それを誘導しなければいけません。 いかに優れた考えであっても上から命令して押し付けると意味がない。 本人が考えたことではないからです。 抽象的ですが、大体コンサルでは上のような話をもっと具体的にやっていると思ってください。 余談です。清水義範という作家がいますけど、あの人に作文教室という本があります。 その中で言っていることに、上と似たようなことがある。 たとえば「こんな喧嘩をして、お姉ちゃんなんて死んだらいいと思いました」という作文があったとします。 そのとき教師によっては「死んだらいいと考えるのはよくないね」「大事なお姉さんでしょう」などと指導する例がある。 これは間違っている。 それは作文教室なのであって、道徳教室でも生き方の指導の時間でもないのである。 だったら、作文として、よくそのことが書けたねとまず褒めるべきである。それをことばにして表現したことを評価すべきである。 何かを言ってはいけないんだ、これは言わないほうがいいんだ、と思う習慣がついたらその人の人生に曇りがでてくる。 こういうような意味のことを表現してました。(記憶でいっていますので細かくは全然ちがうかもしれませんが) 基本的に私がいま言ったことと同じことを国語の世界で言っているのだと思います。 自分で考えさせる。そのために数字を使うということです。それがリーダーシップです。
その他の回答 (1)
- BC81
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タイトル見て質問者見て納得です(笑) カッコイイこと考えたり書いたりするのは無理なんですから、地に足着けて仕事しましょう。 確かリーダーでもないし、その予定もないですよね。 リーダーシップについて考える前に、やるべきことがあるはずです。
お礼
残念ながらそうとも言えないです。 地に足を付けて仕事は大事です。 ご回答ありがとうございます。
お礼
マニュアル的なリーダーは多いものの本当の気概をもったリーダーするぞという人って少ないように思えます。 やはりそういうリーダーが消えるとおっしゃる通りになるのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。