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リーダーシップの資質と求められる物
つい先日、知り合いのリーダーB氏と意見がわれ、 付き合いを控えることになりました。 原因は彼のチームのメンバーが私に対して若さ故なのでしょう。 とても馴れ馴れしいというか、面白いことを行っていると思っているのでしょう。 失礼な事を言ってくるのです。 最初は我慢できましたが、それが会うたび会うたび何度もなので 流石にとても丁寧な言葉で指摘させて頂きました。 しかしその後も彼の態度は変わらず、 二度と来るなカスと明らかに一食触発になりかねない言葉を使うので リーダーに何度かお伝えしているのですが、 「いったいお宅はどうなっているのか」というお話をしたことがきっかけで仲たがいをしました。 私はある組織を立ち上げリーダーをしています。 今回問題になったB氏の組織と違い、 私の組織は「結果」に拘ります。それは私の意向でもあります。 B氏の組織は「調和」に拘ります。 しかし、私は自分の組織で粗相を起こしたメンバーをB氏が叱れない事に疑問を感じます。 私の組織ではリーダーが自分である事からエチケットを尊重します。 たとえ未成年であってもある程度の善悪の判断はつきます。 それを著しく傷つけるメンバーはたとえ身内でも場合によっては切りすてる事が リーダーには求められると思うからです。 リーダーは組織を代表する人間です。 仲間に支えられ、自分の船の航路を良いものにする舵を取らなければいけません。 だからこそ、嫌な事や面倒なことを率先して行い、 メンバーの負担をできるだけ軽減し、より良い空気を作らなければいけません。 最低限「責任を取る」というのは組織のいかなる不祥事においても 必ずやらかした人間とリーダーが取らなければいけないと感じます。 しかしB氏の考えでは 「問題が起きた場合の責任は問題を起こした相手と当人が取るべき責任で自分には関係ない」 と言います。 そういう事から 私には彼の言う「調和」というのがどうしてもご都合主義に思えて仕方ないのです。 無責任にも感じてしまいます。 他人の組織に意見するにしてもそれなりの実績を持たずして意見をするのは あまりにも無謀というかおろかに感じてしまいます。 この決別は私にとってショッキングな事であり、 今後の自分のリーダーシップを見直すいい機会であると思います。 皆様が考えるリーダーの資質や求められるもの、 カリスマ性というのはいったいどのようなものかご教授ください。 また1つの組織を切り盛りする身の自分にとって ここまで一緒についてきてくれる仲間に対し、どうして上げることが彼らの幸せなのでしょうか? 中には100人しか組織の資産、キャパの関係で雇用することができないにも関わらず、 病欠の続く社員もいます。 彼らは昔、現在の組織ができるにあたって尽力をしてくれたメンバーなのですが、 やはり理由の怪しい病欠が続くようであれば、 冷酷に徹せざるを得ないのでしょうか。 覚悟はあります、どうか私の幸せよりも、彼らのためにご教授お願いします。
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- sirikodama
- ベストアンサー率17% (4/23)
あなたとB氏を併せた様な人ならバランスが良いのではなかろうか?
