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組織やチームのフラットと上下などでの理想形
- 組織やチームのフラットと上下などでの理想形について考える
- 組織やチームにおける遂行と育成の重要性
- 組織やチームにおけるフラット化と個性重視のメリットとデメリット
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これは組織の話であって、純粋な上下だとか純粋なフラットなんていう関係は存在しません。 組織というのは、ツリー上に普通記述しますよね。何部、の下に何課、があって、何係があってというのが一種のトーナメント表みたいな書き方になるのです。 その一つ一つの箱には責任者がいます。営業部長がいたり、資材課長がいたり、開発第二課公共システム係長がいたりするわけです。 当然、いまいった3人がフラットであるわけがありません。 開発第一課通信システム係長と開発第二課高校システム係長もフラットではありません。 これは責任という意味があるからです。彼らはそれぞれの箱の責任者なんです。 営業部と開発部がフラットということもありえませんし、人事部と秘書室がフラットもあり得ません。 上下はあります。トーナメント式に組織をかいたとき、タテに繋がっているものは上下関係があります。 営業部と、システム営業課は明確に上下です。システム営業課とシステム営業課プロトコル係も上下です。これは責任を持つほうが上だという単純な論理です。 したがって営業部長はシステム営業課長に命令することができるのです。 フラットというとすれば全く同じ立場の人間同士だけです。責任においてイーブンである関係です。 営業第一課の早稲田君と慶応君は、フラットです。どちらかの入社が何年か早くてもこの二人はフラットです。女性の明治さんや青山さんも、早稲田君たちとフラットです。慶応君は、自分の仕事に責任を持ちますが、青山さんの仕事には責任は持ちません。 しかし、この営業第一課で、慶応君と青山さんがチームをくむことになり、青山さんがリーダとか主任ということになるのであれば、青山さんの責任下で慶応君が動くことになります。 責任を持つほうが、自分の配下にあるものを甘やかすとか伸ばすということはありえます。それは指導責任を持つからです。 イーブンな関係なのに互いにそんなことを言い合ったら組織が破壊されるだけです。責任もないのに理想論を振り回す、非常に好ましくない団体になるだけです。 すべては責任という観点で管理すべきことであり、ルールはシンプルです。 理想もなにもありません。
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- eroero4649
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そらもうそのリーダーがどういうタイプによるかってことになってしまうと思います。上意下達でリーダーが強烈な個性で引っ張るパターンもあるでしょうし、協調型のリーダーで周囲と話し合いながら進めるパターンもあるでしょう。強烈な個性でみなを引っ張るリーダーに「他の人の話に耳を傾けるべきだ」といっても、「おお、その話が傾聴に値するものなら俺はきちんと聞くぞ」としゃあしゃあといわれてしまうでしょうし、協調型のリーダーに独断で決断せよと迫っても無理でしょう。 戦争と歴史からいうと、平時のリーダーと戦時(急時)のリーダーというのはあります。平時のリーダーは平和なときはいいですが戦時には役立たずになりがちですし、戦時のリーダーは平時には疎まれるケースが多いです。 例えば第二次大戦の勝利国であるアメリカでも、戦時のリーダータイプとして海軍のキング提督とブル(牡牛)と呼ばれたハルゼー提督、陸軍のパットン将軍なんかがいまして、彼らの存在は特にアメリカ軍が苦戦していた戦争中盤までは必要なカリスマでした。しかし戦争が終わると彼らは典型的な「狡兎死して走狗烹らる」になってしまいます。キング提督は「俺以外全員無能(でも能力は確かに誰もが認めるほど優秀)」の典型的なタイプだったので戦争が終わると海軍どころか家族にも疎まれて戦争が終わってわずか3年後に急死してしまいます(そのときには家族にも家を追われていたんですって)し、パットン将軍は自分の居場所がなくなり半分自殺のような交通事故死、ハルゼー提督は勝利に導いた提督ということでいろんな企業から天下りの名誉職を貰うもなぜか生活に困窮しかつての仲間に借金を申し込むような生活に陥る中で寂しく亡くなっています。 日本で一番上手くいくシステムは徳川江戸幕府システムなのではないかなと思います。ただそれも200年で様々な制度疲労が起きて時代に合わなくなり破綻しました。