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
細かい事情がなんだかよくわからないのですが、なんというか、B氏は質問者さんを潰しにきてたんじゃないんすかね。そんな気がします。質問者さんの存在がB氏にとっては目の上のたんこぶになってきたのでは? 病欠の続く社員に対しては、会社のルールにのっとって処理を進めることですよ。それが雇用を継続するのをルール上難しいなら、辞めてもらうしかないでしょう。そうしないと他の社員が「なんであの人だけ優遇されるんだ」と思われてしまいます。「泣いて馬謖を斬る」というやつですね。 ただ、長年の功があるなら、退職金を上乗せしてあげるとかそういうことをしてあげればいいのではないでしょうか。くれぐれも「角を矯めて牛を殺す」ことのないように。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
一部上場企業の中で独立した組織で100人規模、さらに未成年も居るという形態がどういうものか少し想像が難しいのですが、企業組織である事は理解しました。 企業組織であれば目的は増収である事は間違いなく、目標はトップから下まで同じであることは間違いありません。 ではどのように増収を実現するか。まず企業の方針というものがあるはず。例えば海外に打って出ろとか、今のお客(事業)を継続拡大しろとか。事業戦略というものです。 リーダーの仕事はこの事業戦略を実現するためにどのような手段を使うかを考える事ですが、結局は何をどのようにすればこれだけ儲かる。と言う事の説明責任があります。 部下はこれに納得できるかどうかなのですが、この説明が曖昧であれば当然納得できない訳です。日本のリーダーの弱い所は、これをやればどれくらい収益が見込めるという事を言わない。また言えない。言えば達成出来なかったときに言い訳できなくなる。 という逃げを考えている事です。だから、経営トップのように収益増大ばかりを口にし、方法は部下任せになる。結局収益が上がらないのは部下が原因になりかねません。 経営トップは大まかで良いですが、その下からは具体策でなければありません。その具体策で失敗すればリーダー交代。これが欧米式なのですが、その分リーダーに権限はゆだねられています。 部下のお尻を叩いたり、叱咤罵倒するばかりのリーダーではなく、こうすれば収益は上げられ目的は達成できるとプレゼンし説明し、納得させる。 結果について分析し原因を明確にして次の改善に回す。分析の結果方法論そのものに問題があればその責任は取る。プロセスや分析は全て開示する。これが最近のリーダーに必要な資質です。
私はリーダーと言えば、やはり組織をまとめれて、それを引っ張れるという資質だと思います。 リーダーは組織をある方向へと引っ張り、組織の生存をさせるものだと思います。組織の行先のパイオニアですね。 経営学や政治学はどうかしりませんが、リーダーシップ論なんてありますよね。 わたしも読んだのですが、機能を整理して並べてましたが、そういう並べるものではないように思ってます。 他のインターネットのサイトで読んだのですが、人の上にたてるのは20人に1人の素質だということを聞きました。 責任論は軍隊からきている経営学の考え方だと思います。実際、部長、課長などといった人たちは会社の中で法律でも社内規則でも一定の責任があると規定されていると思います。責任あるのはリーダーと言うより管理者としてでしょうね。 もちろん、実際のリーダーシップの型は無限といっていいと思います。 私の知り合いにリーダーシップだけはありそうですが、知識が少なく考え方も偏っていて人の気持ちがわからないといったそういう意味で純粋にリーダーシップのセンスはあるものの他が付随していない人っているものです。 その人のセンスが感じるのはいわゆるパワーです。力があれば、集団のエネルギーをどっかへひっぱっていける。その人は行先がおかしく、統率も多分できないということです。 そういったようにリーダーシップというのは難しいことで、研究の深い分野でしょう。雑誌でもよく引っ張り方なんてでてきます。 以前ここで質問させていただいたときに外国は高等教育を重視し、日本は初等教育を重視すると伺いました。 外国は陸続きで、リーダーシップが良くないと他の民族との戦いに敗れるという危険性の経験則だと思われます。 日本は海の中でそういう必要性がなかったので現在の政治をみてわかるようにリーダーシップをとれる政治制度にもなていなければ、そういう首相をまれにしか輩出しません。 ですので文字情報ではやはり断片でしかわからなくて、視覚でその人を観察していない以上断定はできません。そういったこことを踏まえて判断してください。
- toshih2000
- ベストアンサー率22% (120/541)
B氏はあなたとこれ以上つきあうメリットは無いと思っているのでは? これに尽きるとおもいます。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
「これが正しい」「絶対」などと言うリーダーシップは有りませんが・・。 ご質問の中で言えることは、質問者さんは、手段と目的を混同しておられる様で、その上、手段を信念みたいに書かれているなぁ・・と感じます。 たとえば、一般論的には、質問者さんの率先垂範の姿勢は、好ましいと言えるでしょうけど、軍隊の隊長が部隊の先頭に立ち、部下を指揮すれば、部下の信頼が得られますけど、一番最初に撃たれて死ねば、下手すりゃ部隊は全滅してしまいますよ。 そう言う観点からすれば、リーダーに要求される資質は、状況などに応じ、柔軟性や変容性も必要で、「リーダーとはかくあるべき」などと言う考え方が、真っ先に否定されますが、質問者さんは、「かくあるべき」いう思考・傾向がお強い様に感じます。 違う言い方をしますと、結果としてはB氏と仲違いした形ですが、仮に「B氏とは絶対に仲違いしてはいけない状況」であったとすれば、質問者さんは、その目的達成に失敗したリーダーであると言うことになってしまいます。 自分の信念などを貫いた結果、失敗した形であって、冒頭の部隊の先頭に立ち、部下を指揮すると言うリーダーシップを発揮して、一番最初に撃たれて部隊を全滅させたリーダーと同じです。 即ち、あくまで結果からの分析ではありますが、その信念などは間違っていたと言うことになります。 リーダーの正しい信念の持ち方は、目的に対し、最も忠実なものであらねばなりません。 そのためには、時には「先頭に立たたない」と言う判断も必要であり、「常に先頭に立つ」など、具体的過ぎるもの(手段)を信念にしてはならないワケです。 企業などのリーダーを前提とするご質問かと思いますが、企業であれば達成すべき目的は、利益であって、リーダーシップも、それに対して忠実であらねばなりません。 従い、「結果に拘る」は信念に成り得ます。 しかし・・それ以外はどうでも良いコトですよ。 例えば、病欠が続く社員が稼ぎ頭なら、安易に冷酷に徹しちゃダメでしょう。 それでも信念を貫けば、目的である利益・結果が損なわれますので。 むしろ冷徹になるのは、他の部下に対し、「休みがちな人物にさえ負けている!」と言う方向性も考えられます。 逆に、いくら稼ぎ頭であっても、その人物のせいで、部署のモチベーションが上がらず、全体としてマイナスであれば、腐ったリンゴであり、それを冷徹に排除するのは、リーダーシップです。 それらを適切に判断するのが、リーダーシップですよ。 調和であろうがルール厳守であろうが、成果を上げれば良いワケで、むしろ同じ程度の成果を上げられるなら、調和状態の方が好ましいです。 あるいは経営学的に言えば、緊張と緩和の最適バランスが、組織的には最も効率的であって、いずれかに偏る状態は好ましくないとされていますよ。 Bチームに欠落しているのは、その緊張とか規律などであろうことは、想像に難くないのですが、一方では、たちまち「調和もダメ」とはならないですよ。 それと対立するのは簡単ですが、修復するのは難しいですね。 質問者さんの中に、「対立してはいけない」と言う信念があれば、現状は変わっていたでしょうし、その信念は、利益や成果にも忠実かと思います。 私自身は、信念なんてものは、100%と言える真理や摂理に対して持つものではないか?と思っています。 企業のリーダーなんてものは、法に触れず、敵も作らず、利益さえ上げ続ければ、何でも良いんじゃないですかね? 正反対に、仲間の命に関わる様な場合は、法律や利益などどうでも良く、また敵を作ることなど厭わないですが。 後は、それを実現して行く上で、どう伝えるか?と言う、表現の問題であって、自ら陣頭指揮を取っても 構わないし、部下を信頼して任せても良いです。 自分は敢えてサボって、部下の不安感を煽るなどと言う方法が有効な場合もあるし。 これらは選択肢であって、それを「こうあるべき!」などと、自ら選択肢を狭めるリーダーは、私は部隊を全滅させる隊長では?と思っています。
お礼
お返事有難うございます。 目的と手段、シンプルで原始的な論理ですが、 とても重要ですね。深く共感致しました。 私が具体的な組織名や、どの分野世界にいるのかを書かないせいで 回答者の皆様に困難な質問になってしまっていますね。 私の組織のいる世界では、 大本の管理会社のルールに触れない限り どのような手段をとっても許される会社です。 結果を出さなくても良いといえばよいのです。 しかしそれでは組織が育たず、私個人の主観ではいつか消滅してしまうと感じます。 ただこの仕事には”番付け”があります。 その各位が高ければ高いほど名声と富を手に入れられます。 key00001さんは、様々な立場のリーダーのお話を出されて頂いて、 非常に参考になりました。 どの様な組織であれ、お得意様とのトラブルはメンバーのモチベーションを下げますね。 そういう意味では私は自分に敗北したのかもしれません。 B氏の組織に対し、 「結果も番付にも入れない弱小」 と傲慢にも思いつつその一方で 「やり方の違う彼らの側にいる事は自分で試すよりもリスクは少ない」 とモラリティに素直になれず、効率重視で考えてしまう自分はやはり傲慢で 目的を第一とする身でありながら、手段やプライドに固執し 結果を見誤ったのだと思います。 今回の事はとてもいい教訓になりました。 二度と同じ事は起きないでしょう。 非常に参考になりました。 有難うございます。
- suzuyaharu125
- ベストアンサー率35% (21/59)
あなたの組織とB氏の組織が、それぞれまったく独立した組織なのか、それとも単一組織の中のグループなのか、そのあたりが明確に読み取れませんが、独立した組織との前提で話を進めます。 それぞれの組織にはそれぞれリーダーがいて、歴史的に培われてきた風土もあるわけですから、その考え方や気風を尊重して付き合うのがあたりまえで、相手に自分の主張を押しつけるのは傲慢だと思います。 B社は自社にとって必要な製品やノウハウを持っているから取引したい。でもB社の社風は気に入らない。となったら、こちらはその二つを天秤にかけて付き合いうか否かを決めれば良いだけのことです。 両者が独立した組織なら、どちらかがどちらかの考えや風土に従う必要はないので、たぶんあなたはB氏のことを思ってのアドバイスという気持ちもあったと思いますが、別の考え方をしているB氏が余計なお世話と考えるのは当然です。 組織のあり方は多様であり、また多様であるべきです。 リーダーのあり方も同じです。 絶対的なカリスマとして組織を引っ張っていくリーダーもいれば、水平型の関係を良しとして調整に徹するリーダーもいる。メンバーの能力と意欲を引き出すためにわざと凡庸な振りをしているリーダーもいます。それぞれに長所短所があって、それでこそおもしろいし社会全体はうまくいくのです。 >皆様が考えるリーダーの資質や求められるもの、 は、組織の目的を達成し、組織の構成員を幸せに出来ることです。その手法は問われません。カリスマ性なんか無くてもこれが達成できればいいのです。 リーダーこそが最も結果を問われる存在なのです。 ただし、大半の組織体においてリーダーは代表者として組織の責任を負います。この点についてはあなたと同意見です。 >ここまで一緒についてきてくれる仲間に対し、どうして上げることが彼らの幸せなのでしょうか? 企業であれば、 ・給与を上げることだ ・やりがいのある仕事だ ・働きやすい環境作りだ 会社と社員をよく把握して、いずれかを重視し、あるいは優先順位をつけ、あるいはバランスを考える。これこそが社長の仕事で、それが出来なきゃそれこそリーダーの資質がありません。 >やはり理由の怪しい病欠が続くようであれば、 >冷酷に徹せざるを得ないのでしょうか。 「彼ら」と書かれていますが、そういう人間が複数いると言うことでしょうか。だとすればそれは個人の問題ではなくそうさせている組織に問題があるのではないか、と自問するのがリーダーとしての自然な発想じゃないかと思います。 私ならばまずはその個人と向き合い、原因を探りますが、あなたが結果を重視すると公言されているのなら即刻切り捨ててしかるべきじゃないですか。そこは矛盾を感じます。 100人ほどの組織でそのような人が複数出ていたら問題は深刻です。全力で対処しないとそれこそメンバーからあなたのリーダーとしての資質を問われます。
お礼
こんばんは、お返事有難うございます。 お互いのやり方の違いに関しては確かに違っていいとも思います。 効率、結果を重視する私の組織に対して B氏の組織はメンバーの自主性を尊重する今ならではの組織・企業だと感じ、 リーダーであるB氏のその感じ方は私には無いものという事で大変興味はあり、尊重しています。 私が彼に懐疑的になるのは”問題が起きた時の対処”一点です。 質問に書いたとおり、自分の組織から意図的にパートナー企業の人間に失礼な問題を起こした時に、 ”注意はするが責任は俺にはない”と言い放ってしまったり、 被害を受けた相手から事の申告を受けるまでは認知しない部分が ”自主性に任せる”というよりは”放任主義”、悪く言えば無責任なのではと感じてしまいます。 どのような会社でもサークルでも自分の組織からそういった粗相発生した場合に、 まずお詫びを入れた後に釈明をするのが大人なのではと感じます。 私は結果と効率を上げる事が、 プロとしての自信をはぐくめるのではないかと考える一方、 頑として鬼に徹する気持ちのどこかに 「やはり自分も相手も人間、メンバー激務への苦労の気持ちもたまには汲み取ってあげたい」 と情けに思い、詰めが甘くなる瞬間があります。 こういう矛盾を孕んだまま匿名の場でしかその気持ちを表現できない自分を 情けないというのか、甘いというのか私は判断する事が困難です。 もう一度私が”何のためにどうしたいのか、手段をどうするのか” を見つめなおしてみる事にします。 当組織の給与は他の組織に比べれば高給です。 自分自身のこれからの向上と、 メンバーにとっての”やりがい”と”働きやすい環境”について 掘り下げてみようと思います。 大変参考になりました。有難うございます。
組織の目的や存在理由によって リーダーシップのあり方も必要とされる資質もかわります。 この質問文からは企業のそれなのか、 暴走族のそれなのか、単なるボーリングサークルのそれなのか 判別できないので、回答は不能です。
補足
お返事有難うございます。 私の組織は「1つのジャンルの中にある独立した会社」と考えて頂けると助かります。 雇用人数は100人、 業績で言えば東証一部上場と考えていただけると助かります。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
この組織なるものがどういう性質のものか不明点が多く明確に回答は出来ません。 リーダー資質とは組織の性質によって違うのは当然と思います。企業、政治団体、軍隊。それぞれ同じリーダー像を持っているとすればそれは改めたほうが良いでしょう。 恐らく昭和の時代ではほぼ同じリーダー像だった気もします。でも世の中の流れとしては、企業、政治に於いては全く変わってきていると考えた方が良いと思います。 人を引っ張るだけのリーダーでは逆に人はついてこない。情報過多の時代だからです。それぞれがいろんな情報を持っています。こういう風に悩みを相談すれば直ぐ聞けるし、これを誰でも見る事が出来る。TVやラジオではコメンテーターがいろいろな心のうちをぶちまけている。この情報の中でそれぞれが自分の方向性を確認しすでに決めているのです。 昔はこんなに人の心がさらされてはいませんでした。だから方向を示す為にリーダーが必要だったのですが、今はそういうリーダーは必要ないのです。 つまり人を同じ方向に導くには、コミュニュケーションをとり、徹底的に理論を突き詰める必要がある。Aパターン、Bパターン、Cパターン。いろいろ全員で検討し、意見を尊重し結論を出す。 つまり解決をメンバーに任せる。決定的な結論は理論で導いてやる。 まあこれが質問者様の組織に合うかは分かりません。でも世界は変わりつつあり、昔の方法は逆効果になりつつあるという事です。松下幸之助も本田総一郎も経営の世界では精神論のみ評価されますが、手法は通用しないものと言うのが一般論なのです。
お礼
早々のお返事有難うございます。 なるほど、私の考える理想のリーダー像は時代に取り残されている気がします。 どうしても理想のリーダー像に「カリスマ性」を第一とする自分は、 ここまでくる間に傲慢とカリスマ性、リーダーシップを履き違えていた気もします。 問題に柔軟に対応出来るように、御回答を参考にし、 もう一度カリスマ性について考えてみる事にします。
お礼
ご回答有難うございます。 当社とB社が付き合うメリットは メリットの部分ではないのです。 私の企業のいる世界の”番付”では、 その会社の出した”純利益”の多さで格付けされます。 B社がそこに介入する事はできません。 私がB社に対し思うのは、 修羅道を行く自分の心のどこかに ”友達を傷つけた、失った”という甘い気持ちがあったことへの戸惑いなのかもしれません